「オープンリーゲイ」の松岡宗嗣さん「“らしさ”の押しつけ、やめませんか」
●行こうぜ!性別の向こうへ
体が細い=男らしくない、という方程式
――「行こうぜ!性別の向こうへ」というタイトルの企画なのですが、松岡さんは性別にとらわれて窮屈に感じた経験はありますか?
子どもの頃から体の線が細かったので、小学校高学年くらいから「なよなよしてる」って、いじられていました。中学でソフトテニス部だったことを「女みたい」って言われることもありました。今思うとすごい偏見ですけど。これって、男らしさ=体ががっちりしていて、ハキハキしているっていう前提があるからですよね。
みんなが自分らしく生きられたらいいと思うので、「女らしく生きたい」「男らしく生きたい」と思うこと自体はその人の自由で、良いことだと思います。ただ、それを誰かに押しつけることをやめませんか、と言いたいです。「らしさ」を押しつけたり、そこに優劣をつけたりする風潮が社会の構造になっていて、それがしがらみになっていると思います。
ヒエラルキーの下のほうにいる感覚は今もある
――子ども同士でも、「らしさ」の枠から外れた途端に、からかいの格好のターゲットになりますよね。そういった対象になったときは、どのように乗り切っていたのですか?
たとえばゲイであることをカミングアウトしていなかった中学や高校時代は、同級生に抱きついて周りから「気持ち悪い」と笑われたり、自らホモネタをつかって笑いを取ったりすることが定番でした。自分のことを笑いにしてみんなが笑ってくれるならそれでいいやって思っていましたが、チクチク痛む感覚はありましたね。なんかこう、ヒエラルキーがあるとしたらなんとなく上のほうじゃないっていう感じ。自分は下のほうなんだ、ということは内面化していたような気がします。
――「ヒエラルキーの下のほう」という感覚は、今も持っていますか?
性に関することでいうと全然ありますね。LGBTと呼ばれる人たちが、社会に存在していることが認識されていないなと思うことは今も多いです。パートナーと街を歩くときに、どう見られているかなってドキドキして手をつなげないですし。これだけゲイであることをオープンにして活動していても、パートナーと外出するときは周りの目を気にしてしまいます。
ただ、性的マイノリティであるということ以外では、社会の中で優遇されやすい属性を持っていると感じることもあります。例えば、男性であることや、もしかしたら住んでいる場所や経済的な状況などもそうかもしれません。
その人個人のことではなく、その人につけられているレッテルやタグみたいなもので勝手に低く扱われることって、マイノリティだと経験することが多いと思うんです。障害者やLGBTもそうだし、女性であることもそうだと思う。誰かからいきなり低く見られるという共通の感覚があるんじゃないでしょうか。
誰にも本当のことを言えないと、いつしか自分が分離していく
――プロフィールには「オープンリーゲイ」とありますが、ゲイをオープンにしたのはいつごろだったのですか?
最初にカミングアウトしたのは、高校を卒業した春休みでした。仲が良かった高校の友人たちとご飯を食べに行ったときに「お前結局どっちなの?」と聞かれて、もう言ってもいいかなと思ってカミングアウトしました。
中高時代は、自らホモネタで笑いをとる"ゲイキャラ"のような立ち位置だったので、友人の間でも「宗嗣は実際どっちなんだ」という疑問があったみたいです。
それまでは、大切な友人にも本当のことを言えなくて、仕方なくうそをつくこともありました。家族には「友人に会う」とうそをついて、マッチングアプリで知り合ったゲイの人に会いに行っていました。家族や友人の前でいる自分と、また別の自分がいるというか、自分が自分から分離していく感覚がありました。
高校卒業というタイミングで友人に話せたのは、どうせ大学で上京するし、もし受け入れられなくてもいいかなと思ったからです。友人たちは、「冗談だと思っていたけど、別にいいんじゃない、宗嗣は宗嗣だし」と受け止めてくれました。
それまで、ゲイであることは自分の中で大きなモノとして存在していましたが、友人の反応で、ゲイであることはあくまでも自分を構成する要素のひとつなんだと思えた。このときに心が軽くなり、カミングアウトへの恐れも徐々に小さくなっていきました。
今はゲイであることを公にして活動しているし、全方位的にカミングアウトしている状態なので、あえて「オープンリー」という言葉をプロフィールなどには入れています。ただ、カミングアウトする/しないはその人の自由です。伝える範囲も、身近な人にだけカミングアウトする人、全くカミングアウトしない人など、人それぞれです。
――「全方位的に」ということは、ご家族も今は松岡さんのセクシュアリティを知っているんですね。
母親へのカミングアウトは、大きな出来事でした。大学2年の5月に、東京に遊びに来た母親とご飯を食べているときでした。もともと言うつもりはなかったんですけど、「彼女できた?」っていういつもの質問が始まって、あー面倒くさいなーって思っていたら、「じゃあ彼氏できた?」って聞かれたんです。まさかバレているとは思っていなかったので、びっくりして。そこで、もう言ってもいいのかなと思って話しました。
家族や友人に受け入れられて、心持ちも強くなれた
――お母さんは、どんな反応だったんですか?
母親は、「宗嗣が病気になったときに誰かが隣にいてくれることが大事で、親としてはそこが一番心配。だから隣にいてくれる人が男でも女でも何でもいいよ」と。それまでも、きっと母親は受け入れてくれるのではないかとは思っていましたが、でももしかしたら、と思うと言えずにいたので、そのときは率直に安心しました。後から聞いた話ですけど、母親は「息子はゲイなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない」ってずっと想定していたみたいです。
カミングアウトって、身近な関係であればあるほど、もし1%でも受け入れられなかったらって思うと怖くて、ハードルがすごく高いんです。でも逆に、受け入れられると自分に自信が持てるというか、帰る場所ができる。中学から早く家を出たいと思っていました。だけど家族全員が知ってからは、もっと家に帰りたいという気持ちが強くなりました。実際はあまり帰省できてないんですが……。
友達や家族に受け入れてもらって楽になったし、心持ちも強くなれたからこそ、オープンにしようって思えるようになりましたね。それで大学時代にLGBTに関する活動を始めたんです。
(次回へ続く)
- ●松岡宗嗣さんプロフィール
1994年生まれ。一般社団法人fair代表理事。明治大学政治経済学部卒。2018年に一般社団法人fairを設立。政策や法制度を中心としたLGBTに関する情報発信やキャンペーン等を行う。教育機関や企業、自治体等での研修や講演多数。2015年、LGBTを理解・支援したいと思う「ALLY(アライ)」を増やす日本初のキャンペーンMEIJI ALLY WEEKの発起人となる。
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