【田渕久美子が説く#3】チョコレート、女性から男性に贈る、でいいの?

朝の連続テレビ小説「さくら」や大河ドラマ「篤姫」(ともにNHK)の脚本などで知られる田渕久美子さんは、女性の生き方を支援する「女塾」も主宰しています。そんな田渕さんから20~30代の女性へのアドバイス。10都府県で緊急事態宣言が継続されるなど、コロナ禍の収束はまったく見通せません。外出自粛で“出会えない”今だからこそ、男女の関係について考えを巡らしてみませんか。

“特別な日”だからこそ・・・

今日はバレンタインデー。

その由来には諸説あるけれど、わが国では、女性が想いを寄せる男性にチョコレートを渡し、愛の告白をする、なんてのが、まあ、一般的ですよね。この習わし(?)は私が中学生の頃から始まり、当時は、クラスの女子たちと、男子に不二家のハートチョコレートなどを贈っていましたっけ。また、以前は、ドラマの打ち合わせで男性スタッフや俳優さんに、いわゆる「義理チョコ」を渡したりして人間関係の潤滑油にしたりもしていました。

義理チョコに対する「本命チョコ」を渡す人たちには、今日は特別な一日となるのでしょうか。

欧米などでは、恋人たちがお互いにプレゼントを渡し合ったりなど、日本とは逆で男性から女性へプレゼントをすることが多いそうですね。

では、なぜ、日本では女性から、なのでしょうか? そしてそれに疑問を抱いた人が、男性から女性へお返しをするホワイトデーなるものを考えついたのでしょうか?

実は私、この「女性から」、というのがあまり好きではありません。日本の男女の有り様を表現しているようでなんだかイラっとするのです(笑)。

“森発言”の問題点、ピンと来ていますか?

女性蔑視発言で叩かれ辞任した東京オリ・パラ組織委員会の森喜朗会長の例を出すまでもなく、わが国はまだまだ女性の立場が低い国です。「ジェンダー・ギャップ指数」で全153か国中121位。先進国と呼ばれる日本がですよ。泣けてきます。それは政治の世界を見れば一目瞭然で、女性の「政治参画指数」では世界最低10カ国に入っています。衆院議員の女性の割合が約10%って、もう笑いが出ます。いえ、異常事態です。

私は、過去に「江」と「篤姫」という2本のNHK大河ドラマを書きました。時代はそれぞれ戦国と幕末です。その時知ったのですが、織田信長や豊臣秀吉らが活躍した戦国時代は女性が実にイキイキ伸び伸びしており、自由に出歩き、積極的に男性ともつき合い、浮気もしたり、自分から別れを切り出したりと、かなり奔放だったらしいのです。いわゆる女性が三つ指ついて、男性に従うという形ができたのは、その後の江戸時代で、儒教の影響があると言われています。

時は流れ、昭和に入っても、「女は文句を言うな、黙ってついてこい!」てな感じで、奥さんのことを「家内」なんて呼んだのもその名残でしょうか?(女性も夫を「主人」と呼ぶ人もいて、あれもあまり好きではありません……!)

家のことは女がやり、男は外で働くが当たり前だった頃とは違って、今や女性の社会進出はあたりまえ。男性同等に、いえ、細やかな上に腹も据わっている分、女性はとても優秀だと思います。それなのに、いまだに我が国は男性優位ですべてが動いているように思える。

そして、だからこそと言うか、先ほどの森元会長などの時代錯誤ともいえる発言に批判が集中しているようにみえて、実のところ、ピンときていない人が多いのではないかと思うのです。海外メディアの「ありえないだろう!!」という強烈な怒りや呆れっぷりに、「そうだよね!」なんて反応はしたものの、本当のところはよくわからない男性が、いえ、もしかしたら、女性も少なからずいたのではないかと勘ぐってしまうのです。

それくらい、私たちは、男性上位の社会に暮らすことに慣れきってしまっている。

実は、私ごとですが、先日、前の夫の母親、つまり元姑が亡くなり、その葬儀に行ってきました。祭壇の遺影を見て、こみ上げてきたのは、「お義母さん、あなた、本当に私をイジめてくれましたねえ……」というつぶやきと苦笑でした。

私が結婚したのは、今から29年前で、それから離婚するまでの間、私はもう実に、いわゆる「お嫁さん」としての教育を叩き込まれました。姑は神戸の生まれ育ちで、ハイカラを自認し、年を取ってからもパソコンやスマホを使いこなすような人だったのに、こと結婚、嫁、となると、話は違うとばかりに、たとえば、盆暮れ正月は婚家に行くのが絶対で、実家に帰ることも許されませんでした。また、私はいわゆる長男の嫁だったので、法事などの行事はどんなに忙しくても出席しなければなりません。

当時は、子育てをしながら、年に3本もの連続ドラマを書く、なんて異常な忙しさのなかにあった私は、徹夜で仕事をし、そのまま始発の新幹線に飛び乗り神戸へ。その日の行事を済ませると、最終で東京に戻り、原稿の続きを書く、なんてのはもう当たり前でした。

そもそも、私は外国人男性たちとのつき合いを通じて、彼らの大人っぷりや、女性への優しさや理解の深さに驚愕し、「私は外国人としか結婚しないぞ!」なんて誓っていたくらいなのです。そんな私が日本の男性と結婚し、しかも姑が超難物だった!

元夫の名誉のために申しますが、彼はアメリカ留学経験者でもあり、家事もすべてこなすという、かなり「開けた」人でした。なのに、なぜに姑はあれほど頑固で、また、私は、そんな姑にはっきりとノーと言えなかったのでしょう。

まずは何より、考え方の違いすぎる相手と争うのが嫌だったこと。一緒に暮らしているわけではないし、面倒だから合わせておけばいいや、という気持ちもありました。なんせ当時はあまりに忙しく、モメている場合ではなかったというところもあった。そして、私の母の教育もありました。女は妻として母として生きるのが最上の喜びと言ってはばからない母に猛反発して家を飛び出した私でしたが、それでも言われ続けたことは知らず知らず血肉となっていたのでしょうか。

そしてもうひとつ、私自身、仕事での差別を受けにくかったということもあります。仕事相手のほとんどが男性だったことが、まずはそもそもに異常なことなのですが、それでも、私はフリーランスであり、実力がものを言う世界では、男女の差別は少なく、仕事場での差別そのものへの感度も鈍かったのだと思います。

でも、だからこそと言うか、例の森さん発言で世の中が騒がしくなったとき、私は大いに反省したのです。私のように、面倒くさいなんて言って姑や世間のありようを、どこかで開けて通してしまった結果が、私の後輩にあたる女性たちの未来を息苦しいものにしてしまったのかもしれない、と。

今日、疑うべきはそれぞれの「当たり前」

幸いなことに、母や姑を反面教師にした私の自由な子育てが功を奏したかどうか、23歳の娘はやりたいことを自由にやり、「辞めるべきは森さんだけじゃない! まだいるだろう!」などと言い放つような娘に育ちました。27歳の息子も同様で、さらに、食事の支度から掃除洗濯、すべての家事を当たり前にこなします。

話がそれました。
ともかく私自身の例からもわかるように、男女平等には、男性ばかりではなく、同性までもが女性の足を引っ張ってきたのではないかというお話です。

だからこそ、ここでお願いです。

皆さんもいま一度、胸に手を当て自分に問うてみてほしいのです。自身の中に、どこかで男性の優位性を認めている部分があるのではないかと。皆さんの親世代はともかく、祖父母の世代はもうどっぷり男性上位だったはず。それを感じ取って育っている皆さんは、男性が優位であるとは認めないまでも、どこかでなんとなく受け入れてしまっているかもしれません。

世の中を変えるには、それまでの「当たり前」を疑うことから始まります。

皆さんの世代が、男性との対等で幸せな関係を築くためにも、「バレンタインに女性から男性にチョコレートを渡すのでいいの?」と考える人がもっと増えない限り、この国が本当の意味で成長し成熟することはないのだと感じます。

国や性別によって差別されるということは、良い悪い以前に、とても「貧しい」こと。

だからこそ、今日という日だからこそ、改めて、「あなたたち男性と、私たちは真の意味で対等なのだ」と、チョコレートやプレゼントと一緒に、そうした気持ちも伝えてみる、そんな一日に、是非してみて欲しいのです。

島根県生まれ。脚本家・作家。多数のテレビドラマの他、映画、舞台、ミュージカル、落語、狂言、オペラなども執筆。連続テレビ小説「さくら」(NHK)では橋田壽賀子賞、「冬の運動会」(TBS系)で放送文化基金賞。NHK大河ドラマの「篤姫」が大ヒット、「江~姫たちの戦国」では脚本にくわえ原作も手がけた。近著に『おね』上下巻(NHK出版)など。女性の生き方を支援する「女塾」主宰。講演会、脚本セミナーなど活動は多岐にわたる。2020年5月のNHKスペシャルドラマ「路(ルウ)」(日台合作)では脚本と主題歌を作詞を担当。