拒食症に苦しみ、23歳で体重23キロに。料理研究家Mizukiさんが“厄介な性格”と折り合いをつけて、やりたいことを見つけられるまで
常に「1か100か」。「ほどほど」が難しい
――フォトエッセイには約10年間、拒食症に苦しみ、23歳の時には体重が23キロまで落ち込んだ経験をつづられています。食べられなくなったのは、いつ頃からだったのでしょう?
Mizukiさん(以下、Mizuki): 高校2年生の時でした。ちょうどテスト前に徹夜で勉強をしていて、テストのことが頭から離れない状況が続いていた時、お昼休みにお弁当を開けた途端に涙が出てきて、その瞬間「食べられない」と思いました。気持ちがプツッと切れてしまったのです。
親に「勉強しろ」と言われたこともないし、日頃から勉強しているわけではないくせに、悪い点をとることが許せなくて、直前に根を詰めて一気に勉強するタイプでした。いつも「100点をとりたい」「一番になりたい」という気持ちがあって、「ほどほど」ができない「1か100か」という性格。特にダイエットもしていなかったのに、食べられなくて痩せてくると、体重計の数字が減っていくことに達成感を覚えて、数字を減らすことにばかり気持ちが向くようになっていきました。
――体重が23キロまで落ちて病院に緊急搬送され、生死の境をさまよったあとも、食べられない、何もできない状態が続いたそうですね。そこから浮上していく時の気持ちの変化を「痩せることを諦めた」と表現されていたのが印象的でした。
Mizuki: 私は「病気でいることを頑張っていた」と思うんです。体重を減らすことに一生懸命になり、食べないこと・食べたい気持ちを我慢することを頑張っていた。だから、「生きる」ということは、病気でいることを「頑張り続ける」か「諦めるか」という選択でした。
家族に迷惑をかけているし、同年代の人がどんどんキャリアを積んでいくのに、私は何もできない。生きていくのであれば、このまま病気で過ごすことはできないと思いました。
私には料理しかなかった
――20代前半の可能性に満ちた時期に、拒食症で苦しまれた。同級生たちは社会に出てどんどん変わっていくのに、何もできない状態にいる焦りや苦しみは相当なものだったのではと想像します。
Mizuki: 病院に運ばれた時は、一生治らないと思っていましたが、生かしてもらってからは毎日、今の私の立ち位置や将来のことを考えるようになりました。「23歳で死にかけたのだから、24歳ではきっとまだ何もできない。でも、25歳で何かはじめて、26歳で形にしよう」と病気で頭が回らないながらも、毎日焦って考えていました。
「何をしたい」という希望は全くなくて、ただ「25歳で動き始めておかなければ」という気持ちがあるだけでしたね。社会に出られる状態ではなかったので、家で1人できることを探した時に、料理しかないと思いました。そうして、お菓子を作りはじめたのが料理研究家になる第一歩でした。
――ずっと食べられずに苦しんできたのに、「食」を仕事にするのは恐くなかったですか?
Mizuki: 両親が共働きだったので、高校生の頃から料理はしていて、家族から「おいしい」とほめてもらえたことがうれしかったのを覚えています。拒食症が悪化するにつれて食への執着が強くなり、食べられないくせにカロリー表や料理本を読みこんだりしていたので、知識はありました。何か始めようと思った時、ある程度知識のある料理しかないと思ったのです。ほかに選択肢がなかったというのが、正直なところです。
最初は、やはりすごく恐かったです。脳が飢餓状態にあったので、お菓子を作る時に「ここにあるものを全部食べてしまうかもしれない」という恐怖があり、本当に震えながら作ったことを覚えています。最初はチョコレートやバターの香りを嗅ぐのも嫌でした。
結局、私は拒食症という病気で食に執着していたのですが、それは今も変わっていないんです。「食べない」ことはやめたけれど、変わらず食に執着しながら料理を作っている。「今日は何品作る」などの決まりごとを自分の中で決めて、毎日のルーティンとしてブログの更新を続けています。
――お話をうかがっていると、Mizukiさんはとても真面目で、どうしても「こうあるべき」が捨てられないのだなという印象を持ちました。
Mizuki: 「一番になりたい」「100点をとりたい」という思いは、今も変わらずにあります。ブログにアップする料理のレシピにしても、365日ほとんど毎日更新しているのですが、ランキングで一番になれるようなものでないとアップしません。実は昨日撮った料理の写真がいつもの出来栄えより少し劣ると思ったので、今日はそれだけの理由でブログの更新を休んでしまいました。完璧にやりたいんです。
――私も摂食障害で、特定のことに対しては完璧主義なところがあるのでよく分かるのですが、「もっと気を楽にして」とアドバイスされても、無理なものは無理ですよね。
Mizuki: そうですね。自分のルーティンを守ったり、決めていることをこなすほうが心の安定につながり、ヤル気が出る。
確かに病院でも「もうちょっと気楽にね」など、たくさんアドバイスをいただいたのですが、そうしてしまったら、私ではなくなってしまう。私は「やる」か「やらない」か、「白」か「黒」かという性格なので、「ほどほど」にやることが難しい。この自分と付き合っていくしかないと、今ではもう決めています。
厄介な性格と折り合いをつけて生きる
――「ほどほど」が難しい厄介な性格と付き合っていくコツは、どのように身につけたのですか?
Mizuki: 私の場合は、人からの評価が気になるので、ブログの読者やレシピ本を買ってくださる方の意見、ブログの閲覧数や本の売り上げ部数など、数字ではっきりと分かるものを目の当たりにすると安心します。私1人ではどうにもできないことですが、読者の方々に安心させてもらっているという感覚があります。そんな周りの支えがあってこそ、病気の自分と折り合いをつけてやってこられたと思います。
――摂食障害という病気の特徴を、ひとつの個性としてキャリアに生かすことに成功されたように見えます。
Mizuki: 私は「死んでしまうところまで自分を追い込める人」。興味のあることに対して突き進んでいく傾向があるので、病気のほうに向かえば症状が悪くなるけど、違う方向に向かった時には力を発揮できる。アスリートに摂食障害になってしまう方が多いというのは、基本的な性格が似ているからではないでしょうか。
――料理投稿アプリで1位になる、レシピ本を出版するなど、目標を立てて次々達成してこられた経歴を拝見しても、まさにアスリート的。ストイックすぎて心がポキッと折れそうになることは?
Mizuki: あります。そのへんが本当に難しくて。何かを失敗すると、この世の終わりみたいな気持ちになります。この性格と付き合うのは、すごく大変。全速力で毎日走っているのですが、ある日突然、ぱたっと倒れる。でも、起き上がると、また走りだすんです。歩くということがなくて、「走る」か「止まる」か。
ただ、仕事に対してはストイックですが、ほかのことには無頓着です。私の場合、料理を作ることには一生懸命ですが、食べることにはほとんど興味がありません。おいしいものを食べにいくことにも興味がなくて、仕事で料理は作るけれど、普段の食事は全然ちゃんと作りません。掃除や洗濯など、家事も大の苦手です。
――そうやってバランスを取っているのかもしれませんね。お仕事柄、食べることに興味がないというのは意外でした。
Mizuki: 「興味を持ってはいけない」という意識が働いていると思います。体重が増えてしまうと恐いので、食べることには興味を持たないし、体重計には乗らないことをポリシーにして、体重のことを考えないようにしています。
割り切らないと、この病気と付き合っていきていくのは難しい。やれることと、やれないことを自分の中で決めておいたら楽かなと思います。
――telling,の読者層であるミレニアル世代からは、将来の夢を見つけられないという話をよく聞きます。
Mizuki: 「やりたいこと」を見つけるというのは、すごく難しいことだと思うんです。でも「やれること」を見つけるのは、もうちょっとだけ簡単。やりたいことを見つけるまで待っていると、悶々としてしまいます。でも。自分のできることや得意なことを伸ばす方法を見つけるのもひとつの方法。私は常に考えているのが食べ物のことだったので、それしかないという感じでしたが、結果としてよかったと思っています。
●Mizukiさんのプロフィール
料理研究家・スイーツコンシェルジュ。和歌山県在住。「簡単・時短・節約」をコンセプトに、ブログ「Mizukiオフィシャルブログ♡奇跡のキッチン♡」で誰にでも手軽に作れるレシピを毎日紹介し、月間300万PVを誇る人気ブロガーでもある。3年連続レシピブログアワードグランプリを受賞。Instagramのフォロワーは60万人超え(2020年12月現在)。書籍、雑誌、テレビ、Webメディアなど多方面で活躍中。
「普通のおいしいをつくるひと」
著者:Mizuki
発行:主婦の友社
価格:1,540円(税込)