映画『ワンダーウォール』脚本家・渡辺あやさん「何が本当に正しいのか、一人で考えるには重すぎる課題がたくさんある」

2018年の放送後から、SNSを中心に反響を巻き起こしたドラマ『ワンダーウォール』。未公開シーンなどを追加して劇場版として公開されます。本作の脚本は、朝ドラ「カーネーション」でも知られる人気脚本家の渡辺あやさん。今回は渡辺さんに『ワンダーウォール劇場版』にかける想いをうかがいました。

朝ドラ「カーネーション」を代表作にもつ脚本家・渡辺あやさん。地方都市で専業主婦をしながらネットを使って脚本家デビューしたのは20年ほど前。時代を先取りしていた渡辺さんが、いま、気になっていることは、経済効果を考えて歴史あるものを葬ること。古都京都を舞台に、性差も年齢差もなく平等に暮らせる大学寮を守ろうとする大学生たちの物語「ワンダーウォール」を映画にしました。大学生たちの生活や人間関係がとても魅力的です。

「ワンダーウォール」は私たちの暮らす社会には見えない「壁」

――「ワンダーウォール」は2018年にドラマとしてNHKで放送されました。そのときから、映画化も考えていたのでしょうか。

渡辺あや(以下 渡辺): 「ワンダーウォール」は最初、NHK京都が制作したローカルドラマでした。BS波だけで放送されるものだったこともあって広報活動を、脚本家や俳優が中心になって行うというトライをしたことで、みんなの結束が強まり、放送だけで終わらせず、映画化を目指そうと考え始めました。この映画を作る強い動機となった、架空の寮で起こる問題は、現代社会にも存在していると私には思え、映画化することで、なるべくたくさんの人と、この問題を共有して、一緒に考えていきたかったんです。

――映画は大学寮の寮生と大学の相容れない問題が中心にありますが、両者の間に立つ「壁」は普遍的なものに感じます。

渡辺: 脚本を書く参考に、とある学生寮の寮生の方に取材したとき、学生課に「壁」が立ったと聞き、これはすごく象徴的なものと感じたことから「ワンダーウォール」というタイトルが浮かびました。寮の「壁」は物理的な壁ですが、私たちの暮らす社会には見えない「壁」が存在し、その向こうの人たちと自分が同じ人間に思えなかったり、壁の向こうの人の上にいる権力の、一方的で対話を必要としないいびつさだったりをひしひしと私は感じたのですが、脚本を書いているときは、世の中の人たちはまだそれに気づいてないようにも思えたんです。それが余計に怖かった。こんな理不尽なことがいま実際に起こっているのに……って。2年経って、ようやくみんな、どうも世の中、おかしいぞ? と思いはじめているとしたらすごく喜ばしいことに思えます。

――映画化とドラマには違いがありますか。

渡辺: 映画ではシーンを追加し、全体の尺が長くなりました。2018年にドラマで描いた問題が、この2年の間に進行していて、まだ解決していないと感じたので、その後も描いたうえで上映したいと思ったんです。一度完成したものに何かを付け足すことは、大体、蛇足になるもので、完成度の高かったドラマの余韻をぶち壊すようなことになってはいけないと少し迷いました。でも「ワンダーウォール」は現代社会に生きる私たちの問題と併走する作品であることを伝えるためにも、新たな追加パートは必要で、どうしたらそれがうまく伝わるかみんなで何度も話し合いました。

――劇場版は、ドラマ版も見ていると、より感動するし、はじめて見ても2018年から2020年まで思いが継続していることが伝わる気がしました。ドキュメンタリーのような物語のようなおもしろい作品になっていると感じます。

渡辺: そう、おもしろいんですよね、現実の問題って、考えていると凹むことも多々ありますが、反面、おもしろくもあります。また、そのことについて隣人と話し合うことは、生きることを楽しんでいる感じがすごくします。自分が思いもよらなかった、様々な人の考え方を知ることができますし、問題が起こらないと分からなかったその人の優れているところや良さが初めて分かることもあります。だから、困難に出会うことは決して悪いことばかりではないんですよね。実際、「ワンダーウォール」というささやかなドラマを、劇場版にまで至らせるまでに、私たちも色々なことを仲間と話し合い、何回も絶望し、諦めそうになりながら、ここまでたどり着いたんです。

――現実の問題を考えて凹むことがありますか。

渡辺: 私は普段、島根で主婦をしていまして。そうすると、基本、家にいて、日中、誰ともしゃべることがありません。まして、映画に描かれた学生寮と大学の問題について、ご近所さんと話し合うこともほぼないです。でも、ひとりで家にいると、いま、社会がどうなっているのだろうとか、社会の中のマジョリティーはどういうふうに考えているんだろうと不安になることがよくあって。テレビのニュースを見たり、ネットでバトルが起こっているのを見たりすると、何が本当に正しいのか、一人で考えるには重すぎるような課題がたくさんある気がして本当に凹むんですよ。そういうとき、目の前にいる人とひとつの問題を共有して、どうしたもんかね……と語り合うことにしか希望を見い出すことができないように感じます。

――映画では、人生の進退を賭けたようなのっぴきならない状況下で、登場人物たちがものすごく私的な話をします。そういうユーモアと、「全会一致」という全員の意思を尊重する理想のなかで揺らいでいく関係性のヒリヒリ感とがすごくおもしろく感じました。

渡辺: 深刻に討論したりケンカしているとき、変なちゃちゃが入って、つい笑ってしまうようなことが起こるのが私たちの現実で。それによって救われるところもあるなとよく思うんですよ。そういうリアリティーの再現でもあるし、もうひとつは、ドラマや映画って、基本、毎日、仕事や学校で疲れている人が見るものなので、重たい問題ばかり押しつけるのも得策ではないと思うんです。とりわけ、ものすごく伝えたいことがあればあるほど、笑いもそうですし、成海璃子さんの美しさも本当に大事だと思うんですよね。これはちょっと汚れた大人の知恵ですけれど(笑)。

経済効率的に価値のない存在は“意味のないもの”?

――「ワンダーウォール」主演の須藤蓮さんが京都を訪ねるドキュメンタリー番組の構成もやられていますよね(18年、京都ローカル)。

渡辺: 東京と比べて京都にはすごくほっとするものがあるように感じながら、その理由が何なのかよくわからなかったので、ドキュメンタリーを作ってみました。観光客がすごくたくさんいるから人疲れもしますが、街や地元の方々の生き方に正しさを感じます。経済の効率性だけではないものが大事だと街の大人たちが思いながら、それぞれの人生をきちんと生きていらっしゃるように思います。
いまの日本は、経済効率性だけを重視して、古いものは大してお金を生まないからと、潰していきますが、翻ってみると、建物のみならず、私たちにも、そういう呪いをかけているのではないかと感じるんです。誰もがいずれ年を取り、経済効率的に価値のない存在になったら、“意味のないもの”になるのだという呪いをずっとかけ続けていることのような気がして、それがなんとなく今の私たちを息苦しくさせている原因じゃないかと思うんですよね。
「ワンダーウォール」を作り、歴史ある大学寮のように古いものは大事だと登場人物を通して言わせてみたものの、それは一体何だろうということが自分でもずっとわからなくて。ずっと考え続けていたのですが、やっぱり古いものを大事にするとかその場所にある歴史を大事にすることは、そこに流れてきた時間や生きてきた人たちを大事に思うことで、そうすることによって自分も救われていくことにつながるような気がするんです。だからこそ、古いものを簡単に壊してはいけないと思うのかなと、最近考えています。

――以前の取材で、なくなりかかっているが残したいものはなんですかと聞いたとき「京都の吉田寮を残したい」とおっしゃっていましたが、そのほかに印象的だった場所はありますか。

渡辺: 祇園四条にある旧立誠小学校という、映画館があったところですね。あそこもホテルに変わってしまい残念でした。歴史とそこにいた人たちの気配が残っていて、その場所に想いのある人たちが大事にしている感じがしたんです。でもそれがホテルになった瞬間に目的が経済的なことに変わるじゃないですか。その瞬間、場所から受けるものが大きく変わりますよね。なんとかそれだけではない価値を、私たちが見つけなければいけないと思うのですが、なかなか世の中はそっち側に転換していかないから焦りますよね。

――そういうとき、ご自身はどう立ち向かっていきますか。

渡辺: 一人ではどうしようもないので、細々と作品を作るしかないです。中学生くらいからおじいさんおばあさんくらいまでの幅広い人たちに伝わるものを。

●渡辺あやさんのプロフィール

1970年生まれ、兵庫県出身。2003年、映画「ジョゼと虎と魚たち」で脚本家デビュー。10年連続テレビ小説「カーネーション」が話題になる。ほかに映画「メゾン・ド・ヒミコ」「天然コケッコー」「ノーボーイズ,ノークライ」、テレビドラマ「火の魚」「その街のこども」「ロング・グッドバイ」、京都発地域ドラマ「ワンダーウォール」、「ストレンジャー 上海の芥川龍之介」などがある。

ドラマ、演劇、映画等を得意ジャンルとするライター。著書に『みんなの朝ドラ』『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』など。
フォトグラファー。北海道中標津出身。自身の作品を制作しながら映画スチール、雑誌、書籍、ブランドルックブック、オウンドメディア、広告など幅広く活動中。

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