「摂食障害」を知る02

「治そうという焦りはない」摂食障害を抱えながら働くということ

摂食障害は、社会との関わりの中で自信をつけていくことが治療につながりますが、患者の食事への強いこだわりや対人関係のストレス、表面的には健康な人と変わらなく見えることなどから、就労にもハードルがあります。そこで、摂食障害と付き合いながら働く女性たちに話を聞くと、働き方改革にもつながる気づきがありました。

ストレスフリーな働き方で改善

リモートワークで事務の仕事をしている香織さん(仮名、30歳)に摂食障害の症状が出たのは、大学3年生の時でした。

当時、医療系の大学で学んでいた香織さん。慣れない環境でのハードな病院実習が引き金となり、過食が始まったと言います。今から思えば原因は複合的でした。ホルモンバランスの乱れや子どもに依存気味の母親との関係、希望の仕事と現実とのギャップに対するフラストレーション、もともとあった強迫性障害など、いろいろな要因が背景にあったと振り返ります。

「最初はただのドカ食いでしたが、摂食障害の人を取り上げているテレビ番組を見て、『太りたくなければ吐けばいい』と学習してしまったんです。それからは、起きている間はいつどのように食べて、どうやって吐くか考えることで頭がいっぱいになり、食べることに24時間支配されるようになりました」

大学を出て病院に就職するも、環境に適応できずに退職。アルバイトや単発の仕事をしながら、過食嘔吐する日々でした。

「とにかく摂食障害から離脱したくて、まず、吐くのは止めようと努力しました。『食べ物を買って吐くなんて、お金をドブに捨てているのと同じ。私の時間とお金は別のことに使いたい』という、ものすごく強い欲求がモチベーションになったんです。いろいろ試した結果、たくさん食べても吐くのを止めて、前後の食事で調整したり、運動する方向にシフトすることができました」

過食の衝動はコントロールが難しく、食べ吐きを意志の力で抑えるのは困難です。それができたのは香織さんの、この病気を克服しようという強い意思と決意、そして医療系の大学にいたことで病気に関する知識・理解があったからなのかもしれません。また、仕事で自己実現を叶えたことも、香織さんを摂食障害から引き離してくれました。

「医療の勉強も好きだったのですが、実は得意な英語を使う仕事をしてみたいという夢がありました。海外との事業をしている知り合いに、自分にできる仕事はないかと相談したんです。後に紹介してもらえたのが、今働いている会社の社長。通訳者をコーディネートする会社で、1日7時間、週3日を基本に在宅で働いています。摂食障害を全然知らない人に話しても病気を理解してもらうのは難しいので、社長には『持病があります。病院に通うかもしれないので、フルタイムの勤務は難しいです』とだけ伝え、日々の状態に気をつけながら仕事をしたいという話をしました」

「神経を図太くとして要望を口にすると、それがつながっていく」と香織さん。「『こんな要望を出すと迷惑をかける』とか『やってみたい仕事だけど、私には無理』とつい自分を過小評価しがち。だけど、思い切って行動を起こすと、何とかなるものですね」。挑戦しようという気持ちになった背景には、夫になる人の存在もありました。彼女の摂食障害を分かった上で寄り添ってくれる男性に出会い、結婚を意識した時、「夫や夫の家族、自分自身に誇れる自分になりたい」と覚悟を決めたと言います。

現在の香織さんは、基本的に1日1食という食生活をしています。過食嘔吐はしなくなったものの、こうした食へのこだわりがある限り、本当の意味で摂食障害を克服したとは言えないのかもしれません。だけど、「この食べ方が私にはすごくハマった」と症状は落ち着いている様子。自分にとってストレスのない食べ方、働き方を模索し、『こう食べるべき』『こう働くべき』にとらわれなくなった香織さん。明るい表情で「今は、夫婦で大好きなお肉を食べに行くのが楽しみ」と教えてくれました。

摂食障害16年、「もう焦りはありません」

会社員の貴子さん(仮名、28歳)が摂食障害になったのはまだ小学6年生の時でした。症状は16年続いていますが、今は「治そうという焦りはない」と言います。

「何がきっかけだったのでしょうね……。学校や家庭の環境に息苦しさを感じていたことは確かですが、ダイエットをしようと思い始めたのもその頃でしたし、『これがきっかけ』とはっきり言えるものはありません。いろいろなことが重なっていたと思います。あと、両親の仲が悪く、食事はみんな家にいるときでも、別のテーブルでバラバラに食べていたので、家で食べるご飯はずっと美味しくなかったのを覚えています」

周囲のピリピリした空気を敏感に感じ取るタイプだったという貴子さん。勉強や進路については大らかな家庭だったそうですが、「私が大学を出る頃には父親は定年退職しているし、母親は専業主婦だし、姉には持病があったので、私が頑張って稼がなければと、勝手にプレッシャーを感じていました」。

大学卒業後に就職した会社は5カ月で退職。職場環境のストレスから過食衝動が強まり、仕事を続けられませんでした。しばらくアルバイトや派遣の仕事でつなぎ、4年前に現在の職場に就職。医療系のベンチャー企業だったため、自身の経験も活かせると、入社の面接の時点で摂食障害について打ち明け、職場の理解を得た上で就業しました。

「社長をはじめ、同僚の一部も私の摂食障害のことは知っています。そういう意味では働きやすい職場です。だけど、ストレスがかかると仕事後に過食してしまうので、帰宅後に好きなことをする時間や睡眠時間が奪われてしまうし、過食嘔吐後は気分の落ち込みが激しいので、何もできなくなる。この波を一定にできるようになればいいですね」

最近は、意識的に食以外で興味のあるものの情報を集め、関心の対象を食べ物から別のものに置き換える方法を試しているそう。今は摂食障害を治そうという焦りはないと、貴子さんは言います。「2年前に結婚した影響も大きいかもしれません。過食嘔吐していると、『何のために生きているのだろう』とどんどん落ち込んでいくのですが、摂食障害であろうとなかろうと、私の存在を受け入れてもらえるという基本的な安心感が今はあります。まだまだ時間はかかりそうですが、少しずつ気持ちに変化が生じることを期待しています」

自分に合った働き方、食べ方を模索し、社会生活を重ねている香織さんと貴子さん。ただし2人とも、摂食障害の治療では現在、病院にかかっていません。専門的な知識を持つ医師が圧倒的に少ないため、それ以外の病院に行っても「全然意味がない」と感じて通院をやめてしまう人が多く、これがこの病気の患者がどのくらいいるか実態が分からない原因の一つになっています。摂食障害に「治る」というゴールはあるのでしょうか? 第3回では医師に治療法を聞きます。

(次回へ続く)

ライター、字幕翻訳者。映画、ドラマ(中国語圏が中心)、女性のライフスタイルなどについて取材・執筆している。大学卒業後、北京で経済情報誌の編集部に勤務。帰国後、団体職員を経てフリーに。