よしもと有楽町シアター支配人・星座庸子さん「休みなく無我夢中で働いた20代。根っからの尽くすタイプなのかも」 (前編)

8月8日にオープンした「よしもと有楽町シアター」。この劇場の支配人を務めているのは、星座庸子さんです。エンタメも大きな打撃を受けたコロナ禍で「よしもと幕張イオンモール劇場」から異動し、新劇場をいちから立ち上げました。長年、「幕張の母」として多くの芸人に愛されていた星座さんにお話をうかがいました。

どっぷり吉本だった20代

――星座さんは20代の頃、どんな仕事をしていましたか?

星座庸子さん(以下:星座): 専門学校卒業後、制作会社に入社しました。そこがたまたま吉本と関係のある会社で、「渋谷公園通り劇場」(1998年閉館)でイベント制作業務を担当することになりました。平日は吉本の劇場で働き、土日はADとしてテレビ局で働くという……副業ではないのに、二足の草鞋状態でしたね。今考えても「いつ休んでいたっけ?」と思うぐらい働きました。

――それは大忙しですね……その後、吉本興業に入社することになったのですか?

星座: 働きすぎたせいか、ヘルニアで入院するなど、体調不良が原因で制作会社を退職することに。そこで吉本興業ともいったん離れたのですが、1年半ほど経って、契約社員にならないかとお話をいただきました。吉本のことは大好きだったので、「ぜひお願いします!」と即答しました。これが25歳のときで、そこからどっぷり吉本です。

――偶然の出会いからつながったのですね。入社後はどのような仕事をしていましたか?

星座: マネージャーからのスタートでしたが、担当したのは芸人ではありませんでした。「男性アイドルグループをつくったからマネージャーをやってほしい」と言われて。それが「RUN&GUN(ラン・アンド・ガン)」という吉本発の4人組アイドルでした。それから5年間、30歳までは彼らのこと以外思い出せません(笑)。自分のプライベートはまったくありませんでした。

――男性グループを育てるのに苦労はしませんでしたか?

星座: デビュー当時、彼らは14から16歳。10歳も年下の子たちとどう接したらいいか分からなくて、無我夢中でした。親代わりとして、学校の先生と話すこともありましたし、怒鳴り合いのケンカをしたこともあります。私も彼らも何度も泣きました。それを会社に訴えても「相手は子どもなんだから我慢しろ」と言われるし……。でも、この子たちとはいまだに仲がいいんです。たまに「元気?」とか「舞台出るから観に来て」と連絡があります。先日は、メンバーとお酒を飲みました。一緒に仕事していた頃は10代だったので、まさかいっしょにお酒が飲める日がくるとは。しみじみしてしまいました。

マネージャーの仕事は、プライベートがなくても楽しみで満ちていた

――30歳頃は結婚を考える女性も増える頃です。プライベートもなく働くことに、葛藤はありませんでしたか?

星座: 夢中になって働いていたら今の年齢になっていた……という感覚なんです。マネージャーは、タレントのパートナーのようなもの。つまり彼らの人生を背負っています。それなのに私が「働きたくない」なんて言ったら、彼らのスケジュールが埋まっていきませんよね。つまり、稼ぎがない、生活ができないということなんです。そもそも私は世話好きで、自分のことより人のことに夢中になってしまうタイプ。当時は化粧もしないし、遊びにもほとんど行かない。休みの日でも、常に仕事のことを考えてました。根っからの尽くすタイプなのかもしれないです(笑)。マネージャーをしていた10年間は、友人と約束して遊びに行くなんてほとんどできなかったですね。

――そこまで夢中に仕事ができたのは、なぜだと思いますか?

星座: 振り返ると、まわりの人にすごく支えられていました。私は人の運がすごくいいんです。マネージャーという仕事は、担当する人を好きにならないといけない。そうしないとそもそも彼らの売り方が分からない。少なからず愛情が必要です。私が担当した人たちはみんないいところがたくさんあって、すぐ好きになれました。だから仕事しかしていなくても楽しいし、満足できていたのかもしれません。プライベートがなくても、楽しみで満ちていたので。

――10年間でさまざまなジャンルの方をマネジメントされたそうですね。

星座: 5年間はアイドル、2年間俳優、3年間芸人を担当しました。ジャンルによって全く仕事の内容が違うので、毎回いちからのスタートでした。常に新人という感じで、いろいろ覚えるのが大変。その後、宣伝プロモーションの部署に移って、初めて土日休みを経験しました。旅行に行ったり、友人と会ったりしたことで、やっと「プライベートって大切なんだ」と知りました(笑)。

働いてみて始めて気づいた、劇場の役割

――劇場勤務は30代後半からのチャレンジだったんですね。

星座: そうなんです。37歳で「幕張準備室」勤務という辞令が出て、「よしもと幕張イオンモール劇場」の立ち上げに携わりました。ここで、またいちからのスタート。劇場ってどうやって作るんだろうというところから始まって、また休みなく働いて……あっという間に40歳を超えていました。

――劇場勤務を経験して気づいたことはありましたか?

星座: 吉本にはこんなにたくさん芸人がいるんだ、とあらためて知ったんです。こんなにおもしろい芸人がいるのに、世に出るのはほんのひと握り。才能だけでなく運もあるので、私たちの力だけで引っ張り上げることはできません。でも、この芸人たちをお客さまに見せる場を作れるのが劇場。だから吉本は常設劇場をたくさん作って、生の舞台を大切にしてるのです。無名の芸人でも、月に20本以上舞台に立てる。吉本芸人が賞レースにも強いのも、劇場に立ってお客さまにネタを披露できているからではないでしょうか。

――幕張では今人気急上昇中のぼる塾も前身のしんぼる時代からかわいがっていたそうですね。

星座: そうですね。しんぼるが幕張の呼び込みのお手伝いや前説に出ていたので、かわいがっていました。ご飯にもよく連れていっていたので、「ぼる塾でやろうと思う」という相談も受けました。田辺さんとは接点がなかったのですが、あんりが「田辺さんを紹介したいのでご飯行きましょう」と言ってくれて、4人で新大久保にも行きました。コロナ自粛前には私が車を運転して4人で日光にも行きました。ぼる塾のYouTubeで見られるので、チェックしてみてください。私もちらっと映っています。「スタッフもぼる塾感だね」ってコメントに書かれてましたが(笑)。

■星座庸子(せいざ・ようこ)さんのプロフィール
専門学校卒業後、制作会社に入社。その後、制作会社時代の縁で、吉本興業株式会社に入社。マネージャー、宣伝プロモーション、劇場勤務を経験。立ち上げに携わった「よしもと幕張イオンモール劇場」支配人から2020年8月8日には14館目の常設劇場「よしもと有楽町シアター」支配人に就任した。

フリーランス。メインの仕事は、ライター&広告ディレクション。ひとり旅とラジオとお笑いが好き。元・観光広告代理店の営業。宮城県出身、東京都在住。
熊本県出身。カメラマン土井武のアシスタントを経て2008年フリーランスに。 カタログ、雑誌、webなど様々な媒体で活動中。二児の母でお酒が大好き。