「ひかれるのは外見よりも“生きる姿”」フォトジャーナリスト長倉洋海さんがとらえた 強く、美しい女性たち
これまで、戦乱の地からアマゾンまであらゆる場所に行きました。闘う男たちや、困難な境遇で力強く生きる子どもたちの姿を撮ってきたけれど、なぜか女性をテーマにしたことはなかった。でも今回、「女性の写真集をつくりませんか」と言われて作品を見返してみたら、たくさん撮っていたんです。名前とともに思い浮かぶ顔も何人もいた。被写体として追ってきた男たちの妻や恋人だったり、子どもたちの母だったり。大事な場面に、かならず女性たちの姿があった。
その人の生きる美しさを撮りたかった
どうしてこんなに撮ったんだろう。女性たちのどこにひかれたんだろう。自分なりに改めて考えてみた。男でも子どもでも、美しい瞬間、その人の生きる美しさを撮りたいと思ってシャッターを押してきた。ひかれるのはその人の外見ではなく、生きる姿。凜として、堂々として、簡単にへこたれない強さ。そんな姿が美しいと思う。写真集では、この女性はこの写真を撮った時にどんな気持ちだったろうかと思い起こし、探りながら文章を書いた。1人ひとりの存在が立ち上がってくるよう、写真を詰め込まず、余白を活かして編んだ。
20代~30代は“たたかっている”時
カメラマンは、被写体がいちばん美しく、輝いている瞬間にグッとひかれてシャッターを切る。それは僕がときめく瞬間でもあり、互いの波長がピタリと合う瞬間でもある。
写真集に登場する女性たちに20代~30代が多いのは、人生の中で“たたかっている”時だからだと思う。争いという意味ではなく、自分の道を探す“たたかい”。
その強さや懸命さから発せられる美しさにひかれてシャッターを押す。
人は一直線にまっすぐ自分の道を進む人は少なくて、多くはやっぱり、脇道にそれたり、千々に乱れたりする。そんな時も、人との出会いを「種」にして、自分の中に撒いておくといい。時を経て、花を咲かせる場を与えられたり、人生のステージがかわったりした時に、パカンと発芽するかもしれない。
人は生まれてくる環境を選べない。学校に行きたいけど働かなくちゃいけないとか、生まれた時から戦火の中にいたとか、困難な状況に置かれているかもしれない。
僕が撮ってきた女性たちもみな、様々な境遇にあった。それでも、人との出会いの中から、自分の力で何かをつかもうとしていた。
人生は大切なものを探す旅。それはすぐそばで見つかるかもしれない。
僕がひかれるのは、年齢にかかわらず、美しく生きてきたのだろうなあと思わせる人。そういう人は、自分の中に「大切なもの」を持っている。
人生は自分の「大切なもの」を探す旅のようなものだ。僕みたいに、遠くに行かないと見つけられない人もいるし、自分のそばで見つけられる人もいる。
いまは旅したり、人と会ったりするのも難しい状況だけれど、じっと目をこらして周りを見てみてほしい。木々の緑が濃くなったとか、美味しい料理が作れたとか。小さな発見や喜びをスマホで撮って友だちに送ってみてもいい。
自分にとって「大切なもの」を見つけることから始めてみてはどうだろう。
●長倉洋海さんのプロフィール
1952年、北海道釧路市生まれ。同志社大法学部卒、通信社勤務を経て1980年に独立。アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードや難民キャンプの少女ヘスースらを長期間追い続ける等、人間に迫る独自の視点が高い評価を得る。2006年にフランスの国際フォトジャーナリズム祭に招かれ写真展「マスード―敗れざる魂」を開催。代表作に『マスード 愛しの大地アフガン』『サルバドル救世主の国』など。近著に写真絵本シリーズ『さがす』(アリス館、5月刊行予定)。