単細胞的幸福論のすゝめ 13

雨の日はメンタル休養日

雨の日は昔から憂鬱だった。シトシトと降る雨の音は癒やし効果があると言っていた友人もいたけれど、私にとって雨の日は監獄に押し込められているような感覚がするだけ。

●単細胞的幸福論のすゝめ 13

毎年、梅雨の時期が嫌いで、ジメジメした日常とお別れすべく1昨年は1カ月半ほどアメリカへ逃げた。去年は妊娠初期だったこともあり、喜びで梅雨なんてあっという間に過ぎていったことを覚えている。

今年は6月8日あたりから梅雨入りしたけれど、全然雨なんて降らない。その代わりしばしば訪れる低気圧による偏頭痛と戦っている。4月に生まれたばかりの娘は、普段おっぱいをあげるのを忘れるほど穏やか。窓の外でゆれる洗濯物を眺めているのがお気に入りなようで、手を伸ばしてつかもうとする様子が伺える。そんな彼女でも、低気圧は天敵なようで荒れ狂ったように泣き叫んで一日が終わる。そんな彼女を抱きしめながら過ごすこの時期は、私のメンタルも正直荒れ模様だ。

雨は精神を閉じ込める、低気圧による頭痛もそう。人は恵みの雨だと言うけれど、単に私を精神的にも肉体的にも閉じ込めたいだけじゃないかなんて思う。

雨になったら よく食って よく眠って ただ待っているんだ

幼いころから「ただ、頑張る」が正義だと押し付けられたように感じる。「努力が実を結ぶ」とか「走り込んだやつが一番強い」とか。夏休み中に何もしないでダラダラしていると「子どもなんだから遊びにいけ」「子どもは一生懸命遊ぶのが仕事!」と家を追い出される。

晴れた日に頑張るのは当たり前、むしろ「雨ニモ負ケズ…」とあるように、「雨の日はいつも以上にはつらつと過ごせ」、そんな風に大人に言われているように感じていた。

小林秀雄の「スランプになったら よく食って よく眠って ただ待っているんだ」という言葉が妹の学校の入り口に彫られている。活力がみなぎっている中高生たちに向け、人生の抑揚を楽しみなさいと言っているかのように、人生の小休止をさりげなく提案しているのが現代的だなあと思う。

だから、私は雨になったらよく食ってよく眠ってただ晴れを待つことした。

お昼ご飯はUberで済ませ、横になってWOWOWかネトフリをひたすらダラダラみる。娘が泣けば乳を出す。むしろ、おっぱいなんて出しっぱなし。「生産性のない時間だ…」「ダメ人間だ…」とか思わないレベルまでダラダラする。

ある雨が降るのか降らないのかグズグズした天気の日に、娘を連れて出かける予定があった。「かーっ!かったりぃな!」と思いながら支度をし、娘を前に抱きかかえ傘を片手に家を出た。

「娘よ、これが梅雨のだるさなのだ。これが日本なのだ」と寝ている彼女にささやきながら歩くと、一気に晴れたと同時に雨が降ってきた。

少し気分があがってきたのでお昼ご飯をこのまま外で済ませることに。前から気になっていたお店がちょうど開いていたので、ふらっと入りオムライスを食べた。絵本に出てきそうなオムライスだった。幸せの味がした。「明日できること、明日考えられることは明日の自分にまかせよう」と思って、プラス300円のデザートを注文することにした。

1990年生まれ。保育士、BuzzFeed Japanを経てフリーランスへ。あんぱんと羊羹が好きです。
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