Dr.尾池の奇妙な考察 24

【Dr.尾池の奇妙な考察 24】宇宙人は恋をするか

化粧品の開発で、それまで縁のなかった「女性の美」について考えるようになった、工学博士であり生粋の理系男子である“尾池博士”。宇宙物理学を駆使して、宇宙人と恋に落ちる可能性について論じます。はたして宇宙にロマンスはあるか。

●Dr.尾池の奇妙な考察 24

宇宙を漂う下心

少し過激かもしれませんが、愛はおそらく普遍的なものではないと思います。映画でよく表現されるほどには、この宇宙の生物は愛を前提に生きているわけではなく、仮によく似た行動を見かけたとしても、それが私たちのよく知る愛かどうかは、分かりません。

恋愛に関しては英語よりも漢字の方がうまく表現できています。英語の表現に感銘を受けることは多いですが、なぜか恋愛に関しては恋と愛をいっしょくたにLoveあるいはRomanceで片付けてしまっています。だからなのか、Wikipediaの「恋」のページに英語版はありません。偏見ですが、英語圏の方々は恋をすっ飛ばすことが多いのでしょうか。

しかし漢字は恋と愛を明確に分けています。しかも恋の中の「心」はちゃんと下にあり、愛ではしっかり中央に配置され、恋の下心、愛の真心をうまく表現しています。

恋とは相手に対する一方的で強い関心。そういう意味では、恋は普遍的だと思います。もし私が宇宙人に出会ったとして、その宇宙人に強烈な魅力を感じたとしたら、私はたぶん恋をします。そして私の魅力は地球ではたまたま伝わりにくかったですが、もしその宇宙人にとってたまたまストライクだったとしたら、彼女(あるいは彼)は私に恋をすると思います。

恋愛経験が乏しいくせになぜそんなこと分かるのかと言われそうですが、むしろ恋愛経験が乏しいからこそ分かることがあると思います。余計な固定観念が無いからです。考察がうまくいけば、まだ気が付いていない恋の本質が見えてくるかもしれません。

なぜか理解できない

「もしあなたが目まいを伴わずに理解できたと思ったとしたら、あなたは理解できていない。」 "If you can fathom quantum mechanics without getting dizzy, you don't get it"

これは宇宙物理学者のニールス・ボーアの言葉です。もちろん恋ではなく、宇宙物理(量子力学)の難解さを表現した言葉ですが、私はこれほど恋を物語る言葉もないと思います。

宇宙は突き詰めていけば単純なシステムであるはず。恋も突き詰めれば単純な感情のはず。しかし、なぜこれほどまでに理解に苦しむのか。相手のどこが気になるのか、それを突き詰めていくうちに、なぜか自分の感情さえも分からなくなる。

量子力学でノーベル賞を受賞したリチャード・ファインマンも同じような言葉を残しています。

「もし量子力学を理解できたと思ったならば、それは量子力学を理解できていないということだ。」 "If you think you understand quantum mechanics, you don't understand quantum mechanics."

量子力学の部分を恋に置き換えても見事に成り立ちます。宇宙での物質同士の反応と、恋という生命同士の反応に、奇妙な共通点を感じてしまいます。宇宙物理の天才たちは、完全には理解できないことを自覚したその先に、答えを見出そうとしています。恋もたぶん、同じなのではないか。

恋をする、ゆえに我あり

宇宙物理学者が追い求めているのは、私たちの体を構成する基本成分「素粒子」であり、宇宙人の体も(たぶん)同じです。この素粒子の法則に基づいて、私たちは存在し、出会い、反応します。

その宇宙でもっとも基本である素粒子が、すでに私たちの理解を超えてくるのです。

素粒子はふだん「何にでもなれる」状態で宇宙を漂っています。しかし何かと衝突した瞬間、正体が定まります。粒子なのか波なのか、もし粒子だとしたら右回転なのか左回転なのかが、決まります。それまでは自分が何者なのか分かりません。分からないというよりも、「すべての状態を重ね合わせた状態」と表現する学者もいます。

考えてみれば私たちもふだん、自分のことがあまりよく分かっていません。素粒子と同じように、何にでもなれる状態なのかもしれません。何かと衝突しなければ、何も決まることがない。一人で自分探しをしても何も見つからないのは、そういうことなのかもしれません。

しかし誰かに出会い、相手のことが気になり始めると、自分のことにも気づくことがあります。哲学者デカルトは「われ思う、ゆえに我あり。」と言いましたが、思うだけでは足りないのかもしれない。私たちは実は、自分と出会うために、恋をしているのかもしれません。

離れても好きな人

さらに素粒子には「反粒子」と呼ばれるパートナーがいることも知られています。2つの粒子はその名前の通り、お互いの状態を反映しあっています。相手が右回転になると、瞬時にもう一方は左回転になります。これを「量子もつれ」と呼びます。

不思議なことにこのもつれ関係は、どんなに遠くに離れていても続きます。二つがたとえ宇宙の端と端、何百億光年離れていても、片方の状態が定まれば、瞬時にもう片方の状態も決まります。

アインシュタインは光の速度以上で情報を伝えることは不可能であると言いました。しかし実際に二つの粒子は、赤い糸どころか、同じ場所にいるのではないかと思われるほど強いつながりで、同時に姿を変えるのです。もはや天才の理解さえ超えてしまう、二つの関係性。

離れているけど、離れていない。誰かに会うまで、自分が分からない。私たち地球人だけでなく、おそらく宇宙人でさえも同じように、そんな素粒子の法則に基づいて、恋をしているに違いありません。やはり、できれば、宇宙人と会ってみたい。そしてできれば、恋をしてみたい。宇宙人と恋に落ちたら、その先には想像もつかないまったく新しい自分が待っているのかもしれない。遠距離恋愛という概念すらない世界が、待っているのかもしれない。

今回のまとめ

「理解できたと思ったとしたら、理解できていない。」宇宙物理学の天才たちの苦悩の言葉は、恋にもそのままあてはまる。不可解な宇宙の基本成分、素粒子のふるまいが、なぜか恋にあてはまる。誰かに出会うまで定まらない自分の存在。どんなに離れていても、なぜかつながる関係性。私たちも宇宙人もきっと、そんな素粒子の法則に基づいて恋をする。宇宙人と恋に落ちたら、その先には想像もつかない、まったく新しい自分が待っているのかもしれない。

<尾池博士の所感>
宇宙人と恋をしてみたいってことは、恋の目的は種の保存じゃないってことか。

工学博士/1972年生まれ。九州工業大学卒。FILTOM研究所長。FLOWRATE代表。2007年、ものづくり日本大賞内閣総理大臣賞受賞。2009年、PD膜分離技術開発に参画。2014年、北九州学術研究都市にてFILTOM設立。2018年、常温常圧海水淡水化技術開発のためFLOWRATE.org設立。
イラストレーター・エディター。新潟県生まれ。緩いイラストと「プロの初心者」をモットーに記事を書くライターも。情緒的でありつつ詳細な旅ブログが口コミで広がり、カナダ観光局オーロラ王国ブロガー観光大使、チェコ親善アンバサダー2018を務める。神社検定3級、日本酒ナビゲーター、日本旅のペンクラブ会員。
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