【ふかわりょう】芸能人ってなんだろう?
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」33
「あ、芸能人だ」
と、街で言われることがあります。通訳すると「あ、テレビで見たことあるけど、名前が思い出せない!ほら、なんだっけ?」となります。私も40を過ぎ、名前が出てこないどころか、若手俳優さんをほとんど認識できていないので、そこに悪意がないことや、過度に落ち込む必要はないことはわかっています。しかし、覚えられてなんぼの世界。気持ちのいい響きではありません。たとえ呼び捨てであっても、名前で呼ばれる方がずっと耳に優しいのです。
ところで、「芸能人」ってなんなのでしょう。「タレント」という言葉に置き換えられる場合もありますが、歌手、俳優、お笑い、それらの総称。「芸能」の「人」だから、テレビに出ていなくても「芸」があれば、それこそYouTuber等も該当するのでしょうが、一般的には「テレビに出ている人」という印象が強いかもしれません。
ただ、テレビに出ている人に「芸」があるかといえば、歌や芝居、漫才や手品のような、わかりやすい「芸」ばかりではありません。私自身も、「芸は何か」と問われたら返答に困ってしまいますが、ただ「芸」を持っていれば出演できるというものでもなく、「テレビのサイズ」に変換されるため、役割やキャラクター、人気やイメージ等が重視されています。
では、テレビに出るとはどういうことなのでしょう。それは暗に、社会が受け入れていることを示唆しています。
テレビは公共の電波を使用しているので、民放でも公共性の高いメディア。だから、ここに映っている人は社会が容認しているという意味を持ちます。ネットやSNS等の活動は自由度が高いですが、不特定多数の人たちが観る公共性の高い放送となると途端にルールが厳しくなるのはそのせいです。
また、テレビで商品が紹介されるとたちまち店頭に並んだりするのは、単に宣伝されたからではなく、「テレビでやっていたから安心」という意味合いもあります。公共の電波に乗った信頼感。芸能人のサインが並んでいたり、「このお店、〇〇さんもよく来るんですよ」と有名人の名前があがれば、不思議と生まれる信頼感。つまり、テレビに映るというのは、社会的信用を得ていることになるのです。これは、一方で怖い面もありますが。
芸能人とは、「信用」を舞台に能力を発揮する人たち。私は、そう思います。特にテレビを主戦場にする者は、芸云々の前に信用なのです。だから、一度それを失ってしまうと、活動の場を失ってしまう。信用できない人はテレビで見たくないと思う人が多い現実。力量だけではどうにもならないのです。
信用できない人を容認していると、テレビ自体の信頼も損ねることになります。そういうバランスで、今日の芸能界は成り立っているのです。
タイトル写真:坂脇卓也
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