人生最悪の「やらかし」から、“寂しさ”にふたをしていたことに気づいた日。
●「寂しい」は「恥ずかしい」じゃない 02
記憶にない救急搬送
初めて一人で行ったスナックで楽しく飲んでいたつもりが、気づいた時には病院で点滴につながれていた。おでこには4針縫い上げられた傷跡。
看護婦さんの話によると、酩酊状態で「トイレ行くー!」と言ってダッシュして、段差で転んで血まみれになったところを救急車で運ばれたらしい。着ていたはずのUNIQLO Uの真っ白なTシャツは赤茶色に染まってビニール袋の中で丸まっていた。
意識は取り戻したものの、気持ち悪くて吐き続けて動けない。そして、同時に激しい腹痛。酔いが覚めないまま「お腹痛い!」と叫ぶ私を、泌尿器科や婦人科の医師が見てくれた。痛みに耐えながら、CTやレントゲンも撮った。血液検査もした。結局、緊急手術になった。
卵巣に問題があると思って開腹したら、お腹の中で膀胱と腹膜が破れていることが発覚し、4時間にわたる大手術で無事に縫い合わせてもらえた。そして2週間の入院。
見知らぬスナックで酔っ払い、転んで膀胱が破裂するなんて、普通に生きていたらありえない失態。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
心の隙間を埋めるための飲酒
そもそも、なんで見知らぬスナックで飲むことになったのか。店に入る前の経緯は覚えている。
その日はいろんな出来事が重なった。
会議で全然いい企画を出せない。
その夜飲み会の帰り道、友達だと思っていた男(彼女持ち)に、ウチ寄っていきなよと無駄に誘われる。
付き合い始めたばかりの彼氏からLINEの返信が来ない。
なんとなく心の隙間が広がる感じの夜だった。
酔い醒ましに2駅分歩いて帰ろうと、いつも通らない道をフラフラしていたら、偶然目についたスナック。翌日は朝予定がなかったこともあり、一軒寄ってみるか、となったのだ。
ネガティブな感情にふたをしがち
その日の編集会議では、こんな議題があがった。
「次の特集テーマ、”寂しさ”はどうでしょう?」
36歳、バツイチ、離婚してからシェアハウス住まいの私。離婚当初こそ情緒がガタガタに不安定だったが、常に誰か家に人がいるというシェアハウス生活は、寂しさを忘れさせてくれていた。と、自分では感じていた。
「私はもう寂しさとか、感じなくなっちゃいました」その場ではそんな発言をしたように思う。
でも、その日の夜にこの有様。私、絶対、寂しがってるじゃん……!
全然自覚できてなかった。
このように、ネガティブな感情に蓋をしちゃう瞬間って、もしかしてtelling,読者のみなさんにもありませんか?
「仕事が大変」「友達と話が合わなくなってきた」「夫婦・親子関係がうまくいかない」……。
「いい子」でいようとしたり、誰かの期待に応えなくてはと頑張りすぎたりすると、自分の本心にフタをしてしまいがち。
そういう思考の癖がついてる人、意外と多い気がする。
愚痴も尿意も我慢せずにバンバン漏らそう
尿意を我慢しすぎて膀胱がパンパンの状態で衝撃を受けると、膀胱は傷つきやすいのは容易に想像できる。水風船と同じ原理。
ちなみに、酔っ払って尿意を自覚できていない状態だと、トイレに行くのを忘れてしまい、その状態で転んで膀胱破裂という症例はたまにあるらしい(私だけじゃなくてよかった!)。
ということは、膀胱が空っぽだったら、衝撃を受けても傷つくことはなかったはず。
じゃあ、漏らせばよかったじゃないかと、酔っ払い時の自分に言いたい。
ギリギリまでこらえず、破裂する前にちゃんと吐き出せ!と。
そうすればスカートのクリーニング代(とお店への謝罪)で済んだはずなのに、自分に正直になれず我慢しまくったから、2週間の入院という大きな損失を被ることになった。
でも、今回は、縫えば治る体の傷でまだよかったのかも。
寂しさでいっぱいの心に何かの衝撃が加わったら、外科手術では治せないような心のダメージを受けてしまっていたかもしれない。
自分のことを自分が一番わかってあげられるように、ネガティブな気持ちもちゃんと自分で受け入れて、上手に向き合って処理できるようにならなきゃな、というのが今回の教訓です。「寂しくなんてない!」と強がっても、心と体のどちらかに限界が来るだけ。
みなさんには、飲酒時の尿意にはぜひ敏感になっていただきたい!と大きな声で伝えたいです。尿意もネガティブな気持ちも、我慢して破裂して体を傷つけるくらいなら、バンバン漏らしていきましょう。
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