「恋愛も結婚も髪がなくてもできる」 “選択スキンヘッド”の女性、もう悩むのは辞めた
あるとき突然脱毛症に。隠すことに縛られた
――髪が抜け始めたのはいつごろでしたか。
中野亜美さん(以下、中野):会社勤めをしていた33歳の時です。当時はショートカットで、あるとき何げなく髪を触ったら、指先につるつるしている素肌が触れました。「あれ?」と思って、病院に行くと、多発性脱毛症だと診断されました。初めは「すぐに治るだろう」と思って、塗り薬で治療していたのですが、どんどんひどくなっていきました。
――若くして髪が抜けてしまうというのはショックだったのではないでしょうか。
中野:それまで髪の毛を染めたり、パーマをかけたりして楽しんでいたので、髪でおしゃれができなくなることがショックでした。そこから7年間、私はずっと「髪」というものに縛られて生きてきました。仕事も、やりたいことの選択肢も、「髪がない部分を隠せるかどうか」が判断の基準に入ってきてしまいました。
髪を下ろしていると髪がないところの地肌が見えてしまうので、髪を伸ばして結うようになりました。隙間から地肌が見えても気づかれないよう炭粉を塗り、ヘアターバンも巻きました。当時勤めていた職場は指定の制服があったので、ヘアターバンを付けることができませんでした。ウィッグをつけるという選択肢もあったのですが、そこまで自分を偽って働くことに抵抗があったため、30代後半で仕事を辞め、ヘアターバンが付けられる仕事を探しました。服装もヘアターバンに合う服装に変わりました。
――仕事を変えなければならないほど悩まれたんですね。
中野:脱毛症であること自体を恥ずかしいと思っていたわけではないのですが、髪の毛がないところを見られるのは嫌だったんです。なので、物理的に地肌が見える部分は隠していましたが、脱毛症であるという事情はまわりにオープンにしていました。
「そうじゃなきゃならない」という生き方を辞めた
――髪の毛がなくなると、女性としての自信も失ってしまいそうです。ちなみにご結婚はされていますか。
中野:ちょっとした集まりで知り合った男性と、38歳の時で結婚しました。すごく良いなと思ったので、知り合ったその日に声をかけて一緒にカフェに行って色々な話をしました。そのときに、「私、脱毛症で髪の毛が抜けちゃうんだ」と伝えました。隠していること自体が嫌だったし、もし相手が「脱毛症の女性は嫌だ」という人だったら私も嫌なので、自分からカミングアウトするようにしたんです。相手の反応はほとんどなくて、あまり気にしていない印象でした。私が明るく話していたから、良い意味でそこまで深刻に受け止めなかったんだと思います。その男性が今の夫です。
――話すのも勇気がいりそうです。でも、普通のことと受け止めてくれたのはうれしいですね。
中野:そうですね、夫は「どうせ見た目は年とったら変わるしね」と言って、あまり気にしていなかったと思います。これまで出会った人たちも、髪が抜けてしまうということをカミングアウトして拒絶されたり、嫌な反応をされたりしたことはなかったので、言うことに抵抗はなかったです。
――そんななか、40歳の節目にスキンヘッドにしたと聞きました。どうして決断したのでしょうか。
中野:7年間、毎日排水口にたまっている髪の毛の量に一喜一憂したり、出かけるために1時間もかけて地肌を隠すために髪をセットしたりすることに疲れてしまったんです。
この間、いくつも病院を替え、塗り薬や飲み薬、漢方治療、民間療法もして、「身体に良いことをすれば治るかも」「食生活を改善すれば治るかも」と、「治す」という視点でしか考えてきませんでした。「治したいのに治せない自分」「髪の毛がない自分」にずっと「×」をつけ続けて。とにかく自己肯定感が低かったんです。
だから、「そうじゃなきゃならない」という生き方を辞めよう、と思いました。40歳の節目に会社を辞め、スキンヘッドにすることにしました。
「髪がない」ということが悩みではなくなって
――スキンヘッドにしてみて、生活や心境の変化はありましたか。
中野:すごく快適です!寝癖もつかないし、白髪も生えません(笑)。毎日隠すために鏡に向き合ったり、排水口を見て落ち込んだりする必要もありません。髪の毛は前と同じように抜けているはずなのに、「髪がない」ということが悩みじゃなくなりました。多分髪が生えそろったとしても、私はスキンヘッドを続けると思います。
夫もとても喜んでくれて、「髪の毛があるとかないとかじゃなくて、笑ってるほうがいいよ」と言ってくれました。今では、「どうしてもっと早くスキンヘッドにしなかったんだろう」と思います。
今まで人目につかないようにしてきた反動で、スキンヘッドで外を歩きたくもなりました(笑)。自分の姿を美しいうちに残したいと思って、スキンヘッドモデルの仕事を探して見つけたのが、Alopecia Style Project Japan(ASPJ)という髪の悩みを持つ人たちが集まる団体でした。(※alopeciaは脱毛の意味)ASPJのつながりでウエディングドレスのモデルをやらせてもらったり、毎月の交流会で髪の悩みを抱える人と交流させてもらったりしました。そこに行くと髪がない人ばかりで、1人じゃないという安心感が持てるのです。
会社を退職してからは、「ドットマンダラアート」というキャンパスや天然石などにドットを並べていくアートの販売を始めました。日本ではまだ認知度が低いので、日本の第一人者になるべくがんばっています。
――大きな変化があった40歳だったのですね。髪の悩みを抱えていた30代の自分や、今悩んでいる人に向けて伝えたいことはありますか。
中野:特に女性の脱毛症は、女性としての自信を失いがちかもしれません。これまで出会ってきた髪の悩みがある人からは、「脱毛症になる前に結婚しておけばよかった」、「今の彼氏と別れたら、脱毛症だからもう次の彼氏はできないかもしれない」などとネガティブな声を聞きました。もちろん本人にとってはつらい悩みだと思いますが、「髪がないこと」を理由に恋愛に前向きになれないのは勿体ないです。現に私は今の夫と脱毛症になってから出会っていますし、髪がなくたって恋愛も結婚もできます。
髪の毛のことで悩んでいる人は思っている以上に多くて、みんな隠しているのではないかと思います。悩んでいる人たちには、髪の毛の選択肢は「ショート」「ボブ」「ロング」のほか、「スキンヘッド」もあると伝えたい。「隠すため」じゃなくて、おしゃれ感覚でウィッグも楽しめるようになりました。髪がなくなっても、全然大丈夫。私は今こうやって、何に困ることもなく笑顔で生きています。
考え方を少しだけ変えてみるのが大事だと思います。髪がないことに「×」を付け続けてきた30代。でも今は、良い意味で諦めた。「髪がないから何?」と思うし、私は私の気持ちでスキンヘッドを選び、前向きになれました。悩んでいる人が私を見て、スキンヘッドという選択肢を「ありじゃん!」と思ってくれたらうれしいですね。