柔道家の福見友子さん YAWARAちゃんに2度勝利も、五輪では不完全燃焼「失敗を現役の選手に伝えることが重要」

「YAWARAちゃん」こと谷亮子(旧姓田村)さんに唯一、2度勝利した柔道家の福見友子さん(35)は2013年の現役引退後、指導者の道に進みました。金メダル確実と言われたロンドン五輪で5位となった福見さんは、自身の経験を後進に伝えているそうです。ご家族のお話などもあわせて伺いました。

——お父様は福見さんが3歳になる直前に交通事故で突然亡くなり、その後はお母様の早苗さんが女手ひとつで三兄妹を育てられました。以前に早苗さんを取材しましたが、金メダルと同時に、福見さんの普通の幸せも願っていた姿が印象的でした。

福見友子さん(以下、福見): 父親との思い出があんまりないので、母親から聞いた優しいお父さんというイメージがずっと私の中にはある。母が気遣ってくれて、父親がいない寂しさとか、悲しさとか、そういった感情は私にはありませんでした。

生まれ変わる場所「伝えられることがある」

――引退後の2015年にカナダ人の柔道家と結婚されて、長男も出産されました。

見: 今、私も一児の母親となって、母の偉大さを特に感じますね。

——そして同じ年にJR東日本女子柔道部のコーチに就任。

福見: ロシアの女子ナショナルチームコーチに続いて14年にはイギリスに留学し、現地の大学生を相手に指導していました。そうした折、JR東日本からお話をいただきました。グループ会社に柔道部はありましたが、チーム一体となって活動するというよりは、選手それぞれが出身大学で練習するような状況。私に声がかかったのは、グループ会社の柔道部を本体に移し、女子柔道部を強化しようとなったからです。

国内の実業団で柔道を続けられる選手というのは一握り。能力が高いのに所属先が見つからずに引退する高校生や大学生が日本にはいます。現役時代、私は了徳寺学園という日本のトップ選手が集まるチームに所属していました。引退後はコーチとして了徳寺の選手たちをサポートしていましたが、「伝えられることって少ないな」と感じていた。

新しく生まれ変わるJR東日本なら、ロシアやイギリスで学んだことを活かして、「私にも伝えられることがある」と思って、引き受けることにしました。当初は立派な道場もなく、鉄道警察の道場や、大学の道場をお借りして練習していました。

「平常心で向かおう」と思っても、それが許されないのが五輪

——16年からは全日本女子チームにもコーチとして参加するようになりました。担当するのは48㎏級と52㎏級ですが、特に52㎏級は既に東京五輪に内定している阿部詩選手がいて、兄の阿部一二三選手との兄妹同日金メダルも期待されています。看板階級を預かる重圧もあるのではないですか。

福見: 詩のスター性は抜群ですね。技術的に優れているのはもちろんですが、凄さは、すべてにおいて手を抜かないところ。常に全力に取り組むって、なかなかできないんですよ。普通は全力で稽古をしていても、得意なことばかりやったり、無意識のうちに苦手なところは手を抜いたり、集中できなかったりする。詩のように技術があり、運動能力も高いのに、いつも全力の姿勢を貫けるのは大きな才能だと思います。まだまだ“伸びしろ”はあるし、愛くるしさもある(笑)。

――福見さんは、12年のロンドン五輪では柔道競技の初日に行われる女子48㎏級に出場。金メダル確実と言われていましたが、5位という結果に終わりました。

福見: 詩と48㎏級の渡名喜風南のふたりには、私が五輪に出場した時の経験を伝えていきたいですね。コーチには、いろいろな役割があると思いますが、私は自分の失敗を現役の選手に伝えることが重要だと思っています。五輪は、世界選手権や他の国際大会とはまったく違う。私の場合、試合当日は考えていた理想と大きくかけ離れた動きしかできなかった。「平常心で向かおう」と思っても、それが許されないことが多々あるのが五輪。最低のコンディションや柔道しかできないことも想定して準備しないといけない、と思います。

将来に活きるのは、全力で取り組む過程!

——女性の指導者が第一線で活躍できる場があるなど柔道界も、大きく変わりましたね。

福見: 出産しても現役を続けることにおいては、谷さんをはじめ、松本薫(ロンドン五輪女子57㎏級金メダリスト)などの前例があり、さらに現在は、女性の指導者もものすごく増えています。全柔連も女性指導者の支援に力を入れてくれています。引退後や出産後に指導者を続けたくてもできなくて、柔道の現場を離れざるを得なかった先輩たちのご尽力があったからこそだと思います。他競技でも女性の指導者はまだまだ少ないですから。

——お子さんが生まれて、選手との接し方に変化はありましたか。

福見: 子育てをしていると、親の心境というのが分かります。子どもは、いくら愛情を注いだとしても、しっかり向き合う時間を作らないとすぐにへそを曲げてしまう。指導中は母親のような気持ちで接して、しっかり向き合って会話することを心がけています。

(3歳になる息子には)本人がやりたいなら、柔道をやらせたいと思っていますが、こちらから強制するようなことはしたくないですね。でも、一度だけ、柔道衣を息子に着せたことがあるんですが、なかなか着たがらなかった。JR東日本の道場にもよく遊びに来ますが、柔道衣を着ると私が仕事モードに入るのが、分かっているのかも知れないです(笑)。

——改めて結婚、出産を経て再び第一線に戻られたことについては?

福見: 「自分がワクワクすることであれば、チャンレンジしても損は何もない」というのが私の考え。たとえ挑戦が失敗に終わったとしても、全力で取り組む過程が、必ず将来に活きる。出場したロンドン五輪の結果は失敗でしたけど、ロンドンの畳に上がる過程が今の私を導いてくれたと思っています。

●福見友子(ふくみ・ともこ)さんのプロフィール
1985年、茨城県土浦市生まれ。8歳から柔道を始め、土浦日大高、筑波大、同大学院、了徳寺学園職員。48kg級で活躍し、高校2年で無敗の田村亮子選手(当時)を破り、注目される。2012年のロンドン五輪に48kg級に出場し、5位入賞。現在はJR東日本女子柔道部ヘッドコーチと全日本女子代表チームのコーチを務める。

1989年東京生まれ、神奈川育ち。写真学校卒業後、出版社カメラマンとして勤務。現在フリーランス。