私たちは共有している
「あなただけに言うね」を胸に抱き、早1年半。
常識なんてないぜ!道は自分で切り拓け!この世はバーリトゥードだ!と好き勝手にしたためさせていただいた連載も、今回で一旦、一区切りとなります。
最後はこの概念の話をしてシメたいな!と思うことがあるので、シェアしますね。
「この気持ちを誰かと分かち合いたい」という欲求
この「シェアしますね」と言う文言が出始めたのってFacebookからだったと思います。
ツイッターも初期はリツイートという概念は存在しておらず、途中から公式にRTボタンが出現。
面白いと思ったこと、広めたいこと、意見を聞きたいこと…誰かに「共有」したいことを、ワンタップで伝えられるようになりました。
現代では、ほとんどの人がSNSを使っています。私もその一人。
ポールダンスのこと、こんなことがあったよ、こんな綺麗な場所に行ったよ、と日々の生活とSNSはもはや切り離せないほど密接です。
それはもう単なるツールではなく、人生の一部、ライフログと言ってもいいほど。
喜びを投稿する人もいれば、怒りを投稿する人もいる。
悲しみも、憎しみも、マイナスな感情全てをインターネットの海に放流する人もいますね。
その根幹にあるのは「この気持ちを誰かと分かち合いたい」というシンプルな欲求なのでしょう。
もしも人類すべての人々が、一つに溶け合って理解し合えば、この世から争いは消えるかもしれない…なんて中二病的なことを考えたことがあります。一つの生命体しかこの世にいなかったら、争いようがないもんね。
でも私たちは個々で生きていくことを選択し、喜びも憎しみもぶつけ合い、時に分かち合い、理解できないと嘆きながらも生きています。すべてを理解し合うなんて不可能で、深く愛した人同士でさえ些細な行き違いで別れが訪れる。
だからこそ、切ないほど、共有したい。
令和も半年を過ぎ、新しい時代は「共有し、同一視する」ことがますます重要になってくると感じています。
他人なんだけど、他人じゃない。この星で、同じ時代に生きている。
このネット上で、同じ時間を共有している。
私はあなたで、あなたは私。
まったく同じ苦しさを味わうことはできないけど、あなたの苦しさが伝わる。
あなたが嬉しい時は、私も嬉しい。
そのように生きて考えて、自分も他人も救うことができるのが、未来のインターネットだと私は思っています。
インターネットに生かされてきた私だから、これからの人生はずっとインターネットに恩返しするつもり。
そしてこの画面の向こう側の、私を救ってくれたあなたへ。
私たちは、ずーっと、共有している。
おわり。
(まなつさんの連載は今回で終了いたします。ご愛読、誠にありがとうございました。)
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第36回強く儚いムダ毛たち
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第37回ちょっとだけ高く跳んでみる
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第38回もしかしたら、をいつも胸に
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第39回南の島でデジタルデトックス
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第40回私たちは共有している