フジ・西山喜久恵アナ「30歳が“賞味期限”と言われた時代もあった」変わる女子アナ、「私たちは普通の会社員」
有賀・河野・八木の〝花の3人娘〟がひらいた道
――1992年に入社されたフジテレビ局内の雰囲気は、いかがでしたか。
西山喜久恵(以下、西山): 私は「ひょうきん由美」の愛称で知られた益田由美さんにあこがれて入社しました。自分で番組のプロデュースなどもする益田先輩のようになりたいという思いがあったんです。
当時は女性アナも男性アナと同じように仕事をしていましたが、その役割は限定的だった気がします。その中で88年入社の有賀さつきさん、河野景子さん、八木亜希子さんの〝花の3人娘〟が、華やかな時代を築かれ、女性アナの活躍の場が広がっていきましたね。
――当時は「女性アナ30歳定年説」も言われていました。
西山: 30歳が“賞味期限”と言われた時代も確かにありましたよね。実際に結婚を機に仕事を辞めたり、フリーになったりする先輩も多かったですが、30歳前後は人生の節目と重なる時期。それもあって盛んに喧伝されていたのでしょうね。
私自身は20代後半に「プロ野球ニュース」を担当し、その後は報道番組に携わる中で「30歳定年」は意識しないようになりました。そして仕事とプライベートを一生懸命やっていたら、ここまで来たという感じです。
フジテレビのことが本当に好きで入社して、仕事をすればするほどスタッフの方や、社風が「自分に合っているな」と思っていたので、何の迷いもなく――。すごく幸せだなと感じています。女性が働きやすくもなりましたし、企画や意見も通りやすい環境です。
いまだに残る間違ったイメージ
――アナウンス室チーフアナウンサーということですが、どのような仕事を?
西山: 後輩の勤務を差配したり、管理したりというデスク業務、新人やフジテレビの系列局の研修もしています。
――30歳定年説は聞かなくなりましたが、男性は男子アナと言われない一方、女性は変わらず女子アナと呼ばれ、タレントのように見られる状況は続いています。
西山: 女子アナと呼ばれることが当たり前の時代に入社したので、当初は違和感もありませんでした。それでも女子アナに関しては、ある時から女性アナと称されるようにもなった。我々も世間の方の意識も次第に変わってきているように感じます。
ただ、タレントさんのように見られる状況は今でもありますね。テレビでタレントさんと一緒に映る機会が多いので、そう見られる方もいらっしゃるのかな。取材先から電車で帰ろうとすると、「えっ、電車に乗るんですか?」と驚かれます。タレントさんのように車で送り迎えをされるという間違ったイメージがいまだに残っている。普通の会社員なんですけどね。
それでもよぎった30歳定年説
――先ほどプライベートも一生懸命というお話がありました。97年に結婚され、2007年に出産されました。変化はありましたか。
西山: 変わりました。結婚後、1年くらいで「プロ野球ニュース」の出演が終わり、次の担当予定の報道番組に出るまでの半年間、仕事がほとんど無かったんです。ものすごく焦って、しかもそれがちょうど29歳。「30歳定年説」が頭をよぎりました。でも主人から「もっと自由に色んなことを経験して、ゆったり構えていればいいんだよ」って言われて。今は知識を蓄える時期だと、考え方を切り替えることができました。励ましてもらったのは、すごく大きかったですね。
子どもは結婚後10年で授かりました。高齢出産だったこともあり、産休を早めに取らせてもらいました。産まれてみると育児が、今までのつらかった仕事よりも本当に大変。わからないことがあると育児書を読み、結構追いつめられるような毎日…。この子を大切に育てなきゃという責任感が私の場合はプレッシャー。でもシッターさんなど色んな人の手を借りるようになって、少しずつペースがつかめてきました。
出産翌年のそんな時にあったのがお昼の「スパイスTV どーも☆キニナル!」の出演への打診。心のどこかで、仕事を辞めて子育てに専念しようと思っていたのですが、「仕事と子育てを両立することで、バランスが取れるかもしれない」と思って、引き受けました。肉体的には大変でしたが、良かったです。仕事をしているときはちょっとだけ子どものことを忘れられるし、帰ったら仕事ではなく子どものことに一生懸命になれましたから。
●西山喜久恵(にしやま・きくえ)さんのプロフィール
1969年、広島県尾道市生まれ。上智大学文学部卒業後の92年にアナウンサーとしてフジテレビに入社。「森田一義アワー 笑っていいとも!」や「FNNスーパーニュース」といった様々なジャンルの番組に出演してきた。現在はアナウンス室チーフアナウンサーとして管理職業務を行う一方、「めざましどようび」などにも出演している。