肩書って何だろう

浅野美奈弥さん「モデルで、極める」のでなく肩書を複数持つ理由【肩書02】

2018年、ケータリングサービス「美菜屋(みなや)」を立ち上げた浅野美奈弥(みなみ)さん。学生時代からモデルとして活動、そのほかにもDJにチャレンジするなど複数の顔を持ち活動してきました。「一つの道を極めるべし」と周りから言われてきたという浅野さんに、今回、「肩書き」というワードを軸にお話を伺いました。

●肩書って何だろう 02

大学へ進学するも、カルチャーショックで里帰り

――浅野さんの肩書きはなんですか?

浅野美奈弥さん(以下浅野): ケータリング屋です。……と胸を張って言えるようになったのはここ1年くらい。昨年、ケータリング業務のためのアトリエを借りて本格的に独り立ちした時からです。
20代前半からなかばまではモデルとして事務所に所属する傍ら、夜はDJとしてクラブのブースに立つこともありました。

――モデルになったきっかけを教えてください。

浅野: 札幌出身なのですが、高校生の頃に学校の先生の紹介で東京のモデル事務所の方に声をかけていただき、上京してモデルになることを決めました。モデルの仕事が夢だった!というわけではなく、どちらかというと東京に出るということに興味があったんです。新しい環境に飛び込んでみたくて。
ただ、大学を卒業することが家族との約束だったので、東京の大学に進み、学業のかたわらモデル業に励むという生活をしていました。

――学生とモデルの両立は順調だったのですか?

浅野: いいえ。学校の留学制度で1年間シアトルに行き、戻ってきた時に逆カルチャーショックみたいなものになってしまい、半年間休学し地元へ戻りました。
海外での生活が充実していたので、シアトルの学生と日本の学生を比べたり、そもそも日本の大学制度に疑問を抱いてしまったり、モデルをこのままやっていくのか?みたいなことも考え込んでしまったんです。
札幌では半年間、英語教師の資格取得や、興味のあったアパレルのバイト、エステのアシスタントと気になることを片っ端からやっていました。

――その頃から「たくさんの肩書き」を持っていたんですね。

浅野: というより、自分が本当は何がやりたいかわからなかったんです。まさに自分探しの時期という感じで。
そんな時、兄から「大学も卒業できないんじゃ、この先、何も継続できないよ」と言われました。尊敬している兄からの言葉は心にすごく刺さりました。そこから、もう一度東京の大学に戻り、モデル業にも復帰しました。

札幌ではいろいろなことにチャレンジしたけれど、モデルの仕事を中途半端にしたままだったことがずっと悔いとしてあったんです。
再び上京してからは、モデルの仕事に対する意識も変わりましたね。大学卒業のタイミングで、モデルとして食べていけるようになろうと決意しました。

オーディションに落ちるのは「太っているから」だと思い込んでいた

――大学を卒業後はどのような毎日でしたか?

浅野: オーディションに落ち続ける毎日でした。とにかく落ちる。週に何十本ものオーディションを受けても1つ受かれば良い方。自分なりにたどり着いた原因は「太っているから」でした。
今思い返すと、そんなわけはないってちゃんとわかるんですけど。当時はそう思うことでしか自分を納得させられなかったんだと思います。

そこから過度な減量を始めます。
減量といっても、運動やちゃんとした食事管理じゃなくて、ただただ食べない。吐いたりすることもありました……。他に方法がわからなかったんですよね。
モデル仲間とご飯に行ってもなんとなくみんな牽制しあってる空気もあったような気がします。
お互い何を食べるか探り合いをする感じ。「私、サラダだけでいいや……」「え?じゃあ、私もスープだけにしようっと」みたいな(笑)。
「モデルとはそういうものだ」とどこかで言い聞かせていました。そういうのをプロ意識なんだって思い込むようにしていましたね。

不安を埋めるためにいろいろな活動をしていた

――DJ活動をはじめたきっかけは?

浅野: 音楽が好きで高校生の時にオーケストラに所属していました。ただ、モデルの仕事をはじめるにあたり辞めてしまって。また音楽に携わりたいと思っていた時に、知人に誘ってもらいDJイベントに出演するようになりました。
モデルとして毎日たくさんの仕事があるわけでもないし、空いた時間ができると将来についてマイナスのことばかり考えてしまう……。はじめは不安を埋めるような気持ちもあったように思いますね。

――5、6年前だとまだモデルもやりながら他の活動も、という人は少なかったように思います。

浅野: そうですね。大きかったのは、大学を卒業できた経験ですかね。学業とモデルの仕事を並行してできたのだから、今回もきっとやっていける、と思いました。

目上の方からは反対されることもたくさんありました。「どちらかを極めてプロにならないと、全部中途半端になるよ」「まずはモデルとして一流になりなさい」と。
たしかにそうだなと思うこともあったのですが、その頃は音楽に携わりたいとか、洋服を作ってみたいとか、やってみたいことがいっぱいあって。そういう気持ちを止めることはできませんでした。
モデルという仕事は、仕事以外の時間も仕事。モデルとしてカメラの前に立っている時間以外に何をしているかがが、表現に影響すると思うんです。今までにない自分を作るための活動。そのためにもこの興味は止めたくないと思っていました。
モデル一本じゃなくてもいい。「モデル/DJ」と肩書きが増えることはむしろ強みになると考えていました。

***(後編に続く)
モデルとして無理なダイエットをしながら、DJとして時には明け方まで活動。26歳で体調を崩し、浅野さんの価値観は大きく変わります。
後編ではその転機と、現在のメインである食の世界の仕事についてお話いただきます。

後編はこちら:浅野美奈弥さん「肩書き」よりも胸を張れる“基盤”が欲しかった【肩書03】

大学卒業後、芸能事務所のマネージャーとして俳優・アイドル・漫画家や作家などのマネージメントを行う。その後、未経験からフリーライターの道へ。
フォトグラファー。北海道中標津出身。自身の作品を制作しながら映画スチール、雑誌、書籍、ブランドルックブック、オウンドメディア、広告など幅広く活動中。
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