映画『夜明けのすべて』が教えてくれた“助け合い”という関係性。「何をやってもダメな日」があっても
「私は価値がない」そう思う自分を、どう受け入れる?
「どうして私は生きてるんだろう?」。いきなり重い言葉で恐縮だけれど、なんのスイッチもなく突然そんなふうに思うことがある。どうしようもなく気分が落ち込んで、何をやってもうまくいかなくて、うまく人に頼ることもできずに、一人で抱え込んで勝手にしんどくなっている。とくに理由があるわけじゃない。ただ漠然と「何をやってもダメ」「私なんていなくてもいい」と思ってしまう。
スーパーのレジに並んでいて、自分に対してだけ店員さんの扱いがぞんざいだと感じてしまったり。電車に乗り込んだときに人とぶつかって、舌打ちをされたように思ったり。ビジネスチャットツールのSlack(スラック)で仕事関係の連絡をしたら、私の発言にだけスタンプのリアクションが0だったり。きっかけなんて些細(ささい)なことだし、もしかしたら、きっかけとも言えないくらいのこと。それでも、積もり積もったモヤモヤが一気に噴き出してくるような夜がある。
映画『夜明けのすべて』の藤沢は、とても重いPMSの症状を抱えている。映画では冒頭から、ちょっとしたことがきっかけでイライラと感情が波打ち、爆発してしまって自身でも抑えきれなくなっている藤沢の様子が描かれていた。新人時代に上司からコピーを頼まれたとき、いまの勤務先である栗田科学で、同僚の山添が炭酸水を飲もうとペットボトルの(ふた)を捻(ねじ)って「プシュッ」と音を立てたとき……そんな些細なスイッチが、引き金となってしまう。周囲の反応は、藤沢をまさに腫れ物に触るように扱ったり、気持ちを落ち着かせるためその場を離れるように誘導したりと、さまざまだ。
私はというと、そこまでPMSは強くないタイプだ。それでも、数カ月に一度はメンタルが底まで落ちる。普段なら気にしないようなことが気になり、うまくいかないことがあると「私なんか価値がない」とすぐに結びつけてしまう。私なんて、世のなかで必要とされている人間のはずがない、もっと違う人間に生まれてくればよかった……。そんな思いが頭をぐるぐるとかけ巡る。2~3日そんな状態が続くと、月に一度のものがやってきて、ああ、PMSだったのかと気づく。そんな具合だ。
こういう時期は、SNSを見ても何をしても逆効果。よくある話だけど、誰かが楽しそうにしているだけで、自分だけが置いていかれたような気がするのだ。家族とか友人とか、身近な人にさえ相談するのは躊躇(ちゅうちょ)する。「こんなことで落ち込むなんて」と思われたくないし、「大丈夫?」と気遣われることで、余計に情けなさ度合いが増す気がする。
藤沢がPMSによる生きづらさを抱えている一方で、山添はパニック障害の当事者だ。電車に乗れない、過呼吸に苦しむなどの症状があり、元いた会社から栗田科学に転職した。前の職場の上司も、栗田科学でともに働く人たちも、山添のパニック障害を理解し適切に対応しようとしているけれど、実態に追いついていないと感じられる描写もある。
そして山添自身も、彼を心配して声をかけてくれた藤沢に対し、当初は「(PMSとパニック障害は)全然違うんじゃないですかね? しんどさもそれに伴うものも」と発言している。当事者じゃない限り病気や症状について正確に捉えるのは、とても難しいことなのだ、と感じてしまう。
男性上司ばかりに頼っていた新人時代
つらいことを、一人で抱え込むのはしんどい。私がとりわけしんどくなるのは人間関係にまつわることで(多くの人がそうだと思うけど)、中でも、同性・異性それぞれに対する距離の取り方を計るのはハードすぎると感じられて仕方なかった。とくに新卒で入った会社員時代。社会に出たばかりの私は、自分がどう振る舞えばいいのかわからず、戸惑うことも多かった。
おそらく、私は無意識のうちに「男性上司は優しい」「女性上司は厳しい」と決めつけていたのだと思う。いま振り返れば、あまりにも短絡的だった。でも20代前半の未熟な私は、仕事がうまくいかないとき、つい男性の上司にばかり頼っていた。彼らはどこか余裕があり、落ち着いた態度で相談に乗ってくれるように思えたから。一方で、女性の上司に相談するのはなぜか怖かった。同性だからこそ厳しく指摘される気がしたし、「自分も頑張っているのに、あなたも甘えず頑張りなさい」と言われるのではないかと不安だった。
実際に私は、仕事の悩みを優しく接してくれる男性上司にばかり相談していた。すると、ある日から女性の上司が冷たくなった。明らかに態度が変わり、細かいことでも厳しく注意されるようになったのだ。最初はワケがわからなかったけど、だんだん気づいた。私は職場の人間関係を「男性=味方、女性=敵か味方か」に無意識に分けてしまっていたのだ。
私には「女性の厳しさ」への恐れがあったのかもしれない。職場の人間関係を性別で判断することで、私自身が他人との距離を歪めていたんだろう。でも、本当にそうだったのだろうか? 性別が違うだけで、助けてもらうことや頼ることに線引きをする必要があったんだろうか。
藤沢と山添に見る、心地よい距離感
映画『夜明けのすべて』は、そんな私に新しい問いと答えをくれた。
藤沢と山添は、お互いの状況を半ばシステマチックに理解し、必要なときにそっと手を貸し合う。二人がお互いに抱える事情を知ったのは、ともに働いている中で症状が出てしまったのを見かけたから。当初はそれぞれの病気や症状に対してあいまいな理解だったけれど、お互いの話を聞いたり、病気についての本を読んで知識をつけたりすることで、少しずつ対処法を得ていく過程が心地よかった。
私が何度も思い出すのは、藤沢がPMSによって気分が不安定に揺れているとき、山添がわざと彼女を外に連れ出して「ちょっと一回深呼吸しましょうか」「いまPMSの症状出てるかなって思うんですよ。ちょっとしばらく一人で怒っといてもらっていいですか?」などと言い、自分が飲み物を買ってくるまで洗車を頼むシーンだ。このときの藤沢は、会社の大掃除のために電灯カバーなどを拭いている最中だった。その表情やしぐさから、PMSの症状によって少しずつイライラし始めているのが伝わり、山添が声をかけたことで堰(せき)を切ったように見えた。
ただそれだけのことなのに、その距離感が心地よい。憐(あわ)れみでもなく、かといって無関心でもない距離。
私がかつて職場で悩んでいた「異性だから頼れる」「女性だから怖い」といった感覚とは、まったく異なる関係性だった。性別に関係なく、お互いのことを知り、ある程度の理解があれば、無理なく助け合うことができる。藤沢と山添の間には「困ったときに自然と支え合う関係」が無理なく成立していた。
上記に挙げた洗車のシーンも好きだけれど、その後、二人は互いにざっくばらんに病気の症状について開示し合う。歩道橋を歩きながら、藤沢が山添に「パニック障害になったきっかけ」について聞くなど、一般的には踏み込むのに臆してしまいそうな話題を投げかけている。しかし、一見すると不躾(ぶしつけ)に思えてしまうそのやりとりが、積み重ねが、二人の間に唯一の信頼関係を醸成させている。そして、そこには必ずしも恋愛感情が存在するわけではない。
もしも私が新卒時代にこの映画を観ていたら、どう感じただろう。おそらく「職場の人間関係を性別で区切ることの無意味さ」にもっと早く気づけたのではないか。人は、異性だから優しいのではなく、同性だから厳しいのでもない。個々の人間関係にはもっと多様な形があり、「助ける・助けられる」関係性も、さまざまな文脈で成り立つことを知っていたら、私はもう少し違う形で周囲の人と向き合えていたのかもしれない。
いまの私は、ようやく少しずつそう思えるようになってきた。それは、藤沢と山添のように、おそらく相手に特別な思いはなくとも必要な手を貸し合える、そんな関係性が理想だと気づいたからだ。
誰かとつらさを分け合えたら
生きづらいと感じているときに、素直に他者に「助けを求めること」は、とても難しいと思う。頼りたい気持ちはあっても「迷惑をかけるのではないか」「気を遣わせるのではないか」と考えてしまって、結局自分の中に閉じ込めてしまうことが、いまでもある。
性別の違いを意識し、さらにそこに恋愛という文脈が見え隠れすると、もっと頼るハードルが高くなる。同性なら自然にできることも、異性が相手だと「変に勘違いされないか」「距離感をどう取ればいいのか」と余計なことを考えてしまって、素直に頼ることができなくなる。
けれど『夜明けのすべて』が教えてくれたのは、異性だって同性だって、助けてもらうことはあるし、自分も誰かを助けることができるということ。藤沢と山添が築いていく関係のように、お互いの状況を理解し合いながら、シンプルに「できることをする」ことで成り立つ助け合いもあるのだ。ただ相手の困難に寄り添い、必要なときにそっと手を差し伸べる。それだけで、救われる瞬間がある。
「何をやってもダメな日」は、これからもきっとある。でも、そんな日も誰かとつらさを分け合えたら、生きづらさはほんの少しでも軽くなるのかもしれない。頼ることも、頼られることも、もっと自然にできるようになったら……きっと、私たちはもう少し生きやすくなるのだと思う。

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