南海キャンディーズ・山崎静代さん「怖さよりも好奇心!変化の扉を開けて見つけた自分の居場所」

芸人、女優、絵描き、そして最近ではボクシング協会の女子の強化委員と普及委員に就任した、南海キャンディーズのしずちゃんこと、山崎静代さん(41)。一時期不仲と言われた相方・山里亮太さんの結婚にも一役買い、巷では“女神”とも呼ばれているとか?! いつも笑顔の印象のしずちゃんですが、次々に訪れる変化や逆境に対して、どのように立ち向かい乗り越えたのか。実は不器用だと語るしずちゃんに、お話をうかがいました。

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山ちゃんとの差を感じて

―――相方・山里さんが山崎さんの人気に嫉妬して、周りも引くような嫌がらせが頻繁にあったと聞きます。カメラが回っていなければ一言も喋らなかったそうですが、なぜ、不仲ながら解散しようと思わなかったのですか?

山崎静代さん(以下、山崎): 確かに長い間憎しみ合っていましたが、「不仲」と「その人が必要かどうか」は違うと思っていて。もちろん尊敬する部分はあったし、ビジネスパートナーとして割り切っていたのかもしれません。

今だから思うのかもしれませんが、山ちゃんやからこそ、私の活かし方を分かっていただろうし、フォローもたくさんしてくれているのも理解はしていました。ただ、当時は仲が悪くてそこまで“この人のおかげだ”とも考えられませんでした。それでも、解散という選択肢は私たちにはなかったんだと思います。

―――逆に山崎さんが山里さんに嫉妬するようなことはありましたか?

山崎: ボクシングを引退してから山ちゃんに対する目線が変わりましたね。当時はロンドンオリンピックを目指すほどボクシングにのめり込んでいたし、一時期世間から注目してもらえたとも思っています。しかし4年間続けたボクシングを辞めて芸能界に戻ってくると、以前とは状況が変わっていて……。その頃には、芸人として脚光を浴びることもなく、私の仕事もほとんどなくなっていたんです。たまたま仕事現場で山ちゃんと一緒になると、勝手な被害妄想かもしれないけれど、山ちゃんと私に対するみんなの目線が全然違うように感じて、そのときに初めて嫉妬に近いような複雑な気持ちになりました。山ちゃんとの差が開き過ぎているし、芸能界での居場所が全然ないなって。

―――それは長年山里さんが山崎さんに感じていたことではないですか?

山崎: 2004年にM-1で準優勝になった後は、仕事の派手さで言えば私の方が目立っていたかもしれません。でも、私がボクシングに打ち込んでいる間に山ちゃんはライブ活動を地道に続けていたり、「スッキリ」でナレーターに抜擢されたりと、着実に活動の幅を広げていたんですよね。

―――山里さん自身も嫉妬のパワーをポジティブなエネルギーに変換されたのでしょうか。2人の関係性はどのように変化しましたか。

山崎: ビジネスパートナーだけという冷たい割り切りでもなく、少しずつ仲良くなって人間同士の付き合いになってきたと思います。山ちゃんが結婚してから、より深まりましたね。先日、蒼井優ちゃんが家に遊びに来ているときに、山ちゃんが合流できると連絡があり、せっかくだし一緒に飲もうと。初めて山ちゃんが私の家に上がって一緒にお酒を飲んだんですよ! まさかこんな日が来るとは(笑)。

始まりは全て好奇心

―――ところで、山崎さんは芸人に女優、ボクサーに絵描きと実に多彩ですが、新しい世界に飛び込むときはどのようなモチベーションで向かっているのですか。

山崎: 元々器用なタイプではなく、お笑いで新ネタを作って初めてお客さんに見せるときは今でも怖いし、ドラマや舞台で新しい現場に入っても稽古に慣れるまでは不安です。ただ、始まりは全て好奇心から動いていますね。一度ルーティンを決めたらこれだけ、と決めずになんでもやってみる。たとえば食べ物も、新しい味が出たらまずは1度食べてみたいって思います。

―――飲み屋さんでも友達が増えるとか。

山崎: 昔、一人旅をしていたとき……、あまり目的も決めずにフラッと北海道や沖縄、奄美大島、沖ノ島、海外はスペイン、中国、ラオスなどに行きました。当然一人なので、現地の飲み屋さんでも誰かと喋りたくなったら、周りの人に話しかけていましたね。ただ、そこで仲良くなっても、友達になったのすら覚えていないことも多々ありますが(笑)。

女優を目指すはずが芸人に

―――そもそも元々は芸人ではなく、アイドルや女優を目指していたそうですね。

山崎: 私が幼いころ、父親が歌が好きで、家庭用カラオケでよく盛り上がっていたんです。その影響で、私も当時流行っていたピンクレディーを歌ったり、父親の友達が家に遊びに来れば、振付きで歌っている姿を見てもらったり。保育園では、お昼寝の前にみんなを集めて、私の歌を聴く時間がありました(笑)。当時はおニャン子クラブが大ブーム。テレビで活躍するメンバーを見て、あんな華やかな世界にいきたい、かわいくなりたいと思ったのが芸能界に興味を持ったきっかけです。

―――わりと前に出るタイプだったのでしょうか。

山崎: 当時はそうだったと思います。ただ、小学校に上がると周りの目を気にして、クラスの中ではおとなしいグループが居場所でした。それでも歌うことは好きで、お誕生日会やお楽しみ会のようなイベントがあると、友達3人くらいで前に出て歌を歌う。そして歌い終わるとまた引っ込むという(笑)。周りからおとなしいのかそうじゃないのか、どっちか分からないと言われたこともあります。

―――その後、女優を目指して、劇団養成所に入られたんですね。

山崎: ドラマも好きだし、自分も演じる側に行きたいなと養成所に入ったものの、何となく違和感があり、将来このままやっていても何にもならないという気になってしまったんです。ただ、自由に演じさせてくれる授業は楽しくて、根が関西人だからか、自然と笑いの方に意識が向いてしまい、どうにかして笑かせたい、ウケてほしいと考えているうちに、“私って人を笑かすことがしたいんだ……!”と気づきました。元々お笑いもよく見ていたし、中学の同級生を誘ってお笑いを始めたのが芸人としてのスタートです。芸人を続けていた先に、当初目指していた女優の話もいただけるようになりました。

オリンピックに出るなんて無理でしょ

―――ドラマで演じたボクサー役がきっかけでロンドンオリンピック強化選手に。一見華やかな芸能界からアスリートの世界に入った当初は、異業種からの参入に難色を示す人もいたとか。

山崎: はじめは練習場所の高校や大学に行っても、「どうせ芸能人が話題作りでやっているだけ」という目線で見られていましたね。芸人仲間にボクシングの話をしても、「何かの記念にちょっとやってるくらいでしょ」とか、オリンピックを目指すと言っても「そんなんできるわけないやん」って軽く流されることもあったので、そのうちに言うのを辞めてしまいました。トレーナーと私の二人だけで思っておこうって。

―――どのように周りの目線が変わっていったのでしょうか。

山崎: 本気でボクシングをやっている人たちは、私が下手くそなりに本気で向き合っているかどうかは見て分かると思うんですよね。ただひたすら自分ができることを黙々と続けていたら、次第に周りの人が教えてくれるようになりました。

結婚願望ってなんですか?

―――telling,読者は30歳前後の女性たちです。山崎さんが30歳前後の頃はどのように過ごしていましたか。

山崎: 30歳前後はまさにボクシングにどっぷりはまっていた頃。28、29とちょっとずつはまっていき、31、32がピークでオリンピックを目指していたと思います。ボクシングに集中していた期間は、ボクシングで強くなるための苦しみを十分に味わいましたが、仕事や生き方で悩むことはなかったかな。結婚願望もゼロ。引退した後に、30歳前後って結婚とか考える年なんやなと思ったけれど、それでもボクシングは私にとって必要なものだったので、もっと考えればよかったという気持ちはありません。ただ、人よりそういうことを考えるタイミングが私は遅いんやなとは思いましたが。

―――10月8日から始まる舞台「おかしな二人?」ではヴェラ役を演じられるとのことですが、ご自身と似ている部分はありますか。

山崎: マイペースだし、みんなが焦っているところに飄々と違うテンションでいる感じはあるかもしれません。みなさんのテンションに合わせる必要がないというか、ゆったりしているの役どころとは似ているでしょうね。普段もあまり焦ったり慌てることもなく毎日楽しんでいるので(笑)。

■山崎静代(やまさき・しずよ)さんのプロフィール
1979年(昭和54年)京都府生まれ。西中サーキットでお笑い新人グランプリ審査員特別賞を獲得したが解散。2003年に山里亮太さんと「南海キャンディーズ」を結成。2006年に映画『フラガール』で本格的に女優デビュー。2007年には同作品で第30回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。2012年にはオリンピック強化選手としてアマチュアボクシング連盟から抜擢。2020年には国内アマチュアを統括するボクシング女子強化委員、普及員として任命された。

東京生まれ。千葉育ち。理学療法士として医療現場で10数年以上働いたのち、フリーライターとして活動。WEBメディアを中心に、医療、ライフスタイル、恋愛婚活、エンタメ記事を執筆。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。

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