「選択的」夫婦別姓すら認められなくて何が多様性ですか?
●編集部コラム
大変怒っています
そもそも、夫婦別姓を選択できるようになるかも、国会で議論が始まった、という記事を見たのは小学生の頃だったように記憶しています。今調べたら、平成3年から婚姻制度等の見直し審議を行って、平成8年2月に答申した、と法務省のHPに書いてありました。だから私が大人になって結婚する頃には、別姓も選べるようになってるんだろうなー。って思ってたんですけど。
それから早20年以上経ち2019年、平成も終わりに近づき、来月から令和。な・の・に!なぜ未だに夫婦別姓を選ぶことすらできないの!?って思います。
先日もサイボウズの青野社長らを原告とした夫婦別姓訴訟に対して、東京地裁が棄却という判断を下しました。今回の訴訟は少しトリッキーで、夫婦同姓を定めた民法の規定を争うのではなく、戸籍法の合憲性について争うというものでした。戸籍法では、海外の人と結婚した際は旧姓を名乗ることも相手と自分の名字を合わせて名乗ることも可能ですが、日本人同士ではこれは認められていない。ここがおかしいのではないか?と争ったわけです。しかし、東京地裁の判断は、旧姓使用を認めない戸籍法は「制度上の合理性がある」と結論づけた、とのことです。
合理性ってなんなんだ
いや、ちょっとまってよ、というのが第一印象です。そもそも夫婦が必ず同姓を名乗らなきゃいけない民法の制度があること自体、私は大いに疑問を持っています。それに今回の判決で言われている旧姓使用を認めない「制度上の合理性」って、なんなんでしょうか?
諸外国を見ても、以前は夫婦「同姓」を法で定めていたアメリカでは1970年代に、ドイツは1993年に、オーストリアとスイスは2013年に「別姓」が認められ、タイでは2003年に「選択的夫婦別姓」が実現しています。つまり、夫婦が同姓を名乗らなければ「ならない」と決められている――夫婦別氏を認めず夫婦同氏を法で規定している国家は、日本ぐらいなんです。(出典:「提言 男女共同参画社会の形成に向けた民法改正」 日本学術会議)
姓名の使用について、さかのぼってみました。
●明治3年9月19日太政官布告
平民に氏の使用が許される。
●明治8年2月13日太政官布告
氏の使用が義務化される。
※ 兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。
●明治9年3月17日太政官指令
妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
※ 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。
●明治31年民法(旧法)成立
夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※ 旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。
●昭和22年改正民法成立
夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※ 改正民法は,旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って,夫婦は,その合意により,夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。
まず日本って、最初は夫婦別姓だったということ!そして夫婦同姓が規定されたのは明治31年から。たかだか100年ちょっとの話です。
夫婦別姓の議論がなされる時によく国会議員のお歴々が言うのが「夫婦同姓は日本の伝統」「家制度がうんぬん」。100年ちょっとの制度が「伝統」ですか?しかも「家制度」は現行民法下ではなんの規定もないので、「制度」ですらありません。
あなたに迷惑かけないから自由にさせて
しかも、「別姓にすると家族が崩壊する」と言われたりしますが、そもそも離婚率3割だし、事実婚で名字が違ってもずっと仲がいい夫婦はいいし、名字が同じでも崩壊している家族なんていくらでもいます。
それより、女性がこれだけ社会に進出してきて、男女ともに「自分」として仕事をしている現在、どちらかが婚姻によって姓を変えなければいけないのは著しく不利益を強いることになります。「合理性がない」というのは、まさにこういうことを言うのではないでしょうか。
私は1回目の結婚の時に夫の姓を名乗りました。その時は若く、「結婚したんだから名字を変えないといけないのか」と思ってしょうがなく夫の姓にしましたが、本当は変えたくなかったし、正直に言うと「夫の名字を名乗るのが本当に嫌で、苦痛」でした。結婚したんだから、本人を嫌っているわけではありません。でもそれより、「自分が自分でなくなってしまう」感じが本当に嫌で、結婚してからも仕事上ではずっと旧姓を使用していました。しかも向こうの名字になったことで「嫁」として扱われるのも本当にありえない!と思っていました。今思うと、もし夫婦別姓を選べていたら、「とにかく離婚したい」とは思わなかったかもしれない、と思うほど、名前のことは私にとって重要でした。
ほら、こういう人もいる以上、「名字が同じだから家族の結束が高まる」なんて言えないじゃないですか。
それに、まず求めているのは「選択的」夫婦別姓なわけです。なにも、全員が全員別姓に、というわけではない。別姓にしたい人は別姓を選べる、というまっとうな選択です。「選べる」ようにすることに、なぜ反対するのでしょうか?あなたに迷惑はかけないから、こちらの好きにさせてください、というだけ。別に他人が夫婦別姓にしたところで、地割れが起こったり太陽が隠れたり川が黒く濁ったりするわけじゃないですよね?なのになぜ!他人が!別姓にするのを!!認めないんだ!!!
ましてや「多様性」がこれだけ言われている現代。キャリアも人間関係も積んできている人達が、「自分らしくありたい」状態を阻害されている状態を国家が認めていていいのでしょうか。
これぐらい認められなくて、なにが「女性活躍」だ!ふざけんな!と、この問題についてはとにかく怒っています。だからやっぱり、こうやって声を上げ続けなければ……と気持ちを新たにするのでした。
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