肩書って何だろう

浅野美奈弥さん「肩書き」よりも胸を張れる“基盤”が欲しかった【肩書03】

ケータリングサービス「美菜屋(みなや)」主宰の浅野美奈弥(みなみ)さん。学生時代からモデルをはじめ、DJとしてクラブにも出演するなど、多岐にわたる活動を行ってきました。 そんな折、無理な生活から体調を崩し、すべての仕事を廃業することに。「肩書き」を失った浅野さんが出会った次のステップとは?

●肩書って何だろう 03

体調を壊して、わかったこと

――いろいろな活動を併走させていく生活は順調でしたか?

浅野美奈弥(以下浅野): モデルをしながら機会があればDJとしてもクラブに出演する、そんな毎日はとても充実していましたが、過度なダイエットと不規則な生活で2017年に身体を壊しました。入院しなくてはいけないほどで、モデルという仕事、そして「食べる」ということについて見直さなくてはならない大きな転機になりました。結局モデル事務所を辞め、DJの活動も一旦休止しました。

その時は、すべての肩書きがなくなる怖さよりも、一度リセットして「私はこういう人間です」と自信を持って言える基盤のようなものをきちんと作りたいという気持ちの方が大きかったです。

本当は大好きだったのにずっと我慢してきた「食べること」ともう一度向き合おうと思い、独学で食の勉強をはじめ、フードスタイリストやダイエット検定1級などの資格を取得。現場経験を積むために料理家のアシスタントになりました。

――「食」への関わり方は様々ですが、なぜケータリング業をやろうと思ったのですか?

浅野: 師匠がケータリングのお仕事をしていたというのもありますが、「食」を通して自分がかつていたモデルの世界と関わっていきたいと思ったからです。

撮影の現場に差し入れるお弁当は、モデルさんたちにとって1日のうちのただの一食かもしれない。でも、栄養バランスがとれていて、かつ美味しくて美しいお弁当を食べてもらうことで、食べ物に対する意識が変わるきっかけになってほしいんです。

「モデルはこうあるべき」ということにとらわれ、過度な食事制限をするような人たちが減ってほしいという願いを込めて作っています。

――ケータリング業をはじめて、気づいたことはありますか?

浅野: 撮影の現場は多くの人に支えられてできている、ということですね。モデルという、現場の「主役」だった頃は、本当の意味でそのことを理解していなかったように思います。モデルをやっていた頃、自分より早くスタジオに入って自分たちのために準備をしてくれた人全員の顔をみて、挨拶をしていただろうか……。師匠のアシスタントを始めた頃は、誰からも名前を覚えてもらえず、声をかけられることもなく、黙々と作業をしていた時に気づきました。

――裏方の仕事をはじめたことで見えたことがあるんですね

浅野: モデルとして、順風満帆に成功し、モデルの活動だけをしていく……そんな未来を想像したこともあります。夢がすぐに叶っていたらきっと違っただろうって。もちろん、モデルとして売れ続けることも大変だと思います。でも今なら、いろいろやってきたからこそ人生に厚みが出てきたと言えます。

――最後に、「肩書き」について思うことはありますか

浅野: 昔は「モデル」という職業を名乗った時に、相手の微妙な反応が気になっていました。

DJの現場で「モデルの仕事もやってるんだね」とさらりと言われるのと、単純に「へぇ……モデルさんなんだねぇ」と言われるのとでは、全然ニュアンスが違う。品定めをされているような雰囲気が嫌で、胸を張って「モデルです」と自己紹介できなかったこともいっぱいありました。
仕事が順調な時は「モデルをやっています」と普通に答えられるんですが、うまくいっていないときは「会社員です」と思いっきり嘘をついていたこともあります(笑)。自分に自信がなかったんですよね。でも今はもう自分の職業をごまかしたり、嘘をついたりすることはなくなりました。

現在はケータリング業と並行して、モデルの仕事も再開しました。モデル一筋だった頃より、体重は増えています。それでも「モデルなのにどうしよう」と焦ることはありません。それも、「モデル」という言葉のイメージに、自分自身が左右されなくなったからだと思います。

どんな肩書きにせよ、自分自身のやっていることに興味を持ってもらえるようになりたいし、私もそう接していきたいと思っています。

大学卒業後、芸能事務所のマネージャーとして俳優・アイドル・漫画家や作家などのマネージメントを行う。その後、未経験からフリーライターの道へ。
フォトグラファー。北海道中標津出身。自身の作品を制作しながら映画スチール、雑誌、書籍、ブランドルックブック、オウンドメディア、広告など幅広く活動中。
肩書って何だろう