会社に行きたくない。それは許せる「辛い」?それとも許せない「辛い」?
●単細胞的幸福論のすゝめ 11
つい最近新卒1年目、社会人1ヶ月目を終えた子が私の好きな羊羹片手に遊びに来てくれた。「なんか、私にできることなんてないんですよね。もう会社行きたくなくって。しんどくっていやで。今日サボっちゃったんですよ。まだ有休ないのに」。
「五月病じゃない」と、いただいた羊羹を切らずにそのまま食べる私。「五月終わるんですけど」とため息をつく彼女。言わんとしていることはわかるし、欲している言葉もなんとなくわかってはいたけど、「いいじゃん。辞めよう。もっと楽しく暮らそう」と私は言った。「食ってけねえじゃん……」と彼女は死んだ魚の目で私をみた。
5月はまるで「沼」
3年間の保育士生活を経て、会社員になった5月。ちょうど今ぐらいの時期、もうすでに出社拒否気味だった。
涼しさがだんだんと減ってくる。あぁ、夏が近づいているな……。だるいな……。と思いながら乗り込む満員電車はもうすでに真夏のような熱気が立ち込めている。
会社の最寄りの駅を降り、オフィスビルに足を踏み入れると広がっているのは空調の効いたひんやりとした空間。
オフィス階行きのエレベーターにはディズニーランドにあるプーさんのハニーハントと同じぐらいの列ができてる。何も楽しいことなんてないのに。あがった先にプーさんなんていないのに。そんな現実のせいで、耳から入ってくるThe xxだってシケタ音になってしまう。
転職して何が辛かったって、「できない」「わからない」という状況に立たされること。でも、それは保育士1年目も同じだった。
目の前に広がる、先輩や上司たちが発する「あたりまえ」にいびつさを感じながら「大丈夫、今だけ。もう少したったらこの世界も私の当たり前になる」と根拠なく思い続けるしかない。私にとって5月ってそんな時期。1年で一番どろっとしてる沼のようなもの。
そういえば私もそうだった
「できない」、「わからない」と思ってるうちはできないし、わからないもの。一度距離を置くことで「できない」「わからない」と思ってることなんて忘れちゃうから不安も消える。会社独自のルールは世界共通ルールではないことがほとんどなので、辞めてしまえばもう関係ない。
私も彼女と同じように悩んで思いつめた。ちょうどこのぐらいの時期に。
保育士になって間もないころは子どもたちと意思疎通が取れないこと、つい数カ月前まで学生だったのに保護者から「先生」と呼ばれる重圧。
会社員になった頃は、だるそうに出社してオフィスではヘッドホンをつけて黙々と作業する人で溢れてた。つい数カ月前までは朝は元気に挨拶することがスタンダードで、子どもたちと公園や園庭を元気に駆けずり回っていたのに、真逆の世界に来てしまったことが想像以上に辛かった。
「辛い」を許せるかどうか
保育士時代は気づいたときにはもうそんな時期が過ぎていっていた。でも、会社勤めはそうはいかなかった。
私は「辛い」を許せなかったんだと思う。「辛い状況を作ってるのは自分、もっと頑張らなきゃいけない」としか思えなかった。本当だったら「今はつらくていいんだよ。大丈夫だよ」と受け止めて優しくしてあげるべきだったのに。
きっと私はそういう性分で、そう簡単に変われないのが現実。潔く諦めることもできず、むしばまれていく自分のカラダをただ眺めるしかできなかった。
食ってけるより大事なこと
仕事をやめることは勇気がいる。でも、正社員を辞めてもコンビニでバイトするとか、派遣に登録するとか、生きていける方法はいっぱいある。
私も今の仕事が安定するまで朝6時からファミレスでバイトしてた。早起きするのは大変だったし、収入だって激減したけど、会社に行くより楽しかった。注文を受ける機械の操作を覚えられなくて辛かったけど、その辛いも楽しかった。
「食っていく」ことにコン詰めて、生きるのが辛くなるところまでいくよりも、生きてることを楽しめるほうを私はおすすめする。
「辞めるって逃げじゃないですよね」と眉毛を「へ」のかたちにして彼女は呟く。死んだ魚の目は消えたけど、まだ不安そうな顔してた。「逃げじゃなくて攻撃だよ。一番の反撃だと思うよ」と私は羊羹の最後の一口を食べながら彼女にそう話した。
「反撃(笑)。『刃牙』読みすぎですよ」ととびきりの笑顔をみせてくれた。
もししんどくなってる人がいるなら、羊羹でも食べながら「辛い」を受け入れられているか振り返ってほしい。それだけでも少しは楽になると私は思うから。
-
第9回ブラのホックを外されなくなって5年経った
-
第10回会えないきみに会いたくなるとき
-
第11回会社に行きたくない。それは許せる「辛い」?それとも許せない「辛い」?
-
第12回彼を見守ってみたら大事なことを思い出した
-
第13回雨の日はメンタル休養日