編集部コラム

残り少ない平成の日に、telling,の平成(フラット)意識を考える

telling,副編集長です。おかげさまで、telling,は1周年を迎えました。皆さま、ありがとうございました。私たちをめぐる「これまで」と「いま」と「これから」、真面目に、じんわり、考えてみました。

名もなき普通の人にこそドラマがある。彼女たちの「Story」を伝えたい

telling,に関わることになって、最初に言われた言葉だ。

メディアには、責任者となる編集長という人がいて、あのとき「私の隣」に座ったその女性は、穏やかに、そして温かみとほどよく心地よい湿度を持った言葉と態度で上記の「思い」を語っていた。(かたわらには、私たちの大好きな缶チューハイがあった……?かもしれない)。

一瞬、意味がわからなかった。
名もなき人?普通の人?スクリーンで輝く女優さんや、自分のずっと先を走るトップリーダーたちじゃなく、街ですれ違い、カフェ(本当は居酒屋希望)で隣合わせるような、「私のすぐそばにいる人」。そんな女性たちにスポットライトを当てるメディアなんて、いままで見たことなかったから。

一拍おいて、「いいな」と思った。
名もなき人。普通の人。そういう「私の隣」の人にこそ光を当ててくれるメディアなんて、いままで見たことなかったから。あったらいいなと、思ったから。

カリスマリーダーや女優さん、キラキラのインフルエンサーたち。その隣に、「私」や「あなた」のサムネイル画像が並ぶ。想像したとき、じんわりと、心が動いた。

フラットだな。分け隔てがないな。
宝物を見つけたような氣持ちだった。新しく、見つめてみたい価値観であり世界だった。

「多様性を認めよう!」
「あなたらしく!私らしく!」
耳に心地よい言葉は、すでに(随分と長いこと)喧伝されていたほんの1年と少し前。
でも、はて、リアリテイはどうなのか。
「そりゃ理想はね。そうだったらいいけどね、まぁ現実は、まだまだ先だよね。無念」
ほんの1年と少し前のことなのに、実感はこうだった。

それが、ほんの1年と少しの間に、随分動いたと思う。
「個人」の思いは、集団であるブランドや企業の礎となる。その礎は、私(たち)個の思いを超えて、パワフルなアクションを起こしていた。

変化している時期だからこそ

そしていま、毎日のようにメディアを賑わせ、私たちの心をざわつかせるあれこれ。これも、いわゆる炎上という形であろうと世の中が、そして私たちのとらえ方向き合い方が、「動いている」証ではないかという氣がしている。

変化の時期には、さまざまな摩擦も起こり得る。
いままで顕在化していなかったもの、心の奥深くにしまい込まれて、持っていたことすら氣づかった違和感や嫌悪感。嫉みや僻み、八つ当たりだって含めて。
そして、「じゃあ本当はどうありたいの?」という純度500%の希望。

さまざまなものがいま、あぶり出されて、光のもとにさらされている。UVプロテクトPA+++レベルで必須、肌に焼け付くようにヒリヒリと感じる日々だ。

「フラットだな」と思って関わり始めたtelling,を通じて、むしろ逆のこともわかった。
あったのだ。いろんな凸凹が。それこそ、あったことすら氣づかなかったレベルのそれらに、ため息も漏れた。

セクハラ、モラハラ、意味不明すぎるマウンティング。
親や上司や社会じゃなく、「紛れもなく自分自身がつくっているよね?」という、既存の常識やステレオタイプの呪縛。生きづらくしているのは、社会や他者ではなくあなた(私)自身ではないの?という、タブーに近い問い。

そして、telling,という“私たち自身”が、“あなただけに言うね”のつもりで思いを乗せた(つもりの)言葉が、「私であり、あなた」を心なく傷つけてしまうことだってあり得る危うさにも、幾度も触れた。

変化に伴う抵抗や葛藤、価値観のぶつかり合いと摺り合わせ、調和への道筋……。
ドラマチックな過渡期に、私たちは立ち会っている。
告白すれば私はいま、またもや静かに興奮してもいる。そう、またもやじんわりと。

「私らしさ」のその先へ

過渡期のさなか、忘れられない瞬間がある。
仕事の合間の、慌ただしくも至福のランチタイム(缶チューハイはなかった)。

「telling,を読んでくださる皆さんと、そして私たち自身に、『目指したいあの人』『ロールモデル』っているのかな」ということについて、確かチキンソテー・ジンジャーソースかなんかを食しながら話していたときのことだ。私は、打ち明けた。

「正直、女優の誰それさんとかじゃない。たとえばいま、あそこに見える飛んでる鳥とか、咲いてる花、あそこの葉っぱ。そういうレベルに共感して憧れる。だって、“そのまんま命”を生きてるから」

あぶない発言。だが、初めて思いを聞いたあのときと同じ、穏やかさと心地よい湿度をたたえたまま、しかしきっぱりと目の前の人(telling,編集長)は言った。

「そうだね。うふふ。私は、昆虫とかだな。そのままで、幸せだよね」

「あなたらしく」を問わなくなったとき、あなたらしさが発露する。
「私らしく」のゲシュタルトが崩壊したとき、私らしい自由が生まれる。
「幸せ」を求めなくなったときに、ああ、と幸せに氣づく。
いまそのままで、幸せになる。いまそのままで、幸せでいる。

「なりたい私」がなくなる座標を、2年目のtelling,は、探していけたらと思います。

「フラットだな」と思った、わずか1年と少し前。フラット意識(「平らかに成る」平成)の終盤に、次なるフェーズの道筋が見えてきて、いまもじんわり、心が動いています。

telling,創刊副編集長。大学卒業後、会社員を経て編集者・ライターに。女性誌や書籍の編集に携わる。その後起業し広告制作会社経営のかたわら、クラブ(発音は右下がり)経営兼ママも経験。
20~30代の女性の多様な生き方、価値観を伝え、これからの生き方をともに考えるメディアを目指しています。
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