「交わらない」と10代の女の子たちに起こされた朝4時30分
●単細胞的幸福論のすゝめ 07
朝靄を眺めながら、ひとりの時間をまどろむ。昨日の夜、久しぶりに夫との間に「交わらない」が現れた。一度それが現れると頭のなかが「諦め」でいっぱいになる。
いつもなら「一緒にお布団入ろう」と手を握るが、昨夜は静かにひとりで布団に入って目を閉じた。居心地のいい沼に全身を預けるように。
徹底的にぶつかり合うティーンエイジャー
14歳のとき、イギリスで寮生活を経験した。ルームメイトはドイツ人の女の子とロシア人の女の子だった。同世代の彼女たちの日々は刺激的で最高に楽しかった。
日本での生活では触れ合えないような思考回路や、私からすると大胆としか言い表せない彼女たちの行動に目を輝かせる日々だった。
ある夜、「学校内で好きな男の子ができた」と私はふたりに打ち明けた。すると、彼女たちはそれぞれ私にアドバイスをくれた。異国の地で育った同世代の女の子たちからのアドバイスに、「それぞれ違うアドバイスで学びになる」と、だいぶざっくりと話を聞いていた。
でも、彼女たちは意見の相違に徹底的にぶつかりはじめた。「愛とは」「女性にとって男性とは」「気持ちを素直に伝えることとは」……。あの日の光景は、昨日のことのように覚えている。
家は単なる拠点
今朝、4時半ぐらいに目が覚めた。いつもなら再入眠できるのに、なぜかできなかった。彼女たちのことを思い出したからだ。
夫とはずっと個が一つの空間に存在しているように暮らしている。私は彼を置いて1カ月以上海外に長期滞在するし、彼は火を起こしたいと思えば、連休を全て使って原始的な方法で火を起こしに一人で出かける。
一言で表すと、私たち夫婦のスタンスは「お互いやりたいようにやる、そのための拠点が家」が一番しっくりくると思う。
そんな生活が心地よさに繋がっている。私は楽しそうな彼をみているのが好きだし、彼は私が苦しむよりも笑顔で過ごす日々が大切だと思ってくれている。
「交わらない」は仕方がないのか
彼との数年間、一切交わることに関してすり合わせてこなかった。お互いが自由に生きていることが幸せだと思っているから。
ただ時おり、昨夜のような「交わらない」が襲ってくる。「交わらない」の正体は、考え方や価値観との食い違い。
でも、それは仕方がないことなのだ。全く違う環境で育ってきた生き物が、一つの場所で暮らす。今まで吸ってきた空気も、浸ってきた水温も水も違う。
今回は「家族観」だった。「子どもが産まれたら子どもにこうしてほしい」、「私は離婚家庭で育って寂しかったことがあるから、そういう気持ちにはさせたくない」と胸中を伝える。すると「家族の結束みたいな環境、うちは特にないからなあ」という一言が返ってきた。
彼には彼の意見や価値観があることはよく分かってる。折衷案を見つけようと頑張ってみたけど、「交わらない」。
「別に家族観が交わらなくたってなんとかなる。今までなんとかなってきたんだから」と思う気持ちと、「交わらないふたりでひとりを育てることで、私たちの関係も悪くなるのは困るから、すり合わせるなら今しかない」という気持ちが、戦うわけでもなく平行に進んでいるような感覚だ。
14年前と変わらない私
14歳の私が目の当たりにした、女の子たちの口論。エネルギーに満ち溢れ、自分の考え方や育ってきた環境にプライドを持っているように感じた。相手を傷つけるための言葉ではなくて、主張するために言葉を使っていた彼女たち。
私はそこまで主張する体力もなければ、気力もない。その時間があったら苦いツバを飲み込んで、諦めたほうが楽だと思ってしまう。
あの口論の終息は、二人の矛先が私に向かって終わりを迎えた。「好きな男の子のことを眺めているだけ幸せだから」「それだから、あなたはずっと前には進まない。あの子に対してだけじゃなくて、私たちに対してもそう。自分の気持ちと相手の気持ちを理解して前に進もうとしない」
きっと私が思っていることは私たちだから悩むことではないんだと思う。他人とともに暮らしている人たちなら、きっと悩んでいることに違いない。そうやって大多数に逃げてしまうところもきっと14歳から変わっていないのだと思う。
28歳になった今、時を超えて14歳の彼女たちに叱られている。今朝はそんな気分だ。そして、みんなはどうしているんだろう。私はどうしたらいいのかわからないまま、新しい一日が始まろうとしている。
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