若者と地方をつなぐ29歳起業家「人生は能力ではなく意志決定でつくられる」

お手伝いと旅をミックスし、都会の若者と、人手不足に悩む地方をつなぐサービス「おてつたび」が、注目を集め始めています。地方の旅館や農家などの仕事を手伝いながら、地域の人とふれ合える。しかも、交通費、宿泊費は自己負担無し。代表の永岡里菜さん(29)は元々は教師志望で「起業のキの字も無かった」そうです。なぜ30歳を前に、地方の課題にコミットする「社会起業家」への道を歩み始めたのでしょうか。

スマホ世代を旅館や酒蔵に

岐阜県の酒蔵で働くおてつたびの参加者=永岡さん提供

「永岡さん、エモイっすね」。「おてつたび」で地方を訪れた学生らから、こんな声を聞くたび、永岡さんは手応えを感じます。「参加者が私以上に地域のことを語れるようになるのをみると、やって良かったと思います」

おてつたびは、約2年前に始まったマッチングサービスです。人手不足に悩む地方の事業所が、若者たちに交通費相当額を支給し、宿泊先も用意します。青森県のごぼう農家、岐阜県の酒蔵、長崎県の離島にある旅館など、プログラムは多岐にわたります。

参加者は1週間前後、旅館なら配膳や清掃、農家なら収穫作業などを手伝います。単なるアルバイトではなく、受け入れ先に自由時間は確保してもらい、お勧めスポットを紹介されたり、地域の人と飲み会などでふれ合えたりするのが特徴です。

「スマホ世代は、オフラインでどうやって地域の人と仲良くなればいいかわからない。きっかけを作って、自分の居場所ができれば、再訪したくなる地域に変わります」。実際、働いた地域への再訪率も高いそうです。

ビジネスの源流は三重の漁師町に

おてつたびのトップページを示す永岡さん

おてつたびの原点は、永岡さんの出身地・三重県尾鷲市にありました。紀伊半島南部の熊野灘に面した人口約1万8千人の小都市は、東京から新幹線と特急を乗り継いで、最短でも約4時間半はかかります。永岡さんは幼少期に名古屋市に移りましたが、長期休みのたび尾鷲の中でも郡部にある父の実家に帰省していました。

小学校で地元の子たちと鬼ごっこをしたり、海や川で遊んだり。祖父に連れられて、地元のスナックでかき氷を作ってもらったのも、忘れられない思い出です。「祖父は誰とでも仲良くなる人。初対面でも初対面と思わせない、この街の距離感が素敵だと思っていました。帰省が終わるたび、涙して名古屋に帰りました」

高校卒業後は千葉大学教育学部に進学。人とふれ合える仕事がしたくて、小学校教諭を志しました。でも、教育実習中に自分の未熟さを感じ、まずは民間で修業を積もうと、あえてベンチャー企業への就職を目指しました。「3年間修業したら先生になろうと思っていました。個人の裁量が大きく、すぐに実践で学べる環境が必要でした」と振り返ります。

地域とふれ合い、広がった世界

永岡さんは全国各地を歩き、ビジネスの着想を得た=永岡さん提供

最初に働いたのは、企業の記者会見や展示会をプロモートするベンチャー企業。大手企業との取引があり、充実していましたが、3年半働いた後、「もっと一般ユーザーの顔が見える仕事がしたい」と思い、社員3、4人のベンチャー企業に転職します。

その会社は農林水産省と、全国各地で和食推進事業を行っていました。教育機関や食材メーカー、農家、料理人を巻き込み、子育て世代や学校の栄養教諭と食育に取り組む事業です。北海道から沖縄まで全国を飛び回り、地元の人と飲んで語り明かす生活を送るうちに、地域の魅力を広めたいという思いが、むくむくとわき上がりました。

「行く前は、どこ?と思うような場所でも、地元の人と飲んで語り合えば、その土地の良さが見えてくる。東京では名刺の肩書で判断されがちだけど、地方に行くと一個人として接してくれる。自分の世界が広がると、出身地尾鷲のことを思い出しました。何で良い物を持っているのに、埋もれてしまうのかと。尾鷲みたいな地域を知ってもらうきっかけを作りたい」

仕事のあてもなく全国を旅する

永岡さんは大胆な行動に出ます。2年半前、次の仕事のあてもなく会社を辞め、東京の家も解約。つてをたどって全国各地を歩き始めました。自腹で夜行バスを使いながら、長野県でトマトの収穫を手伝ったり、岩手県の旅館で働いたりしました。

あてのない旅を続ける中で、「自分は世の中に価値を提供できていないのでは」という焦りはありました。両親には心配をかけまいと詳しいことは言えませんでした。教師になったり、大企業に就職したりした大学の同級生にも会えなかったといいます。

それでも地方の人たちと一緒に汗を流すと、観光シーズンや収穫期などには、深刻な人手不足が起きていることを知ります。一方、東京の知人にヒアリングを重ね、地方に人を送り込むには大きな課題があると痛感しました。

「例えば、尾鷲に行くと、東京から宿泊込みで5、6万円はかかります。それだけあれば、LCCで海外に行ける。限られた休みを使うなら、リスクを避けて脚光を浴びる場所に行くのは当然の心理です。地域の人は、地元のことを自然が豊かでおいしい魚があって、住んでいる人も最高と言います。でも、東京にいると、どの地方も全部同じに見えてしまう。地元の人と直接ふれ合って、誰かに紹介したくなる特別な地域と思ってもらえる仕掛けが必要だと感じました」

短期的な人手不足を解決しつつ、地域の良さに触れてもらう。おてつたびの原型が生まれました。

「本当にこんな景色が」学生の一言

岩手県八幡平市で名物を味わうおてつたびの参加者=永岡さん提供

2018年、ホームページを作って、インターン生と北から南まで受け入れ候補の旅館などに電話やメールでアプローチし続けました。「怪しまれましたが、100件に1件は好反応で、地道に関係を築いていきました」。同年夏にはおてつたびを会社登記。同じ頃、楽天の社会起業家育成プログラムに応募して採用されました。楽天から社員が派遣され、サイト構築や地方自治体との関係作りが、大きく前進しました。

サービス開始から2年。参加者が旅館の料理長に一緒に市場に連れて行ってもらったり、飲み会で交流を深めたりするなど、都会では得がたい体験を提供し続けています。利用者数は非公表ですが、テレビ番組に取り上げられたこともあり、右肩上がりで増えています。

永岡さんが忘れられないのは、おてつたびを利用して岩手県を訪れ、田んぼや畑を見た東京生まれの学生の一言でした。「永岡さん、本当にこんな景色ってあるんですね。ドラマの世界かと思っていました」。この学生は帰るときにこうも言いました。「地方にも熱くてとがった人がいる。東京が第一という価値観は崩れました」

永岡さんは言います。「人が出会って、自分の居場所が出来た地域にはまた行きたくなる。地域にとって、本質的な意味での関係人口を増やしていきたい」

「女性起業家が増えてほしい」

永岡さんは地方のイベントに呼ばれる機会も多くなった

30歳を前にしての起業。サラリーマンの父親からは「起業なんて大それたことをしなくても、普通の幸せを経験してくれればうれしい」と言われたそうです。永岡さんは愛情に感謝しながらも「いまやらなければ後悔するから」と伝えました。「これから結婚や子育てもあるかもしれない。20代のタイミングじゃ無いと、起業に踏み出せないと思ったのです」

会社の収益は受け入れ先からの手数料で成り立っています。「会社を運営している側が貧困なら本末転倒。ソーシャルビジネスの社会性とスケールを両立させたい」と見据えています。

永岡さんは今年30歳になります。「自分の周りに素敵な30、40代を見ているので、30歳になるのは楽しみの方が大きい。女性起業家はまだまだ少ないので、もっと増えてほしい。やってみたら、意外と色々な人が助けてくれるし、死ぬことはない。人生は能力じゃ無くて、自分の意思決定で作られていくのかなって思っています」

永岡さんは東京と地方を行ったり来たりしながら、ソーシャルビジネスの未来を見据えています。

朝日新聞総合プロデュース室プロジェクトエディター。1977年生まれ。朝日新聞記者として、スポーツや地方創生の分野などを中心に取材。柔らかいネタや人物インタビューを主に手がけてきた。