本という贅沢74『こんな雨の日に』(是枝裕和/文藝春秋)

嘘ばかりついてきた私が、「真実」に触れて考えたこと

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。10月のテーマは「○○な秋」。 書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが、秋におすすめの本を紹介します。今回は、芸術の秋にふさわしい映画「真実」(是枝裕和監督)ができるまでの、8年間の物語。
『こんな雨の日に』(是枝裕和/文藝春秋)

人前でお披露目するのは初めてなのだけれど、私は、なかなかに芯の太い筋金入りの嘘つきです。

女は息を吐くように嘘をつくなどと言われるけれど、まだ女になる前から、嘘ばかりついてきた。
きっかけはささいなことだったと思う。多分、幼稚園での出来事を面白おかしく話したら、普段忙しくてあまり話せない父が楽しそうに聞いてくれたとか、そんな感じ。

話を盛って笑いをとるくらいなら良かったと思う。でも、私の場合、口がうまかったのが災いした。話を盛り上げるために付け加えた小さな嘘(その時○○君がこんなふうに相槌うってさあ……)がウケるため、その嘘の精度にどんどん磨きがかかり、ないはずのリアリティが増していった。現実に起こった出来事と嘘との区別がだんだんつかなくなっていった。
日常生活が困難になるほどではなかったと思うけれど、一番重度だった時は“架空”の人物とともに“実際”に運営するコミュニティがあった。大学までの記憶は、嘘と真実が溶けすぎて混濁している。

私なりにこれをなんとかしたいと思って、心理学を学んだ。まあまあ病気の域に近いな、ということがわかった。
演技も学び劇団にも所属した。誰かを演じ堂々と嘘をつくことで、何かが変わるかもしれないと思ったからだ。ダメだった。まったく楽しくなかった。日常でいろんな人を演じすぎていたからかもしれない。

そんな時に、神に出会った。
もとい、就職活動中に、面接官だった是枝裕和さんに出会った。当時まだ30代だった是枝さんは、会社説明会で
「事実と事実をつなぎ合わせても、フィクション(嘘)は作れてしまう」
「ノンフィクションにも視点がある。“中立”な真実などない」
「だからこそ、撮ることに誠実でありたい。映像には対象との関係性が映る」
というようなことを話されていた。

衝撃だった。雷に打たれて一回死んだ。
いや、これは比喩じゃなく、私はこの日、一回それまでの自分を殺した。一回死んで、嘘のない人生を生きなおしたいと心底思ったのだ。だから、私の人生は紀元前BK(Before KOREEDA)と紀元後AK(After KOREEDA)に分かれる。是枝さんにすれば知ったこっちゃないだろうし(会話したことは数回しかない)、相当キモいけど、私の二度目の人生の創造神は是枝さんです。

その後私は、「虚言癖を治したいんです。是枝さんみたいに真面目にドキュメンタリーを撮っていれば、治るような気がするんです」と訴えて、内定をもらった。今考えたら、テレビマンユニオンもたいがい寛大な会社だったと思う。

それからいろいろあって映像の現場は離れたけれど、嘘と真実のあわい、ノンフィクションとフィクションの境界線、記憶と記憶の変更について、ずっと考え続けている。考え続けるためにライターを続けているといってもいいくらいだと思う。AKからの記憶は人並みに残っている。私なりに、めいっぱい真剣に仕事に向き合ってきた。書くことに真面目に向き合えば病気も治ると思っていたし、多分、それはそうだったと思う。

そんな是枝さんの、その名も「真実」というタイトルの映画が封切りされるという。なんでも、ある大女優の自伝に書かれた嘘をめぐる、彼女と娘の物語だとか。日本ではなく全編フランスで撮影されたと聞く。

ついていい嘘と悪い嘘はあるのか。
嘘と演出の違いはどこにあるのか。
人はどこまで「自分」を演じているのか。
記憶はどこまで確かでどれくらい書き換えられるのか……。

是枝さんと出会って以来20年間、しつこくしつこく毎日考えつづけてきたこと。是枝さんは、今、嘘と真実、そして演技と演出をどんなふうに描かれるのだろう。

一刻もはやく観たくて、ジャパンプレミアの試写会に申し込んだ。
これまでに観た映画の中で、一番好きだと思った。スカートにこぼれた涙の跡が残っていた。
そして、この映画ができるまでの物語が描かれた『こんな雨の日に』をダウンロードして、その晩、一気にkindleで読んだ。

本を読みながら、ベッドの中で映画以上に泣いた。この物語が届けられるまでの過程の大変さと、それを乗り越える是枝さんやキャストやスタッフのみなさんの真摯な仕事に、大げさじゃなくて生きる理由みたいなものを感じたからだ。

映画の中ではカトリーヌ・ドヌーヴさん扮する大女優が、劇中劇を演じる。その演技を通して、母と娘は過去の記憶を嘘と真実の両方で書き換えていく。

厚みのある二重構造を持った映画なのだけれど、『こんな雨の日に』を読むと、この「劇中劇」は、実は「劇中劇中劇」のような存在であったことがわかる。

・是枝監督が真実と虚構の間を行き来しながら演じる女優という存在を描く
・ドヌーヴさんやビノシェさんが女優(や女優の娘)の役を演じる
・その女優たちが映画の中で女優を演じる

本当の、構造は、三重なのだ。
ピアノ協奏曲だと思って聴いていた音楽が、交響曲に聴こえてくる。

それがわかって、もう一度映画館に足を運び「真実」を観る。

一度目は気づかなかった、「視点」の存在を感じる。だからカメラはここにあるのか。
そして、はっと気づく。
真実は人の数だけあるんだな。誰がどこから何をみるか。あるいは見たいか。なんというか、生きていていいよと言われているような映画だった。

映画を観た帰り道、紙の本を買って、また夜通しかけて『こんな雨の日に』を読む。
そして、じんわりと気づく。
演出の支配力と優しさ。だけどやっぱり、作ることでしか届かない真実がある。なんというか、生きなきゃだめだよ、作り続けなきゃわからなくなるよ、と言われているような本だった。

来週もう一度観に行こうと思っています。次は吹き替え版で。

ちなみに私は、映画では、スリーアミーゴス(「踊る大捜査線」参照)を思わせるダメ男3人組のある種、愚鈍ともいえる嘘のなさ(or噓のわかりやすさ)に、癒された。そのうちの一人、リュックが発する「真実」が、ビノシュさん演じるリュミールを救うシーンが好きだ。

優しい嘘が救う魂もあれば、真実が救う魂もある。

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読むなら電子書籍ではなく、ぜひ紙の本で。この本は電子書籍で読むと、製作者の意図の多くがこぼれ落ちるタイプの本だと思うからです。映画はテレビと違って受け手の時間と空間の両方を支配するコンテンツだけれど、ある種の書籍もやはり、空間を支配する。
それから、この本に4つめの重層感を与えている樹木希林さんの不在の存在感。是枝さんの『希林さんといっしょに。』と一緒に読むと、この本の奥行きがより立体的に立ち上がります。
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それではまた来週水曜日に。

年間10冊以上を担当する書籍のライターとして活動。ビジネス書から実用書まで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『道を継ぐ』など。