役員待遇に昇格のテレ朝・大下容子アナ「寝耳に水、晴天の霹靂…」たどりついた現在地

かつての女性アナウンサーは、一定の年齢に達すれば退社するケースも少なくありませんでしたが、近年は管理職になるケースも増えました。今年6月、テレビ朝日の役員待遇・エグゼクティブアナウンサーに昇進した大下容子さんもその1人。第一線で走り続ける大下さんに、転機や番組に臨む姿勢などについてお話をうかがいました。

試験で芽生えたアナウンサーへの思い

――エグゼクティブアナウンサーに今年、昇格されました。

大下: 辞令を聞いた時は青天の霹靂。役員待遇という意味もわからず、何も考えられませんでしたね。「みんなの目標になってほしい」と言われたので、私は現場の意見を上に伝えていくことが、自分の仕事かなと思いました。「アナウンサーとしてこういう歩み方もある」ということを会社が示したかったのかな、と今は勝手に解釈しています。

――なぜ、アナウンサーを目指したのですか。

大下: 最初から目指していたわけではありません。私はやりたいことや適性、そして世の中にどんな仕事があるのかさえよくわかっていない、のほほんとした大学生でした。そこでいろんな業種の先輩に話を聞きましたが、放送業界の先輩はおらず、リアルな職業としてはまったく考えていませんでした。大学の就職部にも情報がなかったので、アナウンサースクールのような所へ3ヶ月通うことにしたんです。「アナウンサーになりたい」という気持ちは、試験が進んでいくうちに芽生えてきましたね。スタジオでのカメラテストなど雰囲気を味わううちに、「こういうところで仕事ができたら楽しいだろうな」と執着心が出てきました。

「スポーツが好きだ!」の確信から寝耳に水の辞令…

――長く活躍される大下さんにとっての転機を教えてください。

大下: 今、考えると98年ですね。まず2月の長野五輪。私は当時、朝の情報番組「やじうまワイド」のスポーツコーナーを担当していて、長野へ1ヶ月間行きっぱなし。スポーツが大好きで、入社前は「五輪取材なんてできたら夢のようだろうな」と思っていたのでもう嬉しくて楽しくて。モーグル女子の里谷選手の金メダルに始まり、船木選手や原田選手が参加した男子スキーのラージヒル団体の金メダルも――。毎日中継する中で「本当にスポーツが好きだ!」と確信し、スポーツで頑張っていこうと決意をしていました。

6月にはサッカー日本代表が初めてW杯に出場することになり、どうしても現地のフランスへ取材に行きたくて、担当していた「GET SPORTS」という番組のプロデューサーに企画書を出して頼み込んだ。普段のんびりしているけどやりたいことがあるとエネルギッシュに行動していることに今回振り返る機会を頂いて初めて気が付きました(笑)。
日本は1次リーグで敗退しましたが、自費で決勝のチケットをなんとか手に入れて休暇を取り2泊4日でパリのメインスタジアムで観たのです。開催地のフランスの優勝で、シャンゼリゼ通りがすごい盛り上がり。その様子をパリの公衆電話から急遽リポートして……。「こんな仕事ができるなんてアナウンサー冥利に尽きる」とさらに仕事が楽しくなったわけです。

――それなのに、98年秋からは情報番組の「ワイド!スクランブル」を担当することに。

大下: W杯から帰国した直後に、「10月からワイドショーの司会だから」と言われました。スポーツでやっていこうと決意していた私には寝耳に水の辞令……。戸惑いました。ただ先輩から「ワイドショーはワイドだからスポーツも扱うのよ」と言われて、納得したんです。それからあっという間に22年経ちました(笑)。

名前が番組名に 喜んでくれた周囲の女性

――2018年10月からはメインMC。19年4月から番組名が、ご自身の名前が冠となる「大下容子ワイド!スクランブル」になりました。

大下: (前キャスターの)橋本大二郎さんのあとを引き継ぐのが、ただでさえプレッシャーなのに、自分の名前が付くなんて…。「さりげなく仕事をするのが私の性に合っているので、困ります。名前は勘弁してください」と訴えたのですが、断り切れませんでした。考えてみると、同じ時間帯の他局の番組の司会者が、南原清隆さんや恵俊彰さん、坂上忍さんと華やかな方が揃っているのに、私はあまりにも地味。「番組に名前だけでも付けないと」という会社の苦肉の配慮だったのかもしれません。

ただ、その時に意外なことがありました。会社の先輩、同世代や社外の女性たちが、すごく喜んでくれたんです。驚きと同時にありがたくて。引き受ける意義があるのかなと思いましたね。

――名前が付いたことでプレッシャーは大きいと思いますが、どのような準備をされて番組に臨んでいるのですか?

大下: 下調べを入念にするようにしています。番組は朝10時25分からですが、出社時間はどんどん早くなってきました。今は6時前には出社、スポーツ紙を含め新聞各紙を抱えてアナウンス部へ入り、テレビを全チャンネルつける。各局のその日の放送をなんとなく聴きながら、複数の新聞を読み込んでいます。

そして当日の番組のラインナップに合わせて、レギュラーコメンテーターに聞くべきことをメモしたり、ゲストの方のプロフィールを調べて質問を考えたりも。限られた時間の中で、出演者の方々にどう話を割り振っていくか、準備の段階で優先順位を考えておくことはすごく大事だと思っています。

役目は多様な意見を伝えること!

――先日の安倍首相辞任のニュースは大下さんの番組が終わる頃に第一報が流れました。こうした場合は、大下さんは当日夜から準備を始めて翌日に臨むのでしょうか。

大下 :ニュース番組での扱いは見ますが、夜はあまり準備しないんです。世の中のサイクルがすごく速くなっているから、夜に準備をしても翌日のニーズと”ズレ”が生じることがある。だから私は、準備を朝にするようにしています。

黒柳徹子さんがインタビューで、「視聴者の聞きたいこと7割、自分の知りたいこと3割」とおっしゃっていたように記憶しています。私の番組は情報を扱うので、「聞きたいこと8割、知りたいこと2割」くらいを目指しつつ、性別も年代も興味・関心も違うコメンテーターの方々の視点も交えて、多様な意見をお伝えするようにしています。
「私はこう思います」と発信するのはキャスターの1つのスタイルですが、私はそういうタイプではありませんから。

●大下容子(おおした・ようこ)さんのプロフィール
広島市出身。93年に慶應義塾大学法学部卒業し、テレビ朝日へ入社。「スーパーモーニング」や「やじうまワイド」、「Jリーグ A GOGO!!」や「GET SPORTS」など情報番組やスポーツ番組を多く担当。「SmaSTATION!!」や「ザ・タイムショック」などバラエティーやクイズ番組などにも出演し、2020年6月、テレビ朝日で女性初となる役員待遇「エグゼクティブアナウンサー」に昇進。初期の「ワイド!スクランブル」から「大下容子ワイド!スクランブル」まで22年間担当。

金融OL、編集者を経て、週刊誌AERAでライター業をスタート。同誌ほか、週刊朝日、朝日新聞、小学館の女性誌などで主に映画記事やインタビュー記事を執筆。著書に『バラバの妻として』(NHK出版)、『佐川萌え』(ジュリアン)ほか。食べることも料理を作ることも大好き
カメラマン。1981年新潟生まれ。大学で社会学を学んだのち、写真の道へ。出版社の写真部勤務を経て2009年からフリーランス活動開始。