彼を見守ってみたら大事なことを思い出した
●単細胞的幸福論のすゝめ 12
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私はADHDで頭もカラダも止まることを知らずに生きてきた。28年間ずっと頭も身体も止まることを知らず、ひたすらしゃべり続け、ひたすら動き続けてた。
今年の4月に娘を出産。出産前日まで仕事をし1日1万歩をキープし、医者からもらった「軽めの運動ならOK」という言葉を盾に2、3キロのランニングもしてた。
産後1ヶ月経ったころから、行動範囲は減ったものの頭の中はぐるぐると音を立てるかのように動き続け、家の近所を歩き回り、家中の掃除をし……という日々。それでも満足できないのか、思考が止まらず夜は授乳とオムツ替え、そして考え事で眠れずに過ぎていった。
気づいたときには喉の奥が真っ白
産後2ヶ月経つ少し前、体力的に限界がきたのか扁桃腺が膿んでしまった。そして連れ回していた娘も鼻水と咳が止まらなくなった。
動きたいのに動けない。洗濯物、食事の支度、娘の世話……。横になっても、頭の中は動き続ける。「アレをこうしたらいいじゃん」「そういえばあの子はこういう風なもの欲しいって言ってたな」「あの仕事どうなったっけ」。結局休むことなんてできない。
ある日の金曜、仕事から帰ってきた夫が「顔死んでるな。明日は俺が全部やるから寝てなよ」と言う。「神かよ。。」、とはいえ我が家は夫の方が家事のプロ。だから普段全くやらないわけじゃない。でも、この時ほど「俺が全部やるから」が胸に響いたときはなかった。
え、やってくれるんじゃないの…?
翌朝、先に起きたのは私だった。「今日は1日ベッドから動かないぞ!全部夫に任せるぞ!」と意気込んだ。でも、隣にいる夫は起きる気配がない。その後3時間粘ったけど、やっぱり起きる気配がない。
「え、待って。この3時間あったら私全部終わってたんだけど……」と思い「やってくれるって言ったじゃん!!」と口から出かけた午前11時、「腹減ったから飯くいにいこう」と言い出した。私もお腹が減っていたし、娘を連れてハンバーグを食べにいった。
「帰ったら全部やってくれるんだ、きっと」と思っていたのだが、気づけば夫は寝ていた。「え、意味わからん…謎すぎる…昨日のは嘘だったのか」と頭を抱えたが、ふと「1日は24時間あるから、そこなかのどこかでやるんだ、きっと。私がこの人を信用しなければダメなんだ」と思った。ので、私も寝た。
キッチンの方から聞こえてくる音とともに目覚める。iPhoneの時計は17:00を表示してる。「めっちゃ寝た…めっちゃスッキリした…」と、起き上がってキッチンを覗いてみると夫がガスコンロの掃除をしていた。ベランダを覗けば洗濯物が干してある。リビングには畳んだ洗濯物が並んでる。トイレも床もピカピカだった。
歩幅を合わせて生きるということ
「あぁ、だれかを頼るって信じることなのか」と思った。うまくいえないけど、一緒にいる時間が長ければ長いほど、相手のことをなめてしまう。私の方がはやくできるとか、私がちゃんとしないととか……。相手に対するリスペクトはもちろんあるけど、何がきっかけなのかわからないけれど、相手を舐めた状態になってしまう。
今回、私は勇気を出して「何もしない」を選択した。普段だったら昼寝している彼を横目に家事を全部済ませて「家事やったから」とドヤるけど、今回は全力でチカラを抜いて彼を信じた。
もしかしたら、今までも彼が起きるのを待てば、私が全部やる必要はなかったのかもしれない。私はなんでも起きたらやるべきことを全て済ませて、ゆっくりする時間を確保したいタイプ。でも、夫は逆のタイプなのだ。ただ、それだけのこと。
歩幅を合わせて共に生きるってきっとこういうこと。自分のサイクルに合わせて動かない=何もしない人ではなく、相手のサイクルに自分が合わせることも必要なんだな。当たり前のようで忘れてしまいがちのことって、きっといっぱいあるんだと思う。
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