「“大人はこうあるべき”に縛られていた」東松寛文さんが旅に出て変わったこと
●自分を変える、旅をしよう。#30 東松寛文さん(34)前編
――2012年から旅をするようになったという東松さん。旅にハマる前は、どんな生き方をしていたのですか?
東松寛文さん: 「大人はこうあるべき」という、勝手な思い込みに縛られていました。新卒で入った“年功序列”の会社で、定年まで働くのが当たり前。仕事を何よりも優先するべきだと思っていたので、平日は朝から晩まで働き、休日も仕事に備えて休息する……。「忙しいこと」がステータスで、自分の時間がないのが正しいこととまで思っていました。実際に入社した会社は激務と言われる広告代理店で、とにかく仕事に追われていましたね。
――「ザ・社畜」って感じがして、心配になりますね……。ストレスがたまりませんでしたか?
東松: 「大人はそういうものだ」と思っていたので、悩みも疑問もありませんでした。むしろ忙しいほど、生きている実感のようなものがあって。それはそれで充実してましたね。激務な生活を前向きに捉えて謳歌していたかな。
後に気付いたのですが、当時は仕事以外の時間の使い方が分かっていなかったんですよね。旅に出合ってからは、仕事だけの毎日よりも、何十倍もの充実した日々が待っていましたから。
――旅はいつからするようになったのでしょうか。
東松: 2012年、社会人3年目のゴールデンウィークに、初めて1人で海外旅行をしたんです。
きっかけはアメリカのプロバスケットボールリーグ・NBA。僕、渡航する数ヶ月前、仕事帰りの電車の中でNBAのサイトを見ていたら、疲れすぎて血迷ったのか、休みが取れるはずもないのにチケットを購入してしまって。当時の僕は部署の中で一番の若手。「休みたい」なんて気軽には言えません。
ですが、そのチケットを取ったことで勇気が湧いて、有休取得を上司に始めて相談。無事有休を取ることができて、ロサンゼルス行きが叶いました。
旅は3泊5日と、短いものでした。でも日本での生活とは比べ物にならないくらい、非日常の連続。僕は英語が話せないのですが、それでも意外となんとかなることも分かりました。
印象に残っているのは、曜日に関係なく人生を謳歌している大人たちの姿。働き盛りのような人たちが、昼間からテラスでお酒飲んでいたり、サーフィンしてたりしたんです。それまで「平日は仕事だけする」という世界に生きてきましたが、まったく違う世界に衝撃を受けました。
そんな生活が自分にもできるとまでは考えませんでしたが、もっといろんな世界を見てみたくなって。週末や3連休で海外へ行く生活を始めました。
僕、「休みをください」と気軽には言えない繊細なハートの持ち主なんですよね。だから上司の顔色をうかがう必要がない、週末や3連休に旅行に行くようにしていました。土日でも、遠いところではオーストラリアのタスマニア島や、3連休にアメリカ・ロサンゼルスやイランに行くことができましたよ。
――すでに70カ国159都市を回ったそうですが、一番印象に残っている旅先はどこですか。
東松: 2015年5月に行ったキューバですね。社会主義のキューバは、国民のほとんどが公務員で、配給制度があり、医療費も学費も無料。平均年収が24,000円程度(当時)と言われていたこともあって、行く前は「恵まれた国ではないんだろうな」と思っていました。そのため首都ハバナの空港に降り立った時は、少し身構えて行動していたことを覚えています。
でも街で出会った人々は、イメージとは正反対で。家に招いてご飯をご馳走してくれる人やダンスパーティーに誘ってくれる人、汚れた靴を洗ってくれる人……。僕が出会った方々は皆、チップなどの要求はなく、満面の笑みでおもてなしをしてくれました。僕はキューバの人たちより稼いでいますが、同じことを他人にできる自信はありません。
豊かさというのは置かれた環境や年収といった、外形的な要因で客観的に決められるものではない。自分の心が決めるのだ――。キューバでの出会いを通じて、そう考えるようになりました。
「大人はこうあるべき」という思い込みを疑い始めたのも、この頃です。「自分が本当にやりたいことは何だろう」と真剣に考えた結果、2016年1月に「リーマントラベラー」が誕生しました。
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