【連載#4:松村未央の毎日が末広がり】娘がボケて夫(陣内智則さん)がツッコむ我が家。将来はお笑いタレント、それとも…

報道番組などを担当するフジテレビアナウンサーの松村未央さんは、2017年にタレントの陣内智則さんと結婚。翌年に第1子となる女児を出産しました。夫の陣内さんとの夫婦の関係や、キャリアと家事・育児の両立――。松村さんが日々、感じたり、考えたりしていることを率直に語るコラムを、毎月第4土曜日にお届け。今回は松村さんがアナウンサーを目指した理由や、娘さんに望むことについて今の思いを語ります。
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私がアナウンサーになった「理由」

今回は私がアナウンサーを目指した理由や娘に望むことをお話ししようと思います。

シンプルに小さい頃からテレビが大好きで、テレビ局で働きたいと思っていた私。テレビの虜になったのは、アメリカに住んでいた9歳から13歳までの間でした。学校から帰ると、テレビをまずつけ、ティーン向けやファミリーを対象としたアメリカのドラマを見ていました。とても面白くてハマってしまい、毎日見ては笑っていました。同時に、現地校に通っていた私はテレビを見る事で、英語での日常会話を覚えたり、流行を知ったりすることもできました。

その時にテレビの向こう側というのは、楽しい世界なんだろうなと想像していたのを覚えています。
本格的にその世界に関わりたいと思ったのは、日本に帰国した後の中学生の頃。バラエティーでは「めちゃ×2イケてるッ!」や「ココリコミラクルタイプ」、情報番組・ニュースでは「めざましテレビ」や「スーパーニュース」が大好きでした。朝の日課は「めざまし」を見ながらトーストを食べること。そんな日々を送っている中で情報やニュースを伝えるアナウンサーをかっこいいと感じ、なりたいという思いが芽生えました。憧れたのは当時スーパーニュースのキャスターだった安藤優子さんやアナウンサーの木佐彩子さん。

テレビを見ることで変わった同級生との関係

中学校のときはお昼の校内放送を担当することもあり、そこで曲紹介をしながら話すことはありました。高校はテニス漬けであっという間に過ぎてしまい、アナウンサーをめざして特別なことをしていたわけではありません。ただ学内で「私の夢」についてスピーチをする機会があり、そのときはアナウンサー志望であることについて話しました。

私は帰国子女で、日本に戻ってきた当初は見た目もアメリカナイズされていて、なかなか環境になじめなかった。それを解決してくれたのがテレビ。流行っている歌や時代のトレンドといった同級生と共通の話題ができたり、テレビの番組について話すこと自体で盛り上がったりできるようになった。だから「テレビ局で働きたい、アナウンサーになりたい」といったようなことを訴えたのです。

大学の学部はアナウンサーをめざす前提で、視野が広がりそうな法学部政治学科を選びましたが、サークルでのテニス漬けの生活は変わらず。学生キャスターのような人前に出ることはしていませんでした。それでも学部のゼミ以外にも、学内にあったメディア・コミュニケーション研究所でマスメディアについての勉強や、企業訪問をしてテレビ局の人からお話を聞いていました。

先輩から紹介してもらい、テレビ局でお昼の情報番組のテロップの打ち込みのアルバイトをしていた時期もありました。朝に局に行って、テロップの打ち込みやコピーなどの業務をし、放送が終わったら帰るというアルバイトでした。そこで、多くの人が一つのコーナーや番組を成立させるために必死になっている姿に感銘を受けました。夢は膨らみ、テレビ局での仕事は楽しそうだと改めて思いました。

アナウンススクールに通ったのは短期間で、時事問題の勉強もそれほど進まず……。アナウンサー職の募集期間は短くて短期集中試験のような感じでした。その最初の試験が第一志望だったフジテレビ。知り合いから募集が始まっていると教えられて、慌てて写真を撮るなどバタバタでした。

アナウンサー内定は嬉しかった一方、びっくりも!

そこでミラクルが起きたのです。
私の就職活動全体としても1社目だったフジテレビから、内定をいただいたんです。本当にツイているとしか言いようがない!と思いました。本当に嬉しかったし、びっくりしました。面接の手応えはなかったのですが、試験はとても楽しかったのを覚えています。「一緒に働きたい」と感じてもらえたのかな、と振り返って思います。

4月に新社会人になられた方も多いかと思います。私も不安は感じていましたが、同期が入社前から仲間のようになっていたので、助け合いながら新入社員として頑張っていこう、という気持ちの方が強かったですね。
ただ、コロナ禍で人と会わない時期が長くなったこともあり、今年の新社会人の方は日々の生活に緊張したり、不安を抱いたりする方も多いでしょう。私は大事なのはあいさつだと思っています。しっかり向き合って、目を合わせてあいさつすれば、好印象ですし、誠意を見せることができる。会話のきかっけにもなると思います。まずは元気にあいさつしてみてはいかがでしょうか。

好きでなったアナウンサーという仕事。娘がアナウンサーになりたいと言ったら? 様々な人に出会い、いろんな人と力を合わせることができる、とても楽しい仕事なので応援します。その話で言うと我が家では娘に、夫と同じお笑いタレントになったら? みたいな話もよくするんです。4歳の娘がボケて夫がツッコむという構図が既にあって。娘はしょっちゅう変顔したり、小ボケをしたり……。夫に似たのか、娘は既に笑いをわかっていると感じます(笑)。どんな職業を選ぼうとも私は、娘がやりたいことをしてくれれば、応援します。

4月になり、機嫌がいい娘、そして私も!

娘は4月になって非常に機嫌がいいんです。保育園で学年が一つ上がることが、お姉さんになったみたいに感じて、うれしいみたいですね。
そんな娘に望むことは、まずは最低限、噓をつかないようになってほしいですね。最近は食事のときに「野菜食べたら、イチゴあげるから」と私が言うと、本当は食べてないのに「食べたから、イチゴ」と……。顔に出るからすぐわかるんですけど、噓をついてばれないようにやり過ごす方法を覚えているような気がして。これも成長している証なのかなと思うのですが、嘘をつくのはよくないことだと教えています。加えて、みんなに優しい人、ルールを守れる人に成長してほしいですね。

新年度。私も娘同様、気分は高揚しています。プライベートではずっとしたかった運動がしたい!昔やっていたテニスを改めて習おうかと考えています。

仕事では今の担当番組に加えて、ロケやバラエティーにもっと挑戦したいですね。4月で15年目なので、後輩の指導はもちろん、私自身も気を引き締めて臨みたいです。私が新人だったときの入社15年目の先輩は、本当に雲の上の存在でした。比べて今の私は後輩の手本となっているのか……。不安になることもありますが、私なりに歩みを進めて行こうと考えています。

【連載#3:松村未央の毎日が末広がり】「ごめん」「またか」・・。2度にわたる夫(陣内智則さん)のコロナ感染で、「家族の絆は深まりました」
横浜市出身。慶応大学法学部卒業後の2009年、フジテレビに入社。現在は「めざましどようび」内のニュース、「FNN Live News days」(土曜)、「めざまし8(ナレーション)」などに出演している。趣味はテニスやゴルフ、カフェ巡りなど
ハイボールと阪神タイガースを愛するアラフォーおひとりさま。神戸で生まれ育ち、学生時代は高知、千葉、名古屋と国内を転々……。雑誌で週刊朝日とAERA、新聞では文化部と社会部などを経験し、現在telling,編集部。20年以上の1人暮らしを経て、そろそろ限界を感じています。
1989年東京生まれ、神奈川育ち。写真学校卒業後、出版社カメラマンとして勤務。現在フリーランス。