都議会議員・龍円愛梨さん「人は肩書で偉くなるわけではない」【肩書01】
●肩書って何だろう 01
自分の心に従い、女子アナから学生へ
初めて肩書きがなくなったのは、テレビ朝日を退職した時。新卒入社からアナウンサーを7年間、6年は記者として在籍していた会社を辞めて渡米し、一学生になるという経験をしました。キャリアゼロからの再スタートでした。
アナウンサーや記者という仕事は、学ぶことも多く、とても有意義な経験でした。社会的に大切な情報を伝える仕事をする一方で、個人的な意見を発信することは、局のオピニオンとして扱われる可能性があるため控えていました。退職後は、一個人として自由に発信やアクションできることに、不安というよりも「何をしよう!」とワクワクしていたのを覚えています。
いろいろな方から「テレビ朝日を辞めるなんてもったいない!」と言われました。確かに、ファミリーだと感じるほど大好きな会社だったので、「もったいないのかな」とも考えたのですが、30代後半を迎えるにあたり、自分の心に従い、きちんと呼吸をして、健康的なものを食べて、適度な運動をして、自然の近くにいることを選びたいと思いました。すでに私自身の価値観がガラっと変わっていたのです。
自分らしくいられる肩書を模索して
価値観が変わる出来事があったのは、アナウンス部から社会部に異動になり、記者をしていた30歳の頃。当時は、毎日取材に出て、必要な情報を必死にかき集めて、時間通りに出稿することに追われていました。凄惨な現場などを取材するうちに、事件や事故が身近にありすぎて、自分も巻き込まれるかもしれないと感じるようになり、精神的に追い込まれていきました。次第に現場と自分自身の生活を切り離して考えられなくなり、病院での診断結果は適応障害。
20代は無我夢中で仕事をして、30歳になった時に、ふと「私の人生ってこのままいいのかな」という疑問も生まれてきました。その答えを探している中で、ヨガやサーフィンと出会い、続けていく中で、私にとっての「幸せ」は、キャリアやお金とは関係がなく、自然を身近に感じ、感謝しながら自分らしくいられることだと気がついたんです。
テレビ朝日は大好きでしたが、辞めたことには後悔をしていません。今は政治家という仕事がすごく楽しくて、私に向いていると思っています。息子が生まれていなかったら政治家になっていないし、アメリカに行ってなかったら息子も生まれていないので、あのタイミングで辞めて大正解。シングルマザーになるのだけは想定外でしたが、それも含めて人生ですよね(笑)。
スペシャルニーズの子どもたちのために
退職後、米カリフォルニア州サンクレメンテ市に移り住み、コミュニティーカレッジで学びながら、当時のパートナーとの生活を始めました。サーフィンを通じて、Seea(シーア)という機能性とデザイン性を備えたサーフ用水着ブランドに一目惚れをしました。偶然近所に住んでいた創立者に「日本の女性サーファーも着たいと思う!」と熱く語ったところ、日本営業担当に。アパレルも貿易も、何もかも初めてでしたが、日本でたくさんのお店で扱っていただき、今では女性サーファーに広く愛用してもらえるブランドになりました。ものを進めていく上で、「情熱」が大切だということを学びました。
そんなさなかの2013年、ダウン症がある男の子のママになりました。頼れる家族や友人がおらず、右も左も分からない米国で、スペシャルニーズ(特別な支援を必要とすること)のある子を育てることに、大きな不安がありました。驚いたことに、米国ではスペシャルニーズのある子どもへの支援が充実していて、日本に比べると3、40年は先進的。たくさんの支援を受けて、不安はすぐに吹き飛び、毎日充実して楽しい子育てをすることができました。
息子が2歳の時に、パートナーと別れて帰国。無職だったので、結構なピンチでした(笑)。本当はすぐにでも仕事を探さなければいけないのは分かっていたのですが、日本はスペシャルニーズのある子どもたちへの支援が遅れていて、不安や絶望的な気持ちを抱えて、孤独な子育てをしている親たちがたくさんいることを知り、いてもたってもいられなくなりました。米国と日本をつなぎ、情報を発信し、日本における支援を変えていくことが、私にしかできない重要な仕事だと気づいたのです。そこで、父と母に「スペシャルニーズのある子どもたちのために活動したい。それが仕事につながらないようであれば、40歳をもって就職活動をします」と協力をお願いしました。
しばらくの間は、ヨガ講師をしながら、世界的なチャリティーウォーキングイベント「バディウォーク」の手伝いをしたり、ダウン症がある子どもと両親によるコミュニティーづくりの場「DSスマイルクラス」を立ち上げたり、ダウン症児に関する米国の本の翻訳をしたりと、暗中模索で活動を始めました。
「先生」と呼ばれても思い上がらないと決めた
日に日に子どもたちのために社会を変えていきたいという想いが強くなり、小池百合子都知事が主宰する「希望の塾」に入塾。都知事に直談判すべくレポートに想いを書き続けたところ、都知事ご本人から「やりたいことがある人が政治家になったほうがいい」と声をかけていただきました。こんなチャンスは人生で二度はこないと思い、急遽、都議選に出馬することを決めました。2017年7月に当選し、晴れて都議会議員となることができました。
都議会でも、テレビ局時代のスキルをフル活用し、情熱だけで爆走している感じです。ちょうど2年が経ちましたが、私の想像以上にいろいろな政策を進められている実感があります。スペシャルニーズのある子とない子たちが、安全に安心して一緒に遊ぶことができる、まったく新しい考え方の「インクルーシブ公園」を提案し、2019年度末には世田谷・砧公園で実現する予定です。7月31日からは、保育所や療育などに通う必要がある子どもたちが安心して電車に乗れるように提案した「子育て応援スペース」が、都営地下鉄大江戸線で運行しています。スペシャルニーズのある子が、地域の学校の通常学級で学ぶために、どのような支援が必要かを調査する事業も立ち上げることができました。
都議会議員としての仕事は充実していますが、シングルマザーでスペシャルニーズのある子育てと家事との両立には、かなり苦戦中です。毎日、ひたすら駆け回ってます。
議員になると、仕事関係でお会いする方から昔からの習慣なのでしょうが、「先生」と呼ばれるようになりました。「肩書き」だけでまるで偉い人のように扱われることに違和感があり、「龍円」または「龍円さん」と呼んでもらうようにお願いしています。私にとって都議会議員であることは、やりたいことを実現していく手段でしかありません。振り返ってみると、肩書きを選んで人生の方向性を決めたことはなく、やりたいことをやると、そこには何かしらの「肩書き」がついてきたことに気がつきました。都議会議員という肩書きに縛られることなく、目標に向かって、思いつく限りのことを全部やりながら、子どもたちのために、社会のために、突き進んでいきたいです。
●龍円愛梨さんのプロフィール
1977年生まれ。スウェーデン・ウプサラ市出身。都民ファーストの会所属の都議会議員(渋谷区選出)。元テレビ朝日アナウンサー・記者。子どもたちが生きていく社会を変えるために、2017年に都議会議員に。 ダウン症のある息子を育てるシングルマザーでもある。趣味は、ヨガ、サーフィン、映画観賞。
-
第1回都議会議員・龍円愛梨さん「人は肩書で偉くなるわけではない」【肩書01】
-
第2回浅野美奈弥さん「モデルで、極める」のでなく肩書を複数持つ理由【肩書02】
-
第3回浅野美奈弥さん「肩書き」よりも胸を張れる“基盤”が欲しかった【肩書03】
-
第4回小橋賢児「セカンドID―本当の自分には意外な道筋で出会える」【肩書04】
-
第5回「働く意思見せろ」と責められ…専業主婦からマンガ家へ転身して得た自由【肩