およねの美味しいさじ加減 #1

35歳、「どん底」だった2児のワーママが30万フォロワーの“爆速レシピクリエイター・およね”になるまで

インスタグラムに投稿した「肉巻きおにぎり」の動画が再生回数2500万越え、レシピ本「禁断の爆速ごはん」を出せば即重版という、爆速レシピクリエイター・およねさん。じつはほんの2年前はどん底でした。夫が過労で体調を崩し無職となり、自身もワンオペ育児でキャリアを中断。自分を見つめ直し、生き方を変えたその先で掴んだものとは――。育児と仕事の両立や夫婦関係など、様々な角度で人生を美味しくするヒントをお伝えします。
【レシピ】まな板いらずの肉巻きおにぎり

はじめまして。爆速レシピクリエイター・およねと申します。「自炊ハードルを地の果てまで下げにいく」をモットーに、洗い物の工程までラクを追求した、美味(おい)しくて楽しい“爆速レシピ”をSNSで発信しています。現在36歳 。2児を育てるワ―ママです。

私が料理動画の投稿を始めたのは、2021年12月、35歳のとき。当時、私はどん底にいました。自分の人生に不満しかありませんでした。今回はその時のことを振り返り、なぜそんな状態になってしまったのか、そこからどうやって立ち直ったのか、お伝えできればと思います。

ワンオペ育児で“キャリアを捨てた”

福祉系の大学を卒業した私は、高齢者の方向けに福祉サービスを展開する、ベンチャー企業に就職しました。お年寄りを笑顔にするという事業内容はもちろん、自分の働きがダイレクトに会社の発展につながるという実感もあり、すごくやりがいを感じていました。ただ、残業で深夜0時を超えることもざら。6年目に入った頃から、激務とやりがいのはざまで悩むように……。

そんな時に27歳で結婚。1年後に第一子を授かり、育休に入りました。バリキャリ志向だった私は、認可保育園へ入るための点数稼ぎもあって、子どもが1歳になる前にベビーシッターに預けて復職。時短勤務でしたが、夫も激務だったので育児も家事もすべて私が担当していました。結局、復職2カ月で限界が来て、逃げるように退職を決めました。

持ち帰り仕事がないこと、定時で帰れることを条件に転職したのは、福祉の知見を生かして発達障害のお子さんへの療育サービスなどを展開する会社。前職で採用業務の経験があったことから、採用部の事務をすることになりました。仕事内容は面接の日程調整や管理。条件通り、定時で帰れるものの、達成感や自分の成長を感じることができず、帰宅すれば相変わらずのワンオペ。自転車を爆走させて子どもを迎えに行き、ごはんを食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつけ、疲れてそのまま寝落ちし、またおんなじような朝が来て……。キャリアを捨てたのに根本的な解決にならなかった。私は「落ちて」しまった――。それでも、「今は子育て中なんだから仕方ない」と自分に言い聞かせていました。

もっと私はできるはずなのに――

ところが、32歳で第二子を出産し、子育てに慣れてくると、「今は育児に専念しているからキャリアダウンしても仕方ない」という自分への言い訳が利かなくなってきました。「もっと私はできるはずなのに」という思いに駆られていた時、より専門的なキャリアを積める部署への異動を打診され、喜んだのもつかの間、2020年、コロナ禍によって会社の状況が変わり、異動も白紙に……。完全に心が折れてしまい、半ば衝動的に2社目も退職してしまいました。

自分のキャリアを取り戻そうと、社会保険労務士の資格を取ることを決意。それだけでは生活が心配で、保育園を続けるためにも、知人からの紹介で平日3時間、自宅でできる業務委託の仕事をすることに。収入はガクンと下がりましたが、これが大きな転機となりました。これまでいつも時間に追われ、余白のない暮らしをしていた私。裁量労働制という時間に縛られない働き方は目から鱗(うろこ)でした。やっと気持ちに余裕ができ、これでうまくいくかと思いきや……。

娘と息子。手をつないで保育園から帰宅(本人提供)

夫は無職、妻は休職。収入ゼロに

2021年9月ごろ、夫の様子がおかしくなりました。手足がしびれて眠れないと言い、会社に行けない状態に。夫の様子を見ていて「このままでは夫が壊れてしまう」と感じ、夫婦で話し合って退職を選択しました。当時の私は資格試験のために業務委託の仕事をお休みしていました。いきなり夫婦そろって収入ゼロになってしまったのです!

なぜこんなことになってしまったんだろう。夫は大きな会社でバリバリと働き、私も一生懸命やってきたはずなのに。ふたを開けてみたら夫は無職、妻はやりがいのない仕事とワンオペ育児でちっとも幸せじゃない……。夫婦で毎日、話し合いました。そこで気づいたのが、「私たち、自分のことを大事にしていなかった」ということでした。

夫は年収を上げることや出世することを自分のアイデンティティーにしていたし、私は私で、“稼ぐ夫”であってほしい、そのために自分がキャリアを下げて家庭を回すんだと思っていました。でも、夫は本質的には出世レースに向かない人間。社会の価値観や会社の風土に巻き込まれて、自分の心を無視して無理をしてしまった。私も、夫に稼いでもらうため、育児に専念するため、いい家に住み、いい暮らしをするため、「もっと仕事で輝きたい」「自分の生きがいを感じたい」という気持ちを押し込めてしまったのです。

「社会的にどう見られるかじゃない。これからは自分の価値観を大事にしよう」と話し合った私たち。夫は自分が洋服好きだったことを思い出し、インスタでファッションを投稿することに。じゃあ、私も自分の好きなことをなにかやろう、と考えたときに、思い出しました。「私、料理が好きだった」

3年前の家族旅行。自然を感じる場所によく行きます(本人提供)

誰かから見た幸せではなく

共働きの家で育ち、学校から帰ると料理上手な祖母に色々教えてもらっては作っていました。家族が喜んでくれると嬉しくて、嬉しくて。それなのに、いつのまにか時間に追われ、大量の作り置きや冷凍食品で、料理がやっつけ仕事になっていた――。もう一度、料理の楽しさを思い出そう、忙しいワ―ママが料理の楽しむ気持ちを諦めないで済むレシピがあるはずだ。そのために面倒な調理工程は極力省けないか……そうして、料理動画をTikTokとInstagramに投稿したのが、2021年12月のこと。“爆速レシピクリエイター・およね”の誕生です。

その後、夫は無事に再就職。私は業務委託の仕事を再開しつつ、料理動画の投稿にのめり込み、投稿を初めて1カ月でTikTokのフォロワーが1万人に。そして、インスタグラムにアップした「肉巻きおにぎり」の動画がバズって、2500万回再生になり、ありがたいことに現在では「およね」としてのお仕事一本でやらせていただいています。

料理動画でバズったことが、私の人生の転機ではないと思います。本当の転機は、35歳のどん底のあの時に、自分の価値観と向き合い、「自分軸で生きる」と決めたこと。

長く採用の仕事をしていた私は、誰がどのくらいの年収なのかダイレクトにわかる仕事をしていたので、無意識に自分と比べていました。数字や出世が全てという価値観に、夫だけでなく私自身も取り込まれていたのだと思います。料理動画を始めた当初は、「そんなのお金になるの?」とよく心配されました。実際、SNSで得られた最初の収入はわずか160円でした。でも、「こうしたらもっと見てもらえるかも」と研究し実践する毎日は、すごくワクワクして、充実していました。夫も新しい会社では自分のペースで働けるようになり、19時には帰宅。育児や家事も分担するようになり、子どもの笑顔も増えました。

誰の価値観でもなく、私の価値観で、ワクワクする未来を選び取っていくこと。35歳で立ち止まったから気づけたことです。

あらためて振り返ってみると、本当にあの頃は迷走していましたね(笑)。今も迷いながらですが、こんな私のしょっぱい経験がお役に立てたらうれしいです。今後は、夫の無職の直前に起こった長女の「小1の壁」や、最近行った「夫婦カウンセリング」での気づきなどもお話していきたいと思います。キャリアに育児に夫婦関係……悩み多き私たち、でもほんのすこしのさじ加減で人生は美味しくなると信じて。

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肉巻きおにぎり

(トップ写真:齋藤大輔)

【レシピ】まな板いらずの肉巻きおにぎり

『禁断の爆速ごはん ここまでやっちゃう100レシピ』

著者:およね
出版社:主婦の友社
定価:1,595円(税込)

2児を育てるワ―ママ。「巻かない棒餃子」「フライパンで完結するとんてき」など、ささっとラクに作れてちゃんとおいしいレシピを発信。2021年から始めたInstagramやTikTokで一気に注目が集まり、現在SNSの総フォロワー数は約30万人。Voicyにて「およねの人生を味わうラジオ」を毎朝7時に放送中。著書に「禁断の爆速ごはん ここまでやっちゃう100レシピ」(主婦の友社)。
エッセイスト/ライター。エッセイ集『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎)2024年7月発売。出版社で雑誌・まんが・絵本の編集に携わったのち、39歳で一念発起。小説家を目指してフリーランスに。Web媒体「好書好日」にて「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。特技は「これ、あなただけに言うね」という話を聞くこと。note「小説家になりたい人(自笑)日記」更新中。