ワインの産地・ナパバレーから長野へ。ハワード・三竹かおりさんの選択
1人目は、アメリカのナパバレーで12年間ワインづくりを学んだ「坂城葡萄酒醸造」の醸造責任者、ハワード・三竹かおりさん(40)です。長野県と縁のない女性が、なぜ、長野のワイナリーで醸造責任者になったのでしょうか……。
ナパバレーで学んだワイン造り
かおりさんが働く坂城町は、長野盆地と上田盆地の間に位置するねずみ大根とおしぼりうどんで有名な町です。千曲川の流域と説明した方が分かりやすいかもしれません。年間降水量が少なくて晴天率が高く、中央高原型内陸盆地性気候がりんごや巨峰などの果樹栽培を支えてきました。とはいえ、二地域居住に憧れる東京の人たちがイメージするような観光資源があるわけではありません。
そんな坂城町で2018年から醸造を始めたワイナリー「坂城葡萄酒醸造」(https://sakaki.wine/)でかおりさんは、醸造責任者を務めています。
かおりさんは愛知県で生まれ育ち、名古屋大学の農学系の大学院を卒業。希望した国際協力関連の仕事への就職が叶わず、飛び出したアメリカでワインと出会いました。
「サンフランシスコで仕事を見つけられたらと思っていましたが、彼(現在の夫)の兄がナパに住んでいました。アパートが見つかるまでと思ってナパに居候させてもらっていたところ、間もなく結婚。それから14年間、ナパで暮らすことになりました」
ナパバレーはサンフランシスコから車で北へ1時間ほどのところに位置し、ワイナリーが集積する世界的なワイン産地です。アメリカ生活14年間のうち12年間、ナパのBenziger Family Winery(https://www.benziger.com/)で働きました。
「始めたら楽しくなりました。働きながら夜間のコミュニティカレッジでワインケミストリーを学びました」
ワインづくりにも、ワインを料理と共に提供する際にも、ワインにまつわる化学の知識が必要となるためです。「100人規模のワイナリーでしたが、12年間仕事をする中でラボの責任者も任されるようになりました」
偶然の出会いで長野のワイナリーへ
かおりさんの仕事と子育ての向き合い方は、どうだったのでしょうか。
「カリフォルニアは全米でも産休・育休の長い州らしいのですが、それでも予定日前の4週間と出産後の12週間しか認められていません。代わりに、企業は授乳期の母親が搾乳したい場合には場所と時間を提供することが義務となっています。おかげで、電動のダブルヘッドの搾乳機を使って職場で毎日3回搾乳し、我が子は2人とも生後6か月まで完全母乳で育ちました。1歳になるまで徐々に減らしながら続けました」
かおりさん夫婦には「子育ては日本でしてみたい」という共通の夢がありました。しかし、地元の愛知県には受け入れてくれそうなワイナリーがありません。
「派遣会社の仕事ぐらいしかないのかな」と思いつつも、ワインづくりの経験を活かせればと考え、長野県のIターン推進団体の事務所に電話をしてみました。長野県内の新興ワイナリーはワイン特区から始まっているため、規模が小さく難しいそうな感触でしたが、偶然にも事務所の関係者がワイナリーを新設する計画を持っており、会ってもらうことができました。
オーナーの悩みは、建物が立ち上がる時期なのに醸造家が見つかっていないことでした。
「私は性格的に大きな会社で働くよりも、スタートアップの方が合っています。ワイン以外の仕事なら東京に行った方がいいと言われていましたが、私たち夫婦は田舎で暮らしたいという希望があったので、長野で働くことに決めました」
当時子どもたちは6歳と2歳。2018年4月、子どもたちの就学に合わせて長野に引っ越し、その年の秋から醸造責任者として働き始めました。
理屈なしに『おいしい』と言えるワイン造りたい
「いまはワインのほかに、リンゴのお酒もつくっています。オーナーの理解もあり、実験的なワインづくりにも取り組めています。昨年は台風19号で多くのリンゴが収穫前に木から落ちてしまいましたが、それを利用してお酒をつくりました。カベルネ・ソーヴィニヨン、シャルドネなどを使ったワインづくりも順調です」
ワイナリーのコンセプトは「歩いて訪れることができるワイナリー」。レストランを持ち、そこで食事と自家製ワインが一緒に味わえる場づくりです。3ヘクタール弱のブドウ畑で収穫できたブドウから造ったワインは、一部を東京で販売していますが、基本的には地元を大切にしています。
かおりさんに醸造家としてのこだわりを聞くと、こんな答えが返ってきました。
「難しいことを考えずに、理屈抜きで『あ、おいしい!』と単純に思ってもらえるようなワインを作りたいと思っています」