韓国を離れる決意をしたケナ © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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Beyond Gender#31

日常にウンザリ。映画「ケナは韓国が嫌いで」の監督と考える新たな一歩

「ケナは韓国が嫌いで」。なんとも衝撃的なタイトルの韓国映画が、3月7日に公開されます。主人公は28歳のケナ。狭くて古い家、長時間通勤、単調な仕事、尊敬できない上司……。そうした不満や不安が積み重なり、ケナは「この国には希望がない」と新たな一歩を踏み出すのです。韓国と同様に経済格差が広がり、少子高齢化が進む日本でも、ケナのような思いを抱えている若者は少なくないのではないでしょうか。チャン・ゴンジェ監督に作品への思いをききました。
「男たちよ、乳房だけを愛でるな」 農村女性の生きづらさを詩に込めて  人との距離感に悩む女性を描いて。映画『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督に聞く

通勤地獄、希望がみえない社会 彼氏は優しいが……

ケナは、ソウル郊外に暮らす会社員。大学の奨学金を返済するために金融会社に就職し、片道2時間かけて通勤しています。やりがいが持てず、自分の評価ばかり気にする上司にもうんざりしています。ケナには大学時代から付き合っている優しい恋人ジミョンがいます。周りからも「あの二人は結婚するだろう」と夫婦同然にみられてきました。

ジミョンの実家は裕福です。一方、ケナは実家が貧しいため、大学受験では塾に通えず、卒業後も一人暮らしはできず、古いアパートに家族4人で暮らしています。優しいジミョンに仕事の愚痴をきいてもらいながらも、「もし塾に通えていたら、もっといい大学に行けて、人生が違ったはず」という思いが募るのです。

長時間通勤ややりがいのない仕事に心身の疲労を募らせていったケナ © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.
長時間通勤ややりがいのない仕事に心身の疲労を募らせていったケナ © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.

ジミョンに「就職したら僕が君を支える」とプロポーズめいたことを言われても、ケナの心は全く晴れません。金持ちのボーイフレンドと娘が結婚する未来を描いて前のめりに喜ぶ母親の姿が、ケナをますますうんざりさせます。ケナは会社を辞めて、働いて貯めたお金をもとに韓国を出ることに。選んだ移住先はニュージーランドでした。

嫌いな理由、あえて詳細には描かず

このようにケナが韓国を嫌いになったのは、何か決定的に嫌なできごとがあったわけではありません。チャン監督は映画でそれを延々と描くようなことはしません。監督は「韓国での女性の生きづらさはこの10年、韓国映画で繰り返し描かれてきた。20代後半の女性の生きづらさを延々と見せる映画にはしたくなかった」と語ります。

1977年生まれのチャン監督は、「ジェンダー差別など女性ならではの困難に、分かった顔をしているだけの男性にはなりたくなかった」として、ケナの息苦しさに心を寄せます。それは監督も韓国で生きづらさを感じてきたからです。「とにかく韓国人は追い立てられるように働き過ぎる。それは韓国の強みでもあるのですが……。社会が変化するスピードがとても速く、いつも時流を見極めて全力で動かなくてはいけない。自分ではコントロールできないような大きな流れに巻き込まれる感じが、苦手です」と語ります。

チャン・ゴンジェ監督 © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.
チャン・ゴンジェ監督 © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.

映画では、ケナが移住先で出会う韓国人や、韓国で暮らし続けるケナの家族や恋人の様子も出てきます。そこから見えてきたのは「海外移住=ハッピー」ではないこと。むしろ、物語が進むにつれて「そもそも幸せって何?」という根本的な問いが深まっていくばかりです。

ケナを演じたのは、コ・アソン(32)。子役としてデビューし、「グエムル~漢江の怪物~」や「スノーピアサー」といった大作に出た経験豊富な俳優です。ニュージーランドに移住した当初は、英語に自信がなく小さな声で喋っていたケナが、徐々に自分を解放していき、自分の意見を言えるように成長していく様子をみせてくれました。監督は「彼女の演技をなるべく自由な形で引き出せるようにした」と話します。

行動に移せない人も肯定したい

ハンギョレ新聞によると、2018年から2022年までの5年間に、国外への移住を届け出た韓国人の数は1万7664人。米国、カナダ、オーストラリア、日本に次いで人気が高い国がニュージーランドです。ニュージーランドに移り住んだケナは、韓国人の家庭で子守のバイトなどをしながら、英語の勉強を続けます。「何かを成し遂げよう」と追い立てられる様子や悲壮感はなく、ゆったりとした時間の流れに身を任せます。こういった時間をもてることが、ケナが韓国を出ていった一番の理由だったのではないかと感じさせます。

恋人のジミョンは誠実を絵に描いたような好青年です。ケナに対して「君を待ち続ける」と言いながらも、結局ニュージーランドに会いにいこうとはしませんでした。監督は「韓国社会の中で真面目に生きようとすると、自分の時間や居場所を持つのが難しい。ジミョンが『物理的に行けない』のではなく、『会いに行く発想が持てない』環境にいることが、韓国で生き抜く厳しさを示している」と言います。

事実、ケナのように行動に移せる人の方が少ないのです。監督は「だから私は変化に対して恐れを感じている人々を『変われない』と非難したり、行動に移す人より劣っていると思ったりはしたくはなかった」とも付け加えました。

ケナが大学時代から付き合っていた恋人ジミョン © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ケナが大学時代から付き合っていた恋人ジミョン © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.

ワーホリ人気、「貧しい」日本人や韓国人

朝日新聞の記事「ホームレス向け無料食料、ワーホリの若者らが行列 『3割は日本人』」にもあるように、低迷する自国の経済に見切りをつけて、ワーキングホリデーの制度があるオーストラリアやニュージーランドに出稼ぎに渡る若者たちは、日本でも韓国でも増えています。日本で暮らしていると、出稼ぎといえば、東南アジア諸国の人たちを連想するでしょう。ですが、経済成長が著しい中国や東南アジアでは、日本以上に経済格差が広がり、富裕層がたくさん生まれています。親の十分な援助を受けて欧米に留学する中華圏や東南アジアの若者たちからすると、労働に追われる日本や韓国の若者が貧しくみえるのでしょう。ケナもインドネシア人のボーイフレンドから「こっちに来る日本人や韓国人たちは貧乏だ。でも君は違うだろう? 僕の父親が援助してくれるから、インドネシアで一緒に商売をしないか」と誘われます。

ニュージーランドで自分なりの幸せの形をつかんだケナ © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ニュージーランドで自分なりの幸せの形をつかんだケナ © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.

ケナの決断にあなたは……?

映画の原作小説が刊行されたのは2015年。アメリカはオバマ大統領が率いていました。この頃、10年後にアメリカで第二次トランプ政権が発足するなど、一体誰が想像できたでしょうか…。

2025年、トランプ大統領は政権に返り咲くやいなや、多様性や機会の平等を否定する政策を次々と打ち出しています。他の先進国でも移民排除や自国最優先を掲げる右傾化が進んでいます。

監督は「自分が今いる場所を去ったらユートピアにたどり着けるのか。それとも今いる場所をより良くするために何ができるのかを考える方を選ぶのか。正解なき混迷した世の中で、自分自身に問いかけていく必要がある」。映画のラストで、ケナが下した決断は多くの人には思いもよらないものでしょう。自分にとっての幸せとは何か。ケナの迷いや挑戦、そして成長から、周りに左右されず、今の時代をしなやかに生きる大切さを考えさせられました。

チャン・ゴンジェ監督 © 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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「男たちよ、乳房だけを愛でるな」 農村女性の生きづらさを詩に込めて  人との距離感に悩む女性を描いて。映画『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督に聞く

●『ケナは韓国が嫌いで』

監督・脚本:チャン・ゴンジェ
出演:コ・アソン チュ・ジョンヒョク キム・ウギョム イ・サンヒ オ・ミンエ パク・スンヒョン
制作:2024年/韓国
2025年3月7日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
配給:アニモプロデュース
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朝日新聞記者。#MeToo運動の最中に、各国の映画祭を取材し、映画業界のジェンダー問題への関心を高める。