「仕事と不妊治療の両立」インタビュー02

不妊治療を休んで1年半。次の選択肢が見えない【仕事と不妊治療2】

会社員・Bさん(男性・35歳) 自然妊娠したものの流産し、「妊娠の確率が上がるなら」とスタートしたBさん夫婦の不妊治療。3年間で7回の体外受精・顕微授精にトライしたものの、妊娠には至っていません。治療を休んで1年半、夫として今、思うことは……。 大企業の若手有志が集まったコミュニティONE JAPANによる意識調査「仕事と不妊治療の両立」。このシリーズでは4人の調査参加者にそれぞれの体験談をうかがいました。

確率の高い方法で治療しよう

4年間交際してからプロポーズし、結婚しました。私は32歳、妻が31歳の時です。妻とは社内恋愛。広告業界で夫婦ともに仕事が忙しく、先週も帰宅はずっと終電間際でした。

結婚して1年たった頃、自然に妊娠したのですが初期に流産しました。この頃、家を買おうかという話も出たのですが、「子どもがいたら部屋は2つ欲しいね」「でも、今はまだわからないから」ということで先送りに。妻がノートに描いた絵には、大人が2人と子どもが2人。それが私たちの家族像でした。

それから1年ほど経って、クリニックに行きました。治療することで妊娠の確率が高まると思ったからです。通いやすさを考え、勤務先と同じ沿線にあるクリニックを選びました。

検査をしたところ、私の精子の数が基準値ギリギリ、妻は卵巣年齢の目安となるホルモンの数値が年齢の平均より少し低いという結果。大きな問題は見つかりませんでした。

タイミング法を3〜4回、人工授精に3回ほどトライして、体外受精にステップアップしました。ふたりの性格もあって、妊娠の確率の高い方法を選んだのです。

結果が出なければ転院したくなる

しかし、すぐにはうまくいきませんでした。結果が出なかったことと、排卵誘発剤など薬をたくさん使うこともあり「私にはこの方法は合っていないのかも」という妻の意見を尊重して転院を考えました。

実績のある大きなクリニックなら可能性も高いのではないかと思い、ふたりで説明会に行きました。イベントホールで開催されていたのですが、100人以上の参加者がいて、その規模と人の多さに驚きました。「これって何かのフェス? 新型iPhoneが発表されるんじゃないか?」と思うくらい。と同時に、「こんなにも悩んでいる夫婦がいるんだ」と実感しました。

説明会では、排卵誘発剤を極力使わない治療法であること、今までよりも通院回数が減ること、採卵は細い針を使って無麻酔で行うため、その日は午後から仕事に行けることなどがわかり、納得して転院を決めました。

浪人生の1年が妻にとっては1カ月ごとにやって来る

クリニックが遠くなったこともあり、通院の日は朝いちの受付をするために妻は早く家を出て、7時台から順番待ちをしました。

僕は、採卵の日は必ず付き添うと決めました。毎回一緒に受診することも考えましたが、妻が「来てくれてもすることがないから」と言うので、採精(精子の採取)の日、それは採卵と同日なのですが、その時だけは絶対一緒に出かけることにしたのです。もっとなにかしてあげたいと思っても、あまりできることがないんですよね。

前のクリニックと合わせて、3年間で7回の体外受精・顕微授精をしました。採卵できなかったことが2回、採卵したけれど受精しなかったことが2回、受精卵を子宮に戻したけれど着床しなかったのが3回。治療費の総額は約300万円で、そのほかにサプリメントなどで10万円くらいは使っていると思います。毎年、東京都の不妊治療の助成金を申請しました。
 
治療の結果がダメだった時って、大学受験で失敗した浪人生のような感じでしょうか。必死で勉強したのに不合格で、また1年間勉強しなくてはいけない。辛い1年が、妻にとっては1カ月ごとにやって来る。しかも受験と違って、いつ結果が出るかわからない。彼女の頑張りといったら……それが報われないので辛いんですよね。

「父親にしてあげられなくてごねんね」

1年半ほど前から、いったん治療を休んでいる状態です。今年1月、妻とふたりで話をしました。

彼女は、「受精卵が育たないのは私に原因があるから。あなたを父親にしてあげられなくてごめんね。あなたのお父さんとお母さんを、おじいちゃん、おばあちゃんにしてあげられなくて申し訳ない。あなたはまだ若いからチャンスはある。離婚してもいい」と言ったんです。

ビックリしました。僕は両親のことまで考えたことはありませんでしたし、もちろん、離婚なんて考えたこともない。妻は自分のせいだと感じていたようですが、これはふたりの問題。僕がもっと早くプロポーズして結婚していれば、状況は変わっていたかもしれません。

僕は「子どもを育てるなら養子という形もある。それも治療のステップアップのひとつと考えていいんじゃないか」と話しました。妻からは特に返事はなく、その日はお互いの気持ちを話して、今後どうするかは決めませんでした。

以来、治療について話し合っていません。今は、この話題に触れられない感じです。お互いに仕事が忙しく、やっとホッとできる土日に、暗い話はしたくないですし。

不妊を受け入れることが辛い

子どもができない今、人生設計が立てられない。家の購入も具体的に考えられません。今まで「子どもがいない人生」を考えたことがなかったんです。今はその事実を受け入れないといけない辛さがあります。

じゃあ治療を再開するかというと、「ここまでやっても結果が出ないのだから」と躊躇しますし、一方で治療をやめるのは子どもを諦めることにも思えて……堂々巡りしています。出口の見えないトンネルの中にいるようで、これからの選択肢が見えないんですよね。

不妊治療は「魔法のツール」のように思えました。最新の医学、費やすお金と時間……これを乗り越えれば結果はついてくると。でも、採卵、受精、着床など、それぞれの段階ごとに確率は下がっていく。子どもを授かることが、こんなにも奇跡的な確率だと思っていませんでした。

妻には笑って過ごして欲しい

今、一番望むのは「妻に笑って欲しい」。たとえば「宝くじに当たらないから」といって、毎日暗く過ごすわけじゃないですよね。不妊治療をしていた時間も、今も、人生の一部。ふたりでどう明るく過ごせるか、考えてみたい。

不妊治療が山登りだとすると、頂上に向かって頑張って全力で登っていた。でも、頂上が見えなくなって辛くなった。周りの風景を楽しみながら登っていくこともできたかもしれない、と今なら思えます。

これからどうするか、今はまだ見えていません。僕たちにはどんな可能性があるか、妻に示していくのも、夫として僕の役目なのかなと思っています。

女性向け雑誌編集部、企画制作会社等を経て、フリーランスの編集者・ライター。広報誌、雑誌、書籍、ウェブサイトなどを担当。不妊体験者を支援するNPO法人Fineスタッフ。
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