Netflix映画「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」はアメリカ版「ビッグダディ」。帰省の代わりに観たい
●熱烈鑑賞Netflix 46
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今回妻からおすすめされた作品は、「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」。しばらく前に話題になった書籍を原作に、アメリカ中西部のラストベルトと呼ばれるエリアに住む一家を題材とした映画だ。
トランプ大統領を生んだ“ヒルビリー”一家の暮らし
今年の重大なトピックとなった、アメリカの大統領選挙。その一方の候補であったトランプ大統領が4年前に誕生した時、その当選の原動力になったと言われたのが、アメリカの白人貧困層だった。「ヒルビリー・エレジー」の原作の著者は、まさにその白人の貧困家庭に産まれながら幸運と自分の努力でイェール大学のロースクールを卒業し、弁護士になったJ.D.ヴァンスという人物である。「ヒルビリー・エレジー」は、彼が自分の数世代前の祖先の歴史まで辿りつつ、自らの半生を書き綴った本だ。
その映画化作品が「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」。ストーリーは1997年、アメリカの田舎町であるケンタッキー州ジャクソンから始まる。祖母の実家を訪ねていたJ.D.ヴァンスだが、母親のベブに連れられてオハイオ州ミドルタウンに戻ることになる。血縁者が近所にたくさんまとまって住んでいたジャクソンに比べて周囲に近親者がいない環境で、ベブは何度も行きずりの男と結婚を繰り返し、エキセントリックな行動をとる。そのたびにJ.D.は振り回され、次第にグレはじめる。
一方時は流れて2011年。成長したJ.Dはイェール大学ロースクールの卒業を控えていた。大事な弁護士事務所のインターン面接も目前という状況で、実母ベブが薬物の過剰摂取で倒れ、病院に担ぎ込まれたという連絡が入る。自分の将来がかかった面接の直前に遠く離れた実家に戻ることになったJ.Dは、まともにいうことを聞かない母親に手を焼きつつも、自らの過去を振り返ることになる。
映画の開始当初は、とにかくベブの行動が眼に余る。息子の将来がかかった面接が目前にも関わらず面倒を起こして実家に呼びつけ、病院から追い出される期限が迫っているにも関わらず別に治療施設への転入も嫌がって暴れ……といった感じで手間をかけまくる、立派な毒親である。しかし映画が進むにつれ、彼女がそうなったのにも理由があるというのがわかってくる。
彼ら貧乏白人のルーツがある山地には、厳しい土地が生んだ独特の習慣や考え方がある。彼らが自分たちの地元以外に住むということはほぼ国外への移民のようなものであり、移住してもなかなか馴染むことができなかったり、地元の外で仕事を見つけても社会情勢の変化によって取り残されてしまったり……。そんなこんなで貧困が貧困を生んでいるという歴史的かつ社会的な事情があるのだが、映画ではそのへんはばっさりカット。あくまでヴァンス家の三代にわたるヒストリーと、祖母ボニー・ヴァンスの肝っ玉母ちゃんぶりにフォーカスした内容となっている。
この映画で一番凄まじいのは、この祖母ボニーを演じたグレン・クローズの怪演っぷりだろう。貧困の中でグレそうになっていたJ.D.を真っ当な道に引きずり戻した恩人なのだが、原作本によれば12歳の時に家で飼っていた牛を盗もうとした男たちをライフルで射殺しかけ、13歳で妊娠して地元のジャクソンを出たという人物である。きついパーマにメガネをかけ、「ターミネーター2」が大好きというこの凄まじい婆さんを、平常時なら「お金持ちのおばあさん」といった風情の大女優グレン・クローズが演じる。ボニーはグレかけた孫を容赦なくぶっ叩くパワフルな婆さんなのだが、グレン・クローズの眼光がマジなので「そりゃこの婆さんのいうことだったら聞くな」としみじみ思う。グレン・クローズ、アクション映画もまだまだいけるんじゃないか。
実家を離れた全ての人、必見
先ほども書いたように、原作の「ヒルビリー・エレジー」ではそもそも「なぜJ.D.の祖父母はケンタッキーからオハイオに移動しなければならなかったのか」というところから一家の歴史をひもとき、山地から移住した人々がアメリカの歴史や社会の動きの影響を大きく受けて、社会的階層を固定されていった経緯が書かれている。そのあたりをカットして、ある貧乏一家の物語というサイズに話を切り分けてしまったことで、映画版「ヒルビリー・エレジー」は各方面から批判されている。
確かに、背景にある情報がばっさり切られることでアメリカ社会の抱えた問題が見えなくなり、ただのヒューマンドラマになっている点は否めない。「トランプ大統領を支持しているのはどういう人たちなのか」みたいな部分を知ろうとしてこの映画を見ても、いまいちよくわからないと思う。主人公J.D.の父親周りの話(原作だとけっこうそのへんもちゃんと書いてある)も切られているから、説明不足な感じもする。そしてかわりに見せられるのは、周囲に迷惑をかけまくる上に何にも考えてないヤンキーっぽいシングルマザーと、その母親の大暴れから孫を守ろうとする肝の座った祖母の物語である。要は「痛快!ビッグダディ」みたいになっちゃってるのだ。
ただ、こういう人たちは日本にもいる。割と頻繁に眼にする。ベブみたいにだらしなくて、ちょっと不良っぽいけどそこまで腹が据わっているわけでもなく、あんまりちゃんとした仕事についてない人間を見たことがある人は多いのではないだろうか。正直、おれは「あ~~~こういう人、うちの地元にもいるな~~~!」と思ってしまった。
アメリカ独特の事情ではなく母と祖母と孫にフォーカスしたことで、映画版「ヒルビリー・エレジー」は日本人にも内容をつかみやすい物語になったという点はあると思う。ベブの行動には日本人にも馴染み深い普遍的なだらしなさがあるし、我々は肝っ玉母ちゃん的な物語を見慣れている。そういうわけで、このアレンジは映画にする以上はある程度妥当というか、そうすることで他国の人にも話を自分に引きつけやすくなったところもあると思うのだ。
また、最終的にJ.D.がとる行動もなかなかグッとくる。これは田舎を離れてどこかに移り住んだり、地元では不可能な仕事に就いたりした人には胸に迫るものがあるはず。どんなに地元から離れ華々しい仕事に就いても、弁護士になったJ.D.が自分のことを「ヒルビリーだ」と断言するように、自分の出自を書き換えることは難しい。全ての「元」田舎者に見て欲しいラストである。
今年は正月の帰省を取りやめたという人も多いと思う。「ヒルビリー・エレジー」は、そういう人が地元を思い出すのにもうってつけの作品だ。時間のある年末年始、じっくり見てみてほしい一本である。そしてその後に原作版「ヒルビリー・エレジー」を読めば、映画では描かれなかったアメリカ中西部独特の様々な事情や、アメリカの貧困が再生産される仕組みが読み取れるはず。映画を見終わったら、是非とも原作にも手を伸ばしてみてほしい。
「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」
監督:ロン・ハワード
出演:エイミー・アダムス グレン・クローズ ガブリエル・パッソ ヘイリー・ベネット ほか
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