【ふかわりょう】括られガール
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」34
和洋折衷な食事が苦手で、ホテルのビュッフェでは和食で行くか、洋食で行くか、コンセプトをしっかり決めてからじゃないとお皿に盛ることができないため、前日の夜から計画を練っている私が言うのもなんですが、近頃、カテゴライズがうるさくないでしょうか。
山ガールに刀剣女子、草食男子に肉食女子、美魔女に歴女に港区女子。古くは醤油顔やソース顔なんてのもありました。カテゴライズが好きなのはマスコミだけではないでしょう。ぼやけていた現象がハッキリするし、何らかのグループに帰属している方が安心するのかもしれませんが、私は偏屈な人間だからか、そういった願望は一切なく、むしろ括られたくありません。
しかし、そんな気なくても勝手に括られてしまうのが現実で、最近で言うと「あえて結婚しない男性」を指す「AK男子」。押し付け感が強いので、それほど浸透していませんが、この言葉を目にした時、絶対こんな言葉で括られたくないと思いました。どうせ括られるなら、だから結婚できない「DK男子」の方がよっぽど魅力的。括られれば括られるほど、そこから逸脱したくなるけれど、アラフォーだとか、独身だとか、なかなか避けきれず。皆さんは、括られるのは好きですか?
映画にしても音楽にしても、カテゴリーがないとなかなか届かない。泣ける映画なのか、笑えるそれなのか。泣けるものが素晴らしい作品とは限らないし、泣かないものにもいい映画はたくさんあります。巨匠デヴィッド・リンチの映画はカテゴライズが難しく、もはや「デヴィッド・リンチ」という監督でしか括れません。一方で、インドの映画は、ジャンルレスというより全部入り。あらゆる要素が全て入っているのは、ジャンルにこだわっていない証でしょう。
会いたい、愛している。日本で耳にする楽曲はほとんど恋愛系。音楽はもっと自由なのに。かつてハウスというジャンルのイベントの時にハウス以外の曲をかけたら、足を止めたかと思うと腕組みして睨み始めるお客さんがいました。まぁ、お金を払っているのだからどの曲で踊るかは自由ですが。クロスオーバーな曲がなかなかヒットしないのは、そういった国民性に要因があるのかもしれません。もっとも、「クロスオーバー」も、ひとつのジャンルになっていますが。
いま求められるのは、ジャンルレス。ひとつのジャンルに特化するのもいいですが、それで裾野が広がらないのは勿体ないから。せっかく組織から離れたのに、nomad族と括られる始末。LGBTにしても、細分化すると無数に分類できるそうですが、このような表現が聞こえているうちは本当のダイバーシティーではありません。BEYOND THE BORDER。
個が垣根を越える。女だからとか、男だからとか、そういった先入観も取り払うべき時。カテゴリーやジャンルを突き破った時、本質に出会うのだと思います。こんなこと言っていると、「ボーダーレスおじさん」と括られてしまうのでしょうが。
タイトル写真:坂脇卓也
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