32歳プロヘアメイクのリアル。今は頭の中がメイクのことでいっぱいで、“結婚”が入る余地はありません。

雑誌「ViVi」や東京ガールズコレクションをはじめ、数多くのメディアなどでヘアメイクを手がける宮本由梨さん(32)。モデルさんたちの間では「ジューシー」の愛称で支持を受け、Instagramでのハッシュタグ「#jucyメイク」も評判。20代から30代にかけての仕事へのアプローチや主戦場の変化、結婚についてなど32歳の働く女性のリアルなお話を伺いました。
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渋谷も新宿もわからないまま東京に家を借りた

小学校低学年の頃に、友だちが家で髪を切ってもらっているのをなんとなく眺めていたら「すごく美容師になりたそうにこっちを見るのね」って言われて「あ、私、美容師になるんだ」と子どもながらに思った記憶があります。小学校の卒業アルバムには「メイクアップアーティストになりたい」と書いていたので、その頃にはもう、美容なりメイクなりの仕事に自分は就くんだっていう意志はあったのかも。簡単なメイクをしてみたり、友だちの髪の毛をアレンジしてあげたりするのが好きな子どもでしたね。

高校を出て大阪のヘアメイク専門学校に1年通い卒業。ファッション雑誌の仕事がしたかったので上京を決意しました。
渋谷と新宿の違いもわからないまま夜行バスでひとり東京へ。郊外の築何十年のボロアパートを勝手に契約して大阪に戻ったら母が大激怒して(笑)。最後はとことん話し合って東京へ出てきました。

雑誌で目にしたことのあるメイク事務所に電話をかけ、アシスタントの採用試験を受け、すぐに採用となりました。自分で作った作品集などを持って行ったりすることもなく、必要なのは「やる気」と「体力」だけ。即戦力のプロをとるわけではないから、技術の試験などもなかったです。

20歳になる年にアシスタントになり、先輩の現場にひたすらついて行く毎日を過ごし、2年で独立しました。アシスタント時代は収入も少なく、やることも多かったですが、「辞めたい」と思ったことは一度もなかったですね。初めて泣いたのはむしろ独立した時。仕事がなくて、不安で泣きました(笑)。

「かわいい!」を分析する

はじめは月に5,6本、撮影の仕事がある程度でした。転機はくしくも、2011年の東日本大震災。
多くの撮影現場が一時的にストップし、一気に再開したことによって、先輩メイクさんたちが受けきれない仕事が私にまわってくるようになりました。一回一回、とにかくがむしゃらに結果を出すことに集中しました。
連日4時起き、5時起きの日々は体力勝負。経験も浅く、心に余裕がなかったので、全ての案件がプレッシャーととなり合わせでした。大御所のカメラマンさんやスタッフとも、時には対等に仕事をしていかなくてはいけない。気持ちが常に張り詰めていて、その頃のことはほとんど記憶がありません。
20代後半には、雑誌のページをめくってもめくっても私が担当した仕事ばかり!というありがたい状況になるほど忙しくさせてもらったこともありました。

メイクの技術をどう磨いていくかについては、とても難しくて答えのない課題ですが、「かわいい!」と思ったものを自分の中で忘れず分析するようにはしています。なにがかわいいんだろう?どこに工夫が凝らされているんだろう?とよく観察して考える。その積み重ねがいきているのかなと思います。
とは言え、感覚頼りで言葉にできない部分も大きい仕事。技術だけでなく現場でのコミュニケーションも大事な要素です。

普段は雑誌で一緒に仕事をしているモデルの子たちのテレビの収録現場のお仕事を受けることもあります。
そういう時は逆に、過剰なオシャレっぽさは排除するようにします。その子の年齢、他にはどんな出演者がいて、どんなことを求められて呼ばれているかを考えて、観ている方に好印象を持ってもらえるようなメイクを施します。チークをいつもよりちゃんと入れてみようとか、リップの色を少しピンクっぽくしてみる、とか、前髪のちょっとした巻き方とか、微調整なんですけど。
「オシャレをアピールすること」ではなく、「みんなに可愛いと思ってもえるように」知名度をあげるためにテレビに出ている。案件によって、意識するポイントは変えています。

雑誌のメイクの仕事だけでなく

現在私は32歳。20代の頃はがむしゃらに駆け抜けながら、このままずっと雑誌やファッションの世界でメイクの仕事だけをし続けると信じていました。でも30代になり、考え方も少しずつ変わり、現状維持ではいけないと思うようになりました。

雑誌の休刊が増えてきていることや、世の中の女の子たちの美容への関心度の高まりも肌で感じています。たとえば昔であれば「この服、去年っぽい形だよね」といったわかりやすいファッションの流行があったけれど、メイクでトレンド感を出すのが今っぽい空気なのかなと。

私が10代の頃は「あの子が着てるから、この服が流行った」みたいなわかりやすいアイコンがいて、憧れの誰かをみんなが真似するのがスタンダードでした。
一方今は「自分がもっと可愛く見えるためにはどうすればいいの?」とみんなが考えて研究する、自分をプロデュースする時代が来たように感じています。親しみやすい、取り入れやすいものを参考にする。そういう子たちに何か影響を与えられるような発信をしていきたいと最近は思っています。

InstagramのIGTVやYouTubeでコスメの紹介やメイク方法を配信したり、全国でメイク講習も行っています。
プロのモデルさんにメイクすることもおもしろいですが、一般の参加者のみなさんの劇的な変化を目の前で一緒に喜べることが私もすごく嬉しい。
ブラシの当て方やパウダーの入れ方、細かい部分まで直接アドバイスできるのは醍醐味。みんながどんどん明るい顔になっていきます。人の数だけメイク方法やメイク道具の使い方もあって、私も勉強になることが多いんですよ。

結婚はしたいけど

2019年から、自分のスキンケアブランドも立ち上げ、プロデュースも始動しました。きっかけは知り合いに声をかけられたこと。化粧品のプロデュースには興味があったけれど、スキンケアというジャンルには……正直ビビっていました。肌の悩みは人それぞれだし、世に出ている商品もたくさんある。期待にどこまで応えられるんだろう。それに、自分の名前が冠につくこともあり、発売まではずっと不安でした。

発売後、その不安は自信に変わりました。本当に多くの方から、毎日SNSに長文のメッセージが届くんです。「皮膚科の先生に“お手本のような乾燥肌”と言われていた」という方からも感激のメッセージをもらったり。わざわざこれだけのメッセージを送ってくださる方がいる、本当に感動してくださってるんだというのが伝わってきて、パワーになります。今の目標はスキンケアのラインナップをより増やして、デパートに店舗を出すこと!

いつかは結婚も出産もしたいです。子どもを抱っこしながらバリバリ仕事を続けていきたい。
ただ、今は韓国のコスメ事情などにすごく関心があって。韓国に家を借りて、二拠点生活をしたいと思っています。スキンケアプロデュースをきっかけに、やりたいことが増えすぎてしまって、「結婚」が入る余地はない状態。
これで大丈夫かな?って思うこともあるけれど、どうしても今は頭の中がメイクのことでいっぱいなんです。

大学卒業後、芸能事務所のマネージャーとして俳優・アイドル・漫画家や作家などのマネージメントを行う。その後、未経験からフリーライターの道へ。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。