Ruru Rurikoのフォト&エッセイ「ピンク」

ピンク Ruru Rurikoのフォト&エッセイ

ちょっとモヤモヤした気持ちになったとき、読んでみてください。いい意味で、心がザワザワするフォト&エッセイ。

 女の子といえばピンク。

 そんなの嘘。ピンクが好きじゃない女の子だっている。そんな意見の人も多く、確かに誰が決めたんだ、なぜただの色なのにこんなにピンクは女の子らしさを連想させるのだ、と考え始めると疑問が浮かびます。自立した強い女性の姿を思い浮かべる時に、全身ピンク!可愛い!のような女性という性を前面に押し出す女性を思い浮かべる人は少ないのではないでしょうか?

 この記事を書いている私はピンクが大好きです。好きなものも、ファッションもガーリー趣味ですし、ファッションアイコンはlana del reyやbrigitte bardotなど。可愛くて、ちょっとセクシーな女性たち。

 そんな私は高校生まではガーリーなものは一切好きではありませんでした。小学生の時はズボンしか履かなかったし、ガーリー趣味のおばあちゃんからプレゼントされたワンピースを着させられた時は本当に嫌で嫌で仕方なかった記憶。

 それよりもっと前の幼稚園の時はピンクが大好きだったのに、いつから可愛いものが嫌いになったんだろう?

 堀越英美さんの 『Think PINK  女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン)に多くの幼稚園児の女の子がピンクを一番好きな色と挙げるが、小学校に入ったあたりから水色好きになり、ピンクはあんまり好きじゃなくなる。とあって、これはまさに私のことじゃないか!私だけじゃなかったのか! と驚きました。

 彼女の本によると、日本ではピンクは母性、エロさ、幼さと言ったイメージからできているとありました。今では当時の私が、小学校、中学校とピンクやガーリーなものを拒絶したのはバカだと思われたくない、下に見られたくないと、幼心にガーリーでプリンセスのような見た目ではいけないと察知していたのではないかと思えてきます。そういえば、3つ上の兄に負けたくないと常に思っていたのも覚えています。小学校の頃の私はボーイッシュな女の子に憧れていたし、可愛らしい女の子になんてなりたくなかったのです。

 それでも高校生くらいからまた可愛らしいものに惹かれ始めました。最初はでもすこーしずつ、ファッションやメイクなど”女の子”的なことをし始め、大学でイギリスへ行ってからは年々周りがどう思うかなんて気にならなくなり進むガーリー化。

 日本だけではないかもしれませんが、私の経験上ではイギリスと比べると日本では、女子力など女の子らしさを要求される割には、”女性”感を前面に出すことはよろしくないとされていると思います。女は子供ができたら女性ではなく”母”を求められるし、谷間が見えるセクシーな洋服などはtoo much、可愛らしくしすぎると同性からぶりっ子と叩かれる。ピンクはピンクでも求められているピンクは行き過ぎでなく、優しくさりげないピンク。女性ならピンクを着た方がいいけど、男性に媚びているようなピンクはダメ。

 私個人のイメージだとピンクは、ぶりっ子、エロ、ばか、幼い、ドリーミー、お花畑。ピンクが大好きな私でもピンクと考えて知性溢れる自立した女性は想像しません。

 それでも私がピンク星人なのはなぜでしょうか?ぶりっ子、エロ、ばか、幼い、ドリーミー、お花畑のように見えたって、私は色々私なりに考えて生きているから別にいいのです。だって、好きなんですもの。好きなものは追いかけたほうが楽しいし、周りからどう見えるか、より実際にどうなのか、自分自身がどうしたいかが大切です。結局は他人は他人ですし、社会が作り上げるこういう見た目の人はこう!なんて所詮メディアや会社が作り上げてることが多い。16世紀には男性もメイクやハイヒールを履いてピンクを楽しんでいたと思うと更にどうでも良くありませんか?いつの時代に生きてようが、ピンクでもブルーでも黄色でも、緑でもなんでも、好きなら好きでいいんじゃないかなと思います。

続きの記事<selflove Ruru Ruriko「ピンク」02>はこちら

18歳の時にイギリスへ留学、4年半過ごす。大学時代にファッション、ファインアート、写真を学ぶ中でフェミニズムと出会い、日常で気になった、女の子として生きることなどの疑問についてSNSで書くようになる。