petrenkod/iStock/Getty Images Plus
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わたしたちの大人婚物語#14

私が婚活で1000人に会った理由――恋人との死別を乗り越えて

「このままずっと一人なのかな」と悩むあなたに届けたい、本当にあった大人のマリッジ・ストーリー。35歳以降に結婚した大人婚の先輩たちに、出会ったきっかけや結婚の決め手、妊活・キャリア・親の問題まで根掘り葉掘り聞きました。ここに紡がれた幸せな物語はすべてほんもの。だから全部あなたにも起こりうること――。今回は、結婚までに1000人もの男性と会い、運命の相手を探し続けたAさんの大人婚物語。
「もうなにもなくなった」 過労で仕事を辞めた44歳、結婚の道を拓いてくれたのは母でした 片思いをこじらせ交際経験ゼロ。“結婚は人生の墓場”だと思っていた私が、幸せな家庭を築くまで

【今回の大人婚】Aさん 結婚時の年齢:40歳

現在43歳のAさんは11歳年下の夫・Sさんと小さなお子さんと3人暮らし。結婚したのは40歳の時。Sさんに出会うまで「月20~30人の男性と会う!」と目標を立てて、運命の人を探し続けたそう。延べ人数でいえば出会った男性の数は1000人はくだらない、というそのバイタリティはどこから来たのだろう。

夫と付き合い始めに行った渋谷デート。
夫と付き合い始めに行った渋谷デート

20代で経験した永遠の別れ

Aさんは20代で大きな別れを経験した。その彼と出会ったのは18歳の時。 当時はお互い別のパートナーがいて、とくに異性としては意識していなかった。23歳ごろ、再会をきっかけに付き合うことになった。

「少し年上の彼でした。付き合ってすぐ『体調が悪い、脚が痛い、動かない』と言い出して……。がんでした。それがわかってからは1度しか会えませんでした。彼は頑張って何度も手術を繰り返したのですが10カ月後、旅立ちました」

「病気がよくなったら、Aの近くに引っ越すからね」と将来の話もしていた人との別れ。友人の結婚ラッシュが重なり、辛い日々が続いた。

「食べられない、眠れない、夜中に起きるなど、今思えばうつ状態でした。当時は今ほど精神科にかかることが一般的ではなく、抵抗があって行きませんでしたが、医療機関に助けを求めていたら、もっと回復が早かっただろうに、と思います」

事実婚を望む相手、すれ違う結婚観

2年ほど経った頃、友だちのバースデーパーティーで外国人男性と出会い、アプローチを受ける。迷いながらも交際を決めた。

「日本で生きてきた人じゃないから、亡くなった彼と重なるところが何もなく、だからこそ向き合うことができました。はじめは私だけが幸せになっていいのか、次の人生に踏み出すのは悪いんじゃないか、という思いがありました。でも付き合った彼は、そんな私の迷いも全部受け止めて、『両手で、この今ある幸せを全部つかんだほうがいい』って言ってくれたんです」

彼とは10年ちかく付き合い、でも結局結婚には至らなかった。

「彼はヨーロッパ圏の人で、自由を愛する人。入籍ではなく事実婚でいいという考えでした。けれど、うちの両親は堅い考えで許してもらえると思えなかった。私は甥っ子姪っ子がかわいくて子どもを望んでいました。子どもを育てるなら、ちゃんと入籍をしないと、という私自身の考えもありました」

35歳になっても、お互いの結婚観は平行線のまま。

「妊娠のタイムリミットを考えると、もう別れるしかないと、一方的に別れを告げ、彼の家にあった荷物を全部運び出しました。引き留められましたが、ぐずぐずしている時間はないと振り切りました」

当時の彼から送られてきた海外のお菓子。食事も生活習慣もなにもかも違って新鮮な毎日だった。「彼のおかげで悲しみから立ち直れました。今も感謝しています」
当時の彼から送られてきた海外のお菓子。食事も生活習慣もなにもかも違って新鮮な毎日だった。「彼のおかげで悲しみから立ち直れました。今も感謝しています」

「月30人会う」を目標に

それからは婚活パーティー、合コン、お見合いアプリと婚活に励んだ。

「『100人会えば、一人はいい人が見つかるはず』というのがモットー。毎週のように合コンや婚活パーティーに行っていました。第一印象がイマイチでも3回はデートしてみるっていうのがマイルール。いいところを見逃してるかもしれないじゃないですか。その方針もあって、お付き合いに発展することもしばしばありました。でも、生涯の相手と思える人はなかなか見つからず……」

気が付けば39歳。40代が目前に迫っていた。

「焦っていました。月に20~30人の男性に会うと目標を決めて頑張っていたのですが、その月はイベントがなく目標数に足りないと、無理やり相席居酒屋に行ってみたんです。我ながら変なところにまじめです(笑)」

そこで出会ったのが将来の伴侶となるSさん。

「Sはここまで長く婚活をしていなかったらスルーしていたような人。背が高いわけでもなく、どちらかといえばぽっちゃりで、本当に普通の人でした。彼は同僚と来ていたのですが、仕事の話題になって、若いけれどちゃんと仕事に情熱を持っているんだな、と感じました。その日から毎日電話が来るようになったんです」

その時はまだAさんにとってSさんは、たくさんいるいい感じの人の中の一人。Sさんと電話をしながら、他の人との飲み会も継続していた。

「だけど、合コンに指定された飲み屋さんが彼の仕事場の近くだった時に、バレて嫌われたくないな、この人を失いたくないって思ったんです。でも彼は11歳も年下。まだ結婚は考えてないかもしれないし……。『私は結婚願望あるし、もういい年だから』と、これ以上付き合わないほうがいいという意味で伝えたら、『ご両親に挨拶に行きます』と言ってくれたんです」

付き合ってすぐ、本当に実家へ挨拶に来てくれたSさん。Aさんのことを心配していた両親はとても喜び、交際を大賛成してくれたそう。10カ月後、Aさんの40歳の誕生日にプロポーズ。もちろん答えはYESだった。

プロポーズの時にくれた薔薇の花束。「嬉しくて、泣いちゃいました」
プロポーズの時にくれた薔薇の花束。「嬉しくて、泣いちゃいました」

結婚前から二人で妊活

じつは婦人科系の持病があるAさん。

「Sは最初から子どもを欲しがっていました。病気のことを伝えて、もしかしたらできないかもしれないよ、と言ったら、できなかったら二人で過ごせばいいと言ってくれ、気が楽になりました」

お互い、結婚前から不妊外来へ通い、妊娠力のチェックをしたそう。

「私は排卵障害があったので、排卵を促す薬を飲んで、タイミング療法を受けていました。41歳で妊娠した時は、奇跡が起きた!と本当に嬉しかったです。妊娠中はつわりなどもなく順調だったのですが、難産で陣痛促進剤も効かず、もうしょうがないから帝王切開しよう!と手術台に上がったところで、出産。最初の陣痛が来てから3日かかりました……」

現在はテレワークと一時保育を駆使しながら、育児と仕事の両立を頑張っているAさん。Sさんも子煩悩で、ハードワークながらも積極的に育児に関わってくれるそう。

「40代での育児は体力的にキツイけれど、子どものかわいさで頑張れます」
「40代での育児は体力的にキツイけれど、子どものかわいさで頑張れます」

家族みんなが元気でいることの奇跡

大人婚のメリットとは。

「私、長い長い婚活時代が本当に辛かったんです。婚活って努力したからって絶対結婚できるとは限らない。このまま生涯孤独かもって不安で……。だから、今、こうして夫と家族になれたのが本当に幸せで、多少のケンカがあっても許せるし、向こうがイライラしていてもうまくかわせられます。もっと若かったら、このありがたみに気づけなかったと思います」。その思いには死別した過去も関係している。

「今でも時々、Sの健康を過剰に心配してしまうんです。ぽっちゃりなのが気がかりで、食事は野菜多めに、昼もお弁当を持たせています。好きな人がずっと元気で共に生きていけるとは限らない。命の尊さを知りました。子どもも含め、家族みんなが長生きなのが何よりの願いです」

永遠の別れに苦しむ人へメッセージをいただけますか。

「精神科やカウンセリングへ迷うことなく行ってほしい。元気になるために医療の力を借りてほしいです。そして、自分が前に進むことに罪悪感を持たないでほしい。そんなことを亡くなった人は望んでいないから。今生きている人はみんな、幸せをつかもうとしていいんです」

(写真:本人提供)

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「もうなにもなくなった」 過労で仕事を辞めた44歳、結婚の道を拓いてくれたのは母でした 片思いをこじらせ交際経験ゼロ。“結婚は人生の墓場”だと思っていた私が、幸せな家庭を築くまで
エッセイスト/ライター。エッセイ集『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎)2024年7月発売。出版社で雑誌・まんが・絵本の編集に携わったのち、39歳で一念発起。小説家を目指してフリーランスに。Web媒体「好書好日」にて「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。特技は「これ、あなただけに言うね」という話を聞くこと。note「小説家になりたい人(自笑)日記」更新中。