SNSで偶然見つけた「アフリカで開業」の求人。32歳の元キャリア女性が安定を捨てモロッコで働こうと思った理由とは

海外で働きたい。その夢を8年越しに叶えたのは、元会社員の塚本里加子さん(32)。7年半勤めた会社をやめ、モロッコでの開業を目指し、仲間と渡航しました。しかし、そこで塚本さんたちを待ち受けていたのは、新型コロナウィルス感染症拡大によるロックダウンでした。コロナを機に「何が本当に大切かわかった」と話す塚本さんは自分の本心に従い、行動することで、道は拓けると話します。

ワーホリ申請期限は31歳になるまで

――元々海外で働くことに興味があったのですか?前職は何をしていたのか教えてください

塚本里加子さん(以下、塚本): 大学は外国語大学だったので留学経験もあり、周りに海外思考の人も多く、漠然と将来は海外で働きたいと思っていました。私は2011年卒なのですが、当時は就職氷河期でした。希望の職に就くことができず、やっと内定が出た会社に就職を決めました。そこでは幸い、英語が使える環境だったので、まずは社会人としてのスキルを積もうと気持ちを切り替えて働き始めました。

――働いている中でも、海外で働く夢は持ち続けていたのでしょうか?

塚本: その思いはありましたが、職場環境が良かったのでなかなか動くことができませんでした。海外で働く夢を再び意識したのは30歳のときです。理由は、ワーキングホリデーの期限が迫っていたから。ワーホリを申請できるのは31歳になるまでなんですよね。

社内でスキルアップしていくか、安定とキャリアを捨てて本当にしたかったことをするか、双方を天秤にかけました。その時思ったのは「人生一度きり」ということ。ダメだったらまた方向転換すればいいという精神で、海外で働くことにチャレンジしようと決断し、退職を決意しました。

――その時の周りの反応はいかがでしたか?

塚本: 周りからは「もったいない」「キャリアも仕事も捨てて、これからどうやって生きていくの」と言われることが多かったです。でも、家族からは「7年半がんばったね。休憩していいんじゃない」と言ってもらいました。

私は母と何でも話す仲なのですが、家族は私が決めたことを応援してくれると確信していました。今振り返ると、家族の支えがあるからこうして自由に羽ばたくことができていると感じています。

塚本さんが滞在しているモロッコ・シェフシャウエンの街並み=塚本さん提供

「誰にでも良い顔をしてはダメ」と忠告される

――そして、ワーホリを取得できたと。

塚本: それが、できなかったんです(笑)。退職するのに予想外に時間がかかってしまい、31歳になってしまいました……。それでも決意はぶれず、退職後はバックパッカーで世界をめぐることにしました。

旅に出る前に決めたことは、「貯金が○○円になったら帰国する」ということ。そう母に宣言して出発しました。結果的に1年半の期間に、ヨーロッパを中心に25カ国を回りました。

私は人を信じやすい人なつっこいタイプです。その性格について、旅先で忠告を受けたことがありました。ヨーロッパでホステルの男性スタッフに「誰にでも良い顔をしてはダメ」と言われたんです。その一言が胸に響き、その後は愛想が良いけど注意深くもなりました。

――無事に帰国されて何よりです。そこからどのように「モロッコでの開業」につながっていくのですか?

塚本: 去年の10月下旬に帰国し、そこから仕事を探し始めました。その中で、たまたまSNSで「アフリカで開業」という求人募集を見つけたんです。「あやしい」と思う一方、「面白そう」という気持ちもあり、最終的には好奇心の方が勝りました。その男性に、「初めまして。面白そうなことをしていますね」とメッセージを送りました。

そして出会ったのが、今一緒に開業をしている「リーダー」です。同世代の男性で、過去に1度海外で開業経験がある人だったので、信じても大丈夫だと思えました。アフリカでは日本のことを知っている人はほとんどいないのが現状です。その土地で、地元の人や観光客に日本文化を知ってもらいたいという思いに共感し、考えた末、チームになりたいことを伝えました。

――なぜ場所はモロッコだったのでしょうか?

塚本: モロッコの中でも、シェフシャウエンという街で、焼き鳥屋を開業準備中です。理由は二つあって、ひとつはこの街には日本料理店がなかったから。もうひとつは、リーダーがドキュメンタリー映像の作成もしているため、Wi-Fi環境が整っていることが条件だったからです。

「青の街」という別名もあるシェフシャウエン。「インスタ映えもするので、最近では日本からの観光客も増えているそうです」と塚本さん。=塚本さん提供

シェフシャウエンの人は「おもてなしの心」がある

――シェフシャウエンはどのような街なのですか?

塚本: まず、言語はアラビア語とベルベル語が公用語です。以前、モロッコはフランスの保護国だったため、第二言語はフランス語です。シェフシャウエンでは、観光地以外英語は通じません。

通過はディルハムで、今1ディルハムは約11円(6月26日現在)。現在、チームの3人で住居用物件が決まるまでホステルに住んでいるのですが、1カ月の宿泊料は日本円にして約2万5千円ほどです。学校があるので子どもが多く、他の都市部に比べると治安は良いと感じています。

――実際に今住んでみていかがでしょうか

塚本: モロッコは場所によって人柄が違うそうなのですが、シェフシャウエンの人はとっても優しいです!日本人と似ていて、おもてなしの心があると感じています。一度仲良くなって連絡先を交換したら、「モロッコならでは」の写真を送ってくれたり、お茶に誘ってくれたりします。この前は、ラクダがタンクを背負って消毒液をまいている動画が無言で送られてきて思わず笑ってしまいました。

シェフシャウエンにある「サハラショップ」。「『ファティマ』というニックネームをつけてもらいました」と塚本さん=塚本さん提供

コロナ禍で考えた「人生の目標」

――新型コロナウィルスの影響はいかがでしょうか

塚本: 大変でした。今年2月にモロッコへ渡ったのですが3月下旬に都市封鎖、いわゆるロックダウンになりました。国の対応が迅速だったのもあり、幸いシェフシャウエンでは新型コロナウィルス感染者は出ていません。許可証がないと外出できないという徹底ぶりなので、日本の対応とのギャップに驚きましたね。

人生で一番“ステイホーム”の時間が長かったのですが、その期間、自分と静かに向き合いました。その結果、「何が本当に大切か」ということを考えるようになりました。そこで改めて考えたのは「人生の目標」についてです。

旅をして感じたのは、自分とは異なる人の生き方を知ることで、価値観が広がって物事を俯瞰して見られるようになるということでした。世の中には、様々な考え方や価値観があります。お互いを知ることで、お互いがハッピーになるのではと思ったとき、「相互理解」が私にとっての人生の目標ということを再認識しました。

今はまだコロナ禍なので、相手との間に物理的な距離があります。その状況で、どうやって相互理解を進めるかと考えた時、「漫画」だと思いました。シェフシャウエンの暮らしの中での発見や感じたことを、漫画という手段で発信することで、読んだ人に「こんな国もあるんだ」と思ってもらえたらいいなと思いました。

――漫画はこれまでも描いていたのですか?

塚本: 全くです。今回漫画を描くきっかけとなったのが、コロナの影響で開業準備がストップしてしまった時、メンバーから言われた「漫画、描いてみたら?」という一言でした。

その時、イラストを描くのが元々好きだったことを思い出したんです!隠れた素質を見出してくれたメンバーには大感謝です。日々生活をする上でたくさん面白いことがあり、それを伝えたくて仕方ありません。実際の話をもとにしているのですが、ネタはつきませんね。毎日ニヤニヤしながら描き、インスタグラムにアップしています。

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「努力はするけど周りと自分には期待しない」

――海外で働きたくてもなかなか踏み出せなかったり、チャンスが巡ってこなかったりして悶々としている同世代の女性は多いと思います。好きなことを実現できている塚本さんから何かメッセージはありますか?

塚本: 私も7年間くすぶっていたので、その気持ちはよくわかります。でも、人生って一瞬で終わる気がしていて。それに、飛びこんでみたら案外なんとかなったり、新たな道が拓けたりすることもあると思います。

私が大事にしているのは「努力はするけど周りと自分には期待しない」という考え方です。そう考えると、結果がどうなっても失望はしません。

現に、今は予想外のコロナ騒動で、開業できるかわからないし、収入もゼロだし、端からみたら「ヤバイ」状況だと思います。でも、毎日とても楽しいんです。モノもお金もなくても幸せを感じています。

日常が戻ったら、開店準備はもちろん、地元の人向けのイベントも企画したいと思っています。日本料理教室や書道教室、あと夏祭りも企画してみたいですね。

コロナの影響で計画が狂ってしまったのは事実ですが、コロナによって内省する時間を持つことができました。その場の状況下で、いかに自分を高めていくかかが大切だと思っています。これからも自分の本心に従い、夢に向かって進んでいきたいと思います。

モロッコ・シェフシャウエンで開業仲間と撮影。真ん中が塚本里加子さん、右がリーダの横山翔来さん=塚本さん提供
同志社大学文学部英文学科卒業。自動車メーカで生産管理、アパレルメーカーで店舗マネジメントを経験後、2015年にライターに転身。現在、週刊誌やウェブメディアなどで取材・執筆中。