就活で60社から内定を見送られて「キャリア迷子」に。やりたいことが見つからなかった私が、ケニア移住で見つけたもの「RAHA KENYA」CEO河野リエさん

ケニア在住の河野リエさん(34歳)は、アフリカ布を使ったアパレルブランド「RAHA KENYA」を32歳で立ち上げました。現在はケニアで子育て中の一児の母でもある河野さん、大学卒業時は就活で受けた60社すべての選考に落ち、就職難民になった過去もあるそう。やりたいことを見つけられず、紆余曲折の20代を過ごした河野さんが、30代で海外移住を決意し、起業家として会社を起こすまでのストーリーとは。

 就活は全滅、キャリアもちぐはぐ。そんな私が30代からケニアに移住した理由

――河野さんはどのような経緯で、ケニア移住を決意されたんですか?

河野リエさん(以下、河野): 移住のきっかけは、結婚です。でもケニア移住に至るまで、かなり紆余曲折のある人生を歩んできました。学生時代は法政大学に在学していて、ごく普通の学生生活を送っていたつもりでした。周りの友人たちからは「明るくて盛り上げ上手」なキャラクターで通っていて、自分でもどこでも働けるんじゃないかと思っていました。

でも、いざ就活をはじめてみたら、受けた企業60社、すべて選考落ち。どの企業にも、興味を持ってもらえなかった。その後、悩んだ末介護の現場で働いたり、教師を目指そうと通信制の学校に通い直したり、それでも教師にならず派遣社員として事務OLになったり……。自分のやりたいこと、自分に向いていることがなんなのか分からず、20代の貴重な時間を無駄に使ってしまったと思います。

学生時代の河野さん

――そんな中、結婚をきっかけにいきなりケニアへ?

河野: 派遣社員として入った不動産会社で、今の夫と出会いました。彼は渡航経験が多く、交際を決めた頃にはすでに、海外での起業を考えていました。それに比べて私は、就活でプライドをへし折られてから、ずっと挫折からの抜け出し方が分からなかった。周りはみんな、やりたいことを見つけて正社員として働いているのに……現状を変えたくても、うまく行動できない自分に、苦虫を噛みしめるばかりでした。

自分ひとりでは、海外移住なんて考えられなかったと思います。でも、頼れる彼が一緒なら、こんな私でも新しい道が開けるかもしれない。そう思うと、むしろありがたい機会だと思いました。こうして、結婚と同時に彼とのケニア移住を決意しました。

――ケニアに移住してから、起業することを意識したのですか?

河野: もともと、起業したいという思いはありませんでした。というより、自分には起業家なんて務まるわけがないと思っていました。起業のきっかけは夫の勧めで「いつかやりたいことが見つかった時のために会社を持っておけばいいじゃない」と言われたこと。夫が会社を立ち上げる時に、なんとなく私も登記してもらったんです。

最初はケニアに来てからも、日本の企業とリモートワークで働いていました。英語も喋れなかったし、治安も日本より良くないので、外に出るのも怖かった。でも、夫は起業した会社でやりたいことを見つけて働いているのに、私はケニアに来てもキャリアを変えられないのかと、結局周りと比べて劣等感に苛まれる自分もいました。

――では、アパレル事業をはじめたきっかけは?

河野: 実はケニアに来て2ヶ月ほど経った頃、引きこもりになってしまったんです。自宅マンションの警備員さんとの世間話で「ケニアに何をしにきたの?」と聞かれても、私は答えを持っていない。ケニアという未知の土地で、自分が何も持っていない人間だと再認識し、劣等感に押し潰されそうでした。何者かになりたいのに、なり方が分からなくて、怖くて誰にも会えなかった。

そんな時たまたま気になったのが、アフリカ布を身に纏っている女性たちの姿でした。ケニアには好きなアフリカ布で洋服を仕立てる文化があって、道端にミシン一台で客引きする仕立て屋さんたちがたくさんいるんです。引きこもりで気分が沈んでいた時、アフリカの色彩の強い布で作る洋服に手を通してみたくなって。はじめて布を選んで、自分のサイズに合った洋服を作ってもらいました。

その服を手に通してみた時、とても前向きな気持ちになったんです。周りの目を気にせずに、派手な色彩の服を着たのははじめてのことでした。それが、事業をはじめるきっかけ。私と同じような、周りの目を気にしてしまう日本の女性が一歩踏み出す手助けをしたくて、アフリカ布を使ったアパレルブランドを立ち上げることを決めました。

――事業をはじめるのに、不安はありませんでしたか?

河野: 知らない土地での起業はもちろん不安だったけど「変わりたい」という思いが大きかった。でもやっぱり、夫の後押しがあったことは大きかったと思います。認めてくれる人がいたからこそ、大きな一歩を踏み出す勇気が持てました。事業をはじめてからも、子どもを見てくれているシッターさんやお世話になっている仕立て屋さんなど、ハッピーなマインドの人々に囲まれていたから、不安でも前に進めました。

ケニアのカラフルなファッション感に影響を受けて

――アパレルブランドを立ち上げる前から、お洋服が好きという気持ちはありましたか?

河野: 周りには気丈に振る舞っていましたが、もともとかなり自己肯定感が低かったんです。だから、日本にいた頃の服選びの基準は「周りから浮いていないかどうか」。手持ちの服はアースカラーやモノトーンの服ばかりで、とにかく地味で無難。おしゃれが楽しいという感覚はありませんでした。

でも、ケニアの人々と話すようになってから、少しずつ自分のファッションに対する印象が変化していきました。ケニアの人々は、自分の個性を表現するためにファッションを楽しみます。色彩の強い服を堂々と着こなし、自分らしさの象徴として、ボディラインもしっかり出す。誰にどう思われるかなんて、気にしていないんです。仕立てたお洋服に手を通してみる時も、みんな道端でも堂々とポージングします。ケニアの人々のファッションに対する姿勢を見て、服に興味を持つようになりましたし、だからこそあえてカラフルなアフリカ布の洋服に手を通してみたくなった。

――ケニアの人々のファッションはどんなものなのですか?

河野: ケニアと言っても、私の住んでいる地域は発展しているので、アフリカ布を使った服も、民族衣装ではなくワンピースやスカートを仕立てる人が多いです。ケニアに来てすぐの頃、私が暗い色の服を着ていると、ケニア人の女性によく「どうして?」と聞かれていました。ケニアの人々のファッションは、とにかく派手でビビッドですから。

逆に仕立てた服を着ていると、知らない人がすれ違いざまに「その服素敵ね」と褒めてくれます。みんなお気に入りの布屋さんや仕立て屋さんが決まっているので、どこで作ってもらったかシェアしています。個性を認め合う文化に触れてファッション観も変わったし、自己肯定感も高まっていきました。

――アパレルブランド「RAHA KENYA」も、ケニアの人々のファッションマインドを汲んでいるのですか?

河野: 自分に自信が持てず、行動もファッションもつい保守的になってしまうという人はたくさんいると思います。そんな人でも、もっと自信を持って自分の個性を表現できるように。そんな思いで「RAHA KENYA」を立ち上げました。思わず目を惹く個性的な色合いのアフリカ布を使って、ワンピースやパソコンケースを製作しています。デザインは私が起こし、縫製はケニアの仕立て屋さんたちにお願いしています。

――現在、どのような基準でお洋服を選ぶようになりましたか? 

河野: 今は自分の興味関心を軸に、洋服を手に取るようになりました。「私がこれ着たらどうなるのかな?」という好奇心から、着たことのない色の服を着てみたい、見たことのない自分を見てみたいと思うようになった。周りの目を気にして「自分に似合いそうなもの」という基準で服を選ばなくなりましたね。好きなスタイルがどんなものか、自信を持って言えるようになりました。

好きな服も人生も。自分で決めて「図々しく生きる」

――ケニアに来て最も変化したことはなんでしたか?

河野: 「自分の幸せ」を追求できるようになったことですね。日本での私は、周りからどう思われるか、自分はどう人の役に立てるのか、周りが楽しめているのかどうか……世間体や人の目に振り回されていたように思います。

でも、ケニアの人々は今を生きることに一生懸命で、どうしたら自分が幸せになれるのかを根源的に考えています。ケニアは発展途上国で、日本と比べると貧富の差も激しい。だからこそ、毎日「楽しく生きること」に忠実です。そんな彼らを見ているうちに、自分も「図々しく生きてみよう」と思えるようになりました。

RAHA KENYAのアフリカ布のパソコンケース

――キャリアで悩まれたことも多かったと思いますが、仕事観はどうでしょう。

河野: ケニアでは、日雇い労働で働く人が多いんです。口座を持っていない人が多いので、スマホのキャッシュレス決済を使って、日払い賃金をもらって働きます。朝になると大手企業の工場がその日の労働者を雇い入れるので、毎朝工場の前に大行列ができます。そうしてその日の夕食代を得て、買い物をして帰るのがケニアの人々の暮らしです。

日本にいた頃は、仰々しく自分が「仕事を選ぶ」という姿勢でした。自分にしかできないことを探していた。でも、今は自分がやりたいことの中から、自分が関われる部分はどこなのかを考えるようになりました。自分のダメなところを受け入れて、キャリア形成を柔軟に考えられるようになった。

――最後に、お子さんが大きくなった時、どんな服を選んであげたいですか。

河野: 彼女の好きなものを、彼女が自分で選ぶのがいいと思います。私は洋服だけでなく、人生も親に言われたとおりのものを、自分で咀嚼して思考せず選んできました。だから、どんな仕事をしたいのかも、着たい服すらも自分で選べなくなってしまっていた。だからこそ、娘には洋服も自分の人生も、自分で思考して選択していってほしい。娘だけでなく、日本で「自分らしさとはなにか」悩む女性にも、その大切さを伝えていきたいです。

RAHA KENYAはこちら

1992年生まれ・フリーライター。広告業界で絵に書いたような体育会系営業を経験後、2017年からライター・編集として独立。週刊誌やWEBメディアに恋愛考察記事を寄稿。Twitterでは恋愛相談にも回答しています。