グラデセダイ

【グラデセダイ40 / でこ彦】グラデーションな感覚#4「ぬぐえず、ふとよみがえるあの感覚」

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。なぜか相性の悪い、動物たちを「触覚」の目線で切り取ります。

●グラデセダイ40

鬱屈とした気分が募り、上司の勧めもあってしばらく仕事を休むことにした。気分転換と療養も兼ねて姉の家へ行った。田畑に囲まれた田舎町である。

久しぶりに会う姉と会話をしようにも、鳥の鳴き声にかき消される。ベランダにツバメが巣を作り、数羽がひっきりなしに飛び交いうるさいのだ。

窓辺に立ち、5歳になる甥には「親鳥が飛び方を教えてるんだね」と冷静を装って声をかけるが、僕は鳥が嫌いである。憎しみに近い。本当は「鳥 嫌がる音」と検索して出てきた動画を大音量で流したい。

実家のある田舎町では食べ歩きをする人間はいない。
市内のファストフード店といえばスーパーのクリーニング店の横のハンバーガー店1軒しか存在しないというのも理由だが、外に食べ物を置いているとトンビに取られるからである。
油断して屋外でフライドポテトなど持っていようものなら、黒い風が背後からシュウっと吹き寄り手元を狙って襲いかかってくる。地面に散らばったフライドポテトを人間が諦めるとトンビは周囲を威嚇しながらも我が物顔でついばみはじめる。

遠足で公園に行ってお弁当を食べるときも頭上を気にしつつさっと食べなくてはならない。しかし向こうも遊びでやっているわけではないので容赦ない。お弁当箱を地面に置いて水筒に手をかけたその一瞬の隙をついて奪ってくる。

視力と頭脳が良いというトンビは空からでもどんくさいのが誰か分かるのか、僕は何度も餌食になった。クラスメイトでかたまって食べていようとも、狙われるのは決まって僕だ。トンビの嫌いな色だと聞いて黄色いお弁当箱使ったこともあるが何の効果もなかった。
家族に詰めてもらったおかずが砂まみれになっているのを目の前にして、拾って食べることもできず涙を流すしかなかった。

名古屋に住むようになると、トンビを見なくなったが代わりにカラスに狙われるようになった。
鞄を新調した日に白いフンを落とされ即日で捨てる羽目になり、別の日には背後からやってきたカラスに頭を掴まれたこともある。脚の硬い触感がまだつむじに残っている。

公園で昼食を食べているときには、お弁当ではなく携帯電話を咥えて持っていかれそうになった。そのときは食べ物とは訳が異なるので必死に奪い返そうと引っ張り合い、さながら大岡越前の子争いのようだった。

今も窓の外のカラスと目が合っており、「ここにいたぞ」と言わんばかりに鳴き声で仲間に知らせている。あいつらは僕をどうするつもりなのだろうか。
鳥が嫌いだ。いや、鳥だけではない。
鹿と山羊に追いかけ回され、猫に手の甲をひっかかれ、犬には吠えられ追いかけられ噛みつかれた結果、すべての動物を嫌いになった。
嫌っているからか嫌われているからか、動物を触ったことがない。おとなしいと飼い主に紹介された犬も僕にだけは異様に吠えつく。

姉の家には5歳になる甥の他に、半年前に生まれたばかりの乳児がいた。頭を支えて抱っこしてやると胸の中で手足をばたつかせ、赤ちゃんとは思えない力で顎を殴り腹を蹴り上げてくる。
痛いは痛いがしかしそれより火の玉のように熱い。
鼻をちぎろうとする甥を制しながら、なんとも馬鹿みたいな感想だが「生きているんだな」と思った。
その日の夜に僕は寝込んでしまった。

「瘴気に当てられる」というが、これもそうなのだろうか。家を覆う何かしらの空気によって体力がじりじりと削られていくようだ。

ツバメが朝からずっとうるさい。庭先で5歳児が育てている植物は葉を取っても取っても生い茂って困ると言っていた。ツタも伸び放題でこれは何かと聞けばイチゴだというがこんな野趣あふれる植物だっただろうか。狭い家を全力で走り回る5歳児の「見て見て!」の絶叫と乳児の泣き声とツバメの鳴き声を聞きながら「動物も子どもも嫌いだ」と呟いた。いや、違う。

胸には乳児の頭がグリグリと押しつけられる感触が残っている。
「嫌いなのではなくて、正確にはこれは怖いと言うべきだ」と思った。
硬く光る黒いクチバシも、熱くむちむちの赤ちゃんの足も生きることにまっしぐらで、自分が飲み込まれそうになる。「瘴気」の正体は「生命力」だった。

自分が弱っているせいで彼らの溌剌さに気圧されてしまった。6Hの鉛筆で描いた下絵をマゼンタで真っピンクに塗り潰される恐怖心だ。

中学3年生の秋に体育祭の打ち上げでクラスメイトと集まったときのことを思い出した。
大した事件は起きなかったが印象に残る夜だった。そこで僕はみんなの私服を初めて見、そして衝撃を受けた。タンクトップに薄手のシャツをはおったりTシャツに長袖Tシャツを合わせたり、ジーパン以外の原色のズボンを穿いていたり、全員お洒落だった。首元のよれたTシャツを誰かにからかわれたわけでもないが、自分の服装が恥ずかしくなった。

この田舎町に洋服を買うお店があったのか。みんなどこで服の重ね方を覚えたのだろうか。
同級生に尋ねようにも怖くて聞けなかった。やはり飲み込まれるような気がしたのだ。

貧相な肉体をしているのでファッションを楽しむことを諦めていた。ましてや当時は着飾ることはすべて女子にモテるためだと勘違いしており、「そういうのはいいや」と敬遠していた。
クラスメイトと対峙すると、僕はどこから後悔すべきか途方に暮れてしまう。体を鍛えてこなかったこと、女子に興味がないこと。意識はさらに男子が好きだと自覚した日、女子を好きになろうとした日、やはり惹かれるのは男子だと諦めた日、と縦横無尽に駆け回った。

結論としてはただひとつ「もう手遅れだ」に収束されて、「お洒落じゃなくてもいいじゃん」という僕の強がりは原色の絵の具でベタ塗りされていった。
以来、服を着ることが僕は嫌いだ。いや、怖い。

殺虫剤を撒いたら虫よりも先に自分の具合が悪くなるこんな状態ではいけない。布団を跳ね除け、乳児を抱えてスクワットを始めた。まずは虫よりも強くなりたい。この休職期間中にマッチョになって職場復帰しようと思う。

1987年生まれ。会社員。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐。
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