川井千佳さん マインドフルネスコーチに転身、大病で見直した「自分の命の使い方」

今を生きる女性たちのリアルな姿や思いを紹介する特集Story。今回は大手教育企業を退職し、現在はマインドフルネスコーチの川井千佳さん。病気や恋人との別れなどを経て、“現在地”に至った川井さんに、これまでの経緯や、様々な決断の背景などを伺いました。

――教育産業大手のベネッセを辞めて、現在はマインドフルネスコーチとして活動しています。マインドフルネスは瞑想(メディテーション)などをし、過去への後悔や未来への不安に傾きがちな思考を今に向けることなどと説明されます。川井さんはマインドフルネスをどのように捉えていますか?

川井千佳さん(以下、川井): 私は、マインドフルネスとは自分と仲良くなり、人生を好転させていくライフスキルだと考えています。実際、かつての私は自己否定の塊で、できない自分を責めたり、理想と現実のギャップに落ち込んだりと浮き沈みが激しかったのですが、マインドフルネスを続けるうちに穏やかでいることが増えて、結果的に仕事や人間関係で悩むことが激減しました。
さらに、創造性や共感力、自己管理能力といったソフトスキルを鍛えるのにも効果的なので、組織変革や教育にも役立つと思っています。

――最初にマインドフルネスと出会ったのは?

川井: 私は学習院大学を中退し、米・UCLAに留学しました。ここでマインドフルネスと出会いました。学内にマインドフルネスの研究施設があり、校内や付属病院内でメディテーション(瞑想)が行われていたり、ヨガをしていたり――。世界のエリートはパフォーマンス向上のために心身を整えることを当たり前にしていた。こうした文化が日本にもあればいいのに、と思いました。

そして、現地でインターン先だったライフスタイルメディアの社長が日本人の女性で、いずれは私も独立したいという思いを抱えながら帰国し、2012年に27歳でベネッセに入社しました。
主に学習意欲を促進させるためのウェブサイトや情報誌の編集、イベントの企画などに携わっていました。自分の頭の中にあるものを企画に落とし込む仕事は、非常に楽しかったですね。

がんを発症していることが発覚「なんで私が?」

――しかし、30歳のときに病気になった。

川井: 腹痛を訴えて病院に行った母が、遺伝性のがんのステージⅣであることが判明しました。遺伝性なので私も検査を受けることになったのです。すると私も同じがんを発症していることが発覚。母よりは進行していませんでしたが、3カ月後に手術を受けることになりました。「なんで私が?」と本当に驚きました。健康優良児でしたし、中学・高校は皆勤賞だった。目の前が真っ暗というのは、こういう感覚なんだというのがわかりました。もともと何かにつけて人と比べるなど劣等感が強く、それをバネに頑張ってきたタイプでした。そんな私は本当に落ち込みました。

手術前の医師からの説明では「治る」とは言われず、「とにかく取りましょう」と。最悪の場合は肋骨を折っての手術になるかもしれないと言われ、不安でした。結局は甲状腺と副腎を摘出。1カ月の静養後に職場復帰したのですが、おなかや首を手術したので、首を回したり後ろに倒したりできない。首の傷痕を見られたくもなかったので、ストールを常に巻いていました。通っていたバレエもできなくなりました。手術後3年ほどは、本当にしんどい生活をしていましたね。

ただ病気で様々なことが強制的にストップされたことで、“健康は人生で一番の資産”ということに気づきました。そして再発の恐れを考えると、ストレスマネジメントの必要性を感じ、健康は自分で守らないといけないと考えるようになりました。そこでマインドフルネスやヨガについて本格的に勉強を始め、資格取得をするために海外にも行くようになりました。

――当時の職場環境はいかがだったのですか。

川井: 職場に復帰後は楽しく過ごしていたのですが、術後2年が経った32歳のときに異動しました。新たな部署は、留学プログラムの企画をしたり、留学する人向けに旅行会社のようなことをしたりするところ。立ち上がったばかりの部署で仕組みも十分にできていなかったし、出張も多くて休みもなかなか取れなくて……。
希望していなかったですし、部署の体質は以前とは違っていて上下関係が厳しい“体育会系”。「しんどい、合わないな」と思いながら、通勤の満員電車では、ずっと爆音で音楽を聴いていました。それが無ければ会社にたどり着くことができない感じでした。そして毎晩、ヨガに行かないとストレスが発散できない環境の中で、ヨガやマインドフルネスに傾倒していきました。

「しがらみにとらわれていた」

――同時期に「別れ」もあった。

川井: お付き合いしていた男性が、私との結婚を見据えて年収の高い会社の営業職に転職したのです。しかし彼の新たな仕事は、休日も電話がしょっちゅう鳴るような感じで。彼はメンタルが不調になり「今の自分の人生に納得ができない」と話すようになり、ついには「俺は医者になる」と言い残して去って行きました。

――病気や異動、別れなど様々なことが重なったのですね。

川井: そんな状況を経て、デンマークにプチ留学しました。そこでサウナと海を行き来するという授業があったんです。夜に零下の海に飛び込み、海辺を走ってサウナに戻る――。非常に過酷で、命の危険を感じましたが、星がすごくきれいに瞬いていて。
その経験が私を目覚めさせ、人の目を気にせず、自分の意思で人生を生きようと思ったんです。それまでは彼との関係や、自身の収入、親が喜ぶ大企業での勤務といった、しがらみにとらわれていたことにも気づきました。
その後、私と同じ病気の母の死も経験しました。この時、死をリアルに感じたことで、ますます自分にとって大切なことは何かを、明確にする必要性に迫られたんです。

そして、私は副業でヨガのインストラクターをするところから始めて、ベネッセを2020年に退社。退社後は様々な会社と業務委託契約を結んで、会社員時代の経験が生きる教材開発などの仕事をしていた時期も。しかし、「やっぱり私は、こっちじゃない」と2021年からマインドフルネス一本に絞りました。

再発は怖いが…

――現在はどのようなことをされているのですか。

川井: 個人や企業向けにマインドフルネスアンガーマネジメントの講座を開いたり、研修をしたりしています。時間はクライアントによって違って、30分のときもあれば、5時間のときもあります。
学生さん向けのレッスンでは、キャリアとマインドフルネスをテーマに対話を取り入れ、自身について深掘りし、未来について考えてもらう時間もつくっています。

――通院などは続けているのですか?

川井: 病院には3カ月に一度通っていますが今のところ、問題はありません。別途、漢方薬の服用をするなど、西洋医学と東洋医学の双方を取り入れながら過ごしています。再発は確かに怖い。ですが、お話しできるようになったということは、ある程度、自分の中で消化できるようになったのでしょうね。病気になったことで、自分の命の使い方を見直すことができ、マインドフルネスを世の中に伝えていく役割をもらうことができたんだと今は、思ってます。

「心にをつかないことを大切に」

――様々な経験を経て今に至った川井さん。キャリアに悩んでいたり、「やりたいことがあっても一歩踏み出せない」と思ったりしている女性に、メッセージをお願いします。

川井: 私はとにかく、迷ったらやる。人生の中で一番若いのは常に「今」です。だから、決断を先に延ばせば、リスクがどんどん高くなっていく。安定的な給料や家族の状況を考えたり、ライフステージが進んだりすると、様々なしがらみにも縛られるようになります。だから今、少しでもしたいことがあるなら、踏み出してみることが必要です。ダメだったら、引き返したり、前の状況に戻ったりすればいい。それは意外と簡単なことです。“やるリスク”より“やらないリスク”と、私は思っています。時間は命と等価。だから時間という命をどのように使っていくかは、しっかりと考えた方がいい。自分の中に違和感があれば、それは次のステージに行くサインかもしれません。サインを見逃さずに、心に嘘をつかないことを大切にしてください。

●川井千佳(かわい・ちか)さんのプロフィール

静岡県浜松市出身。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)卒業後の2012年、ベネッセコーポレーションに入社。闘病などを経て2019年に退社し、現在はビジネスパーソンや学生を対象にマインドフルネスやキャリアについての講師を務めている。目標はマインドフルネスの教育への普及。

ハイボールと阪神タイガースを愛するアラフォーおひとりさま。神戸で生まれ育ち、学生時代は高知、千葉、名古屋と国内を転々……。雑誌で週刊朝日とAERA、新聞では文化部と社会部などを経験し、現在telling,編集部。20年以上の1人暮らしを経て、そろそろ限界を感じています。
1989年東京生まれ、神奈川育ち。写真学校卒業後、出版社カメラマンとして勤務。現在フリーランス。