作家・古矢永塔子さん「ぬか漬けは子育てに似ているし、夫婦や家族関係にも通じる」
――『今夜、ぬか漬けスナックで』は、音信不通だった母の訃報を知った主人公の女性・槇生が、瀬戸内海に浮かぶ小豆島のスナックで自家製のぬか漬けを振る舞ううちに、“他者”との関係を築いていく様子を描いた物語です。各章のタイトルが「水抜き」や「捨て漬け」、「差し水」など、ぬか漬けを作る工程がついていておもしろいなと感じました。本作の着想のヒントになったことやきっかけから教えてください。
古矢永塔子さん(以下、古矢永): 「30~50代の女性に向けて書くなら、健康や美容にいいものを題材にしたらどうかな」と思い、スタートしました。
私自身、ぬか漬けに興味を持っていたこともあり、少し調べてみました。すると「本当に生き物みたいだな」って感じたんです。放っておいてもダメだし、手をかけすぎてもいけない。そんな所は子育てに似ている。ということは夫婦や家族関係も通じるのではと感じ、「ぬか漬け」の一つ一つの工程を膨らませて、エピソードにすることにしました。
――私は「水抜き」の話が好きなのですが、古矢永さん自身が思い入れのある工程は?
古矢永: 第一章のタイトルにした「足し塩」ですかね。ぬか漬けって使い続けていると野菜に塩分が吸われてしまうんです。なので、時々塩を足してと丁寧にかき混ぜるのですが、塩を入れると、状態を乱してしまう。表面上はうまくいっている中にあえて塩を入れる、実生活で言うと、あえて問題提起をするみたいなことが自分の中では一番苦手な分野。だから、そういう工程があることがとても響いたし、作品でも重要になりました。
10年ぐらいかけて「家族になれたな」
――小説でも重要な役割を持つ「ぬか漬け」。最近は手軽に始められるキットの発売や、コロナ禍などもあり、自宅でぬか漬けを始めた人が増えているそうです。かくいう私もそうですが、実が何日か放置してぬか床をダメにしてしまってそのまま断念してしまい……長く続けるコツやアドバイスはありますか。
古矢永: 「毎日ちゃんと面倒を見なきゃ」って、気負わなくてもいいと思います。そう思えば、義務感が生まれたり、億劫になったりするので。少し調子を崩してもなんか足せばいいや、みたいな気軽な感じで付き合っていくといい。私はやったことがないですが、しばらく離れたい時は冷凍することもできるらしいですし。
――『今夜、ぬか漬けスナックで』では、血のつながった人同士の関係から生まれる悩みや問題と、血縁関係のない人同士の絆の双方が描かれています。
古矢永: 私自身、結婚する前は東京にしばらく住んでいたんです。結婚後は高知に引っ越したんですが、当初は家族が誰もいない状態。血が繋がってない夫とだんだん家族になっていくという経験をしました。
改めて実感したのは、大人になったら自分が好きで選んだ相手と家族になれるんだなっていうこと。夫ともそうですが、夫の両親とも今はしっくりするようになりました。10年ぐらいかけてやっと「家族になれたな」っていうような感じです。
一方で、自分の血が繋がっている家族とは、大人になるにつれてちょっとギクシャクするというか、今までみたいには付き合っていけない、という難しさを感じています。
「ちゃんとぶつかり合えば私たちは分かり合えるはず」みたいな思い込みがあることで、両親と折り合いが悪くなってしまった時期もありますが、関係性というものは徐々に変わってゆくものだなと実感しています。
高知への移住、「ぐいぐい関わってきてくれる」
――古矢永さんはご出身が青森、そして現在は移住して高知に住んでおられます。
古矢永: 高知県出身の夫とは大学時代に青森で出会いました。卒業後は、彼は地元に戻り、私は東京だったので、遠距離恋愛。たまにしか会えないし、お互いの良いところしか見られないので、とりあえずちょっと一緒に住んでみて、結婚できるかどうかを決めたいねという話をして、高知に行こうと決めました。
移住には不安もありましたが、東京での仕事がものすごく忙しく、ストレスもあって体を壊してしばらく入院したことがあって。その時に「この先もずっと同じ仕事をしている場合なのかな?」「これからの自分の人生をどうするか決めたいな」という気持ちもあって。
ただ高知に行ったら、もう何から何まで違うなという感じでした。やっぱり違う土地から来た人に対して、地元の人たちがぐいぐい関わってきてくれるので(笑)、当初はすごく戸惑いました。
――作中、都会から小豆島に移住した梨依紗が、寝込んでいた主人公の槇生のもとにやって来て、「槇生ちゃんは、心のどこかで自分のことを、人に見捨てられても当然の人間だと思ってるんじゃない?」と言ったセリフが印象に残っています。親から愛されなかったことで、いつの間にか生まれてしまった槇生の自己肯定感の低さ。こうした表現には、どのような思いを込められたのでしょうか。
古矢永: 親が昭和生まれの世代の子どもは厳しく育てられてきたと思うんです。うちの家庭は特にそう。学校でも「もっと頑張れ」みたいなことを言われ続けて育ってきました。そして私の就活の時はちょうど就職氷河期。なかなか就職が決まらなくて、「自分は社会に必要とされてない人間なんじゃないだろうか」と打ちのめされる。
そういう経験から生まれた凸凹の凹の部分、つまりは自己肯定感の低さから「人に弱点を見破られたくない」「もっと頑張って自分の凹を埋めなきゃ」って思っても、なかなか助けを求められない人が、私を含めて多いんですよね。しかもギリギリまで我慢して「もう本当にダメだ」となった時に誰かに助けを求めたとしても、タイミングが悪くて助けてもらえないみたいなことも・・・・・・。そして断られたこと自体にまた傷つく。
「もっとカジュアルに人に助けを求めていいんだよ」というメッセージと、見捨てられたとしても「そうされて当然の人間とは思わなくていいんだよ」という気持ちを込めて書いた部分ですね。
娘のための絵本づくりから始めたら
――自分の中の凹を埋めるために、古矢永さんはどんなことをされましたか。
古矢永: 私は子どもが生まれたことがすごく大きかった。赤ちゃんって、お母さんのことを無条件に愛して、感情をまるごとぶつけてくれるんです。そんな経験をしたことがなかったからこそ、「凹の部分を埋めなきゃ、隠さなきゃ」って思っていたんですけど、その時に凹の部分も含めた自分を肯定されたような気持ちになったんです。
――小説家を志したのはお子さんが生まれてからだそうですね。
古矢永: 大学の学部が文学系だったので、そもそも小説を読むのは好きだったんです。でも、子どもが生まれてからは、本を読む時間が全く取れないし、読んだとしても頭の中に文章が入ってこないみたいな状態が続いていて・・・・・・。そんな時に、当時流行っていた携帯小説を読むことが息抜きになったんです。携帯小説って片手で読めるし、内容も1ページごとにアップダウンが激しいので、育児でぼーっとしている頭でもすっと入ってくるんです。
それでも最初に書いたのは絵本。娘がすごく好きだったので、娘を主人公にして絵本を描いたら喜ぶかなと思って、誕生日のプレゼントとして毎年、渡していたんですね。
ただ娘が6歳ぐらいの時に欲しいものが自転車といった具体的なモノになって「絵本はもう卒業かな」っていう時に、物語を書かなくなることに寂しさを感じたんですよね。それで、その前に読んでいた小説のサイトに私が書いた物語を投稿したら、運よく書籍化するお話をいただいて。そしてデビューしたという感じです。
――古矢永さんは、高知へ移住し、35歳で小説を書き始められるなど“一歩”を踏み出して来られました。一方、20代後半から40代前半のtelling,読者の女性の中には「一歩を踏み出せない」「好きなことが見つからない」という人もいます。
古矢永: 一歩が踏み出せなかったり、思い切りが出なかったりするのは、自己肯定感と関係しているような気がします。この作品の「捨て漬け」の章でも書きましたが、間違うことや、無駄と思ったことでも、それを通ってきたから“今”がある。
私自身も「選んだ方をやるしかない」みたいな気持ちが強いですし、たとえミスをしたとしても、それを本当の意味での失敗にするか否かは、その後の自身の行動や気持ち次第。だから、“立ち止まる”よりも“選んでやってみる”しかないかなと思います。
ただ、あえて言えば、私としては挑戦しない生き方があってもいいとも考えています。今の自分の状態が幸せであれば、それでいい。
多様な家族の在り方、結婚にこだわる必要はないが…
――小説家として、そしてご自身の今後の目標を教えてください。
古矢永: 小説家としては1冊でも多く、出版することができればいいなと思います。
私自身で言うと、健康的な老人になりたいです(笑)。子どもたちが親離れをする時期に入りつつあるのですが、この子たちが大人になった時に、親のことをあまり気にかけず、伸び伸びと生きていけるくらいの。「お母さんはお母さんで勝手に元気にやっているわよ~」と、なっていたいなと思います。
――本作にも、そういった家族の距離感や在り方をさりげなく提示していらっしゃいます。
古矢永: 今は「無理に結婚をしたり、子どもをつくったり、家族を持ったりしたりする必要はない」という考え方が主流。私もこだわる必要はないとは思います。両親が不仲だったから、将来結婚して子どもを持つイメージが描きづらいという人も多い。
ただ、今の私もそうですが、大人になって自分が選んだ人と結婚したら、自分が作りたいと思う家族を一緒に構築していくことができる。
この作品に登場する主人公の槇生と亡き母の夫だという伊吹も、血は繋がっていないけど「家族」として一緒にいる。こんな“家族の在り方”もあっていいんじゃないかという思いを込めたんです。
●古矢永塔子(こやなが・とうこ)さんのプロフィール
1982年、青森県生まれ。弘前大学人文学部卒業。2017年より小説を書き始め、18年、『あの日から君と、クラゲの骨を探している。』(宝島社)でデビュー。2020年、『七度笑えば、恋の味』(小学館)で小学館主催の第1回「日本おいしい小説大賞」を受賞。