二つ目の結婚指輪は飾り気のないシンプルなものを選んだ

わたしたちの大人婚物語 #1

夫に浮気され、離婚直後にがん発覚。「一人で生きる」と決めた彼女に舞い降りた初恋のひと

「このままずっと一人なのかな」と悩むあなたに届けたい、本当にあった大人婚物語。35歳以上で結婚した大人婚の先輩たちに、出会ったきっかけや結婚の決め手、大人婚ならではの妊活・キャリア・親の問題まで根掘り葉掘り聞きました。ここに紡がれた幸せな物語はすべてほんもの。だから全部あなたにも起こりうること。この物語があなたの勇気になりますように。初回は、離婚とがん発覚を経て自分を見つめ直し、再び大人婚した女性のお話です。

【今回の大人婚さん】Tさん 結婚時の年齢:38歳

Tさんは関西在住の44歳、ショートヘアでシンプルなおしゃれが素敵な女性だ。フリーのクリエイターとして仕事をしながら、5歳のかわいい子どもを優しく穏やかな夫とともに育てている。「こんな日が来るとは、あの頃はとても思えませんでした」と笑うTさんは、33歳の時、前の夫と離婚した。きっかけは相手の心変わり。それでもTさんは「離婚は自分のせい」だという――。

初カレと結婚! 純愛を貫いた、はずだった

Tさんが一度目の結婚をしたのは26歳のとき。お相手は、高校時代にできたはじめての彼氏。そのまま大学生~社会人と付き合い続け、彼の東京転勤についていく形でゴールイン。「純愛を貫いた!」とみんなから祝福された。地元ではデザイン会社でバリバリ働いていたTさんだったが、東京では迷った末にアルバイトを選択した。

「当時の私は、結婚したら家のことをきちんとやって、料理も毎日作らないと、と思っていたんです。それまでずっと実家暮らしで、毎日母の手料理を食べていたので……。今思うとそれがよくなかったと思います」

本屋でバイトをしながら、家を整え、料理を作り、夫の帰りを待つ日々。人見知りのTさんは友達もなかなかできなかった。一方、お酒好きな夫は、飲み会で帰りが遅くなることも多く、寂しがるTさんとの間でケンカが増えていった。

「うちの父は外でお酒を飲むことがなく、寄り道せずに家に帰ってくる人。だから、連絡なしで深夜に帰宅する夫を理解できませんでした」

好きな人ができた夫。ついてくれなかった嘘

31歳のある夜、酔って眠り込んだ夫の携帯が光った。

「女のカンというやつでしょうか。なぜか胸がざわついて、ぱっと画面を見てしまったんです。私以外に好きな人ができたことを、夫が誰かに相談している内容でした」
10年以上の付き合いで、初めての裏切り。当初、夫はごまかしていたものの、最終的には認め、「別れてほしい」と言われた。

「でも私は絶対に別れたくなかった。これ以上彼の心が離れていかないように、飲み会で遅くなっても文句を言わないようにしたり、彼は華やかな業界にいたので、彼の『好きな人』もきっとすごくおしゃれなんだろうなと朝からきちんとメイクして着飾ったりして……もう必死でしたね。彼しかいない自分が自分でも重たくて、個人の仕事がもらえるように自分の作品を持って営業に行ったりもしました。彼も彼で、なんとか離婚しないように自分の気持ちと戦ってくれたと思います。あの人は一度も私を『嫌い』と言わなかった。同時にもう『好きだ』とも言ってくれませんでした。優しいのにそこだけは嘘つかないんだなって……、それが一番辛かったです」

彼は「好きな人」と両想いになり、Tさんは“サレ妻”の状態に。それでも「一緒にいた長い時間があるから負けるはずがない」と諦められない状態が2年続いた。そんなとき転機が訪れる。

「東京で初めてご近所友達が二人できたんです。同じ関西圏出身なのもあって人見知りの私がめずらしく打ち解けて、なんでも話せる仲に。いつまでもウジウジしている私に、気晴らしに韓国旅行に行こうと誘ってくれました。夫以外の人、しかも知り合って間もない人と海外に行くなんて、私からしたら大進歩。行ってみたら、すごく楽しくて。ああ私、一人でもちゃんと友達を作って、ちゃんと笑って生きていけるんだ、って思えたんです」

3人で行った旅行先での写真
3人で行った旅行先での写真

帰国後すぐ、記入済みの離婚届を置いて、家を出た。33歳だった。
「とにかく自活しなければ、という思いでした。離婚の直接の原因は彼の心変わりかもしれませんが、そうさせたのは、自分が経済的にも精神的にも彼に依存していたから。地元に帰ったら就職して、一人暮らしをしようと固く決めていました」

転居に伴って、持病のあったTさんは転院の手続きを取った。
「そこで検査に引っかかって……、甲状腺がんでした」

がんで自活の覚悟が決まった

「やっと前を向いたのになんで……」と激しく落ち込んだTさん。でも、医師から「甲状腺がんは転移も再発も少なく、きちんと治療を受ければ命に関わることもない」と聞いて、生きる覚悟のようなものが生まれたという。

「『一度きりの人生、好きなことをやろう』と思い、再就職はやめて、個人の仕事一本でやってみることにしました。手術まで少し間があったので、退院後に自活スタートすることを目標に、家を決め、家具を揃え、仕事の売り込みも頑張りました」

その後、手術は無事成功。甲状腺を取ったため、一生ホルモン剤をのみ続ける生活になったが、とくに副作用もなく過ごせているそう。仕事も順調に入るようになり、目標だった自活を叶えることができた。はたから見ると順風満帆だったが、Tさんの心は暗かった。

「生活が落ち着いてくると、自分のダメだったところが自覚できるようになって、それを認める作業がすごくしんどかったですね。一人、家にいるとぐるぐる考えてしまうんです。自分でなんでも決めて、責任を引き受けてやってくっていうのをみんなはもっと若い時にやってるのに、自分は環境に甘えて、30代中盤になってやっと一人暮らしを始めて……。『そんなんだから離婚されたんだ』と自分を責め、抱えきれない思いをよくノートに書きなぐっていました。自己啓発系や仏教系の本、茨木のり子さんの詩集『自分の感受性ぐらい』も心の支えでした。その中で、自分が前の夫と別れたくなかったのは、愛じゃなくて執着だったんだ、ということも知りました」

初恋のひとから、突然のメールが

自分を見つめ直したTさん。離婚から3年が経った36歳、やっともう一度パートナーが欲しいという気持ちが芽生え、友達に「婚活宣言」。出会いの場に積極的に参加するようになった。

ところが、同性相手でも人見知りをするTさん。初対面の男の人に対して「また会いたい」と思うまで関係を深めることができなかった。「元々あまり恋愛体質ではなく、愛情の前に信頼が不可欠なタイプ。だから前の恋愛でも一度も新しい人に目が向かなかったんでしょうね」

そんなとき、中学時代の同級生から突然「ごはん行かない?」というメールが! じつは当時密かに思いを寄せていた初恋の人だった。韓国ドラマみたいな展開!

「まだ前の結婚をしていた30歳くらいのとき、東京で彼に偶然再会したことがありました。私の方が先に気づいて声をかけたんですけど、そのときの彼の態度がものすごくそっけなくて。後から聞いたら、当時彼は仕事がうまくいかず、休職して落ち込んでいたそうで……」

彼はそれを気にして、その年にちょうど開催予定だった中学の同窓会で謝ろうとしていたそう。ところがTさんは同窓会を欠席。彼は幹事経由でTさんに連絡を取り、わざわざメールで謝ってくれたそう。それ以降は、お正月にメールを送り合うように。

そ、それは、彼はずっとTさんのことが好きだったのでは⁉
「いえいえいえ。当時、彼にも恋人がいましたし、それはないと思います(笑)」

なにはともあれ、信頼関係はすでに築けている彼とのごはん。彼もお酒を飲めない人で、二人はごはんを食べ、二軒目はカフェでお茶をして、甘いものを食べながら楽しく過ごしたそう。「またごはん行きたいな、ってふつうに思っている自分にびっくりして(照)」
彼も思いは同じのようで、たびたびお誘いがくるようになった。ただ、ここにきてTさんは迷ったという。

「やはり自分はバツイチだったので、『私なんか』っていう引け目を感じていました。彼と付き合ったら、今度は彼に依存して苦しめてしまうんじゃないかと……」
彼とのやり取りを報告していた友達に相談してみると「あのな、彼はTちゃんの持ってる荷物を自分が全部持ってもいいから一緒に山登ろうやって言ってくれてんねんで。それに、もうTちゃんはちゃんと自分の荷物、自分で持てるようになってるやんか。自分で頑張って持てるようになったんやんか」と背中を押してくれた。それは、あの韓国旅行に行った友達だった。

その後は、とんとん拍子で付き合うことに。そして半年が経った頃、将来の話になった。Tさんは再婚には消極的だった。
「結婚したらまた相手に依存するんじゃないかって怖かったんです。だから当面は籍を入れずにパートナーでいいかな、と伝えました」

同時に話し合ったのが、子どものこと。
「彼に聞いてみたら『おるほうがええけど、おらんかったらおらんかったで大丈夫』というゆるっとした回答(笑)。自分としても、絶対欲しいというわけじゃないけれど、漠然と子どもは生むものというイメージがありました。チャレンジだけはしてみよう、と籍は入れないまま妊活を始めることに」

入籍前の妊活、妊娠高血圧腎症も乗り越えて

すでに37歳になっていたが、産婦人科の先生は「半年はタイミング法でいきましょう」とのんびり。基礎体温をアプリでつけ、排卵検査薬などもとくに使わずにタイミングを合わせること半年、みごと妊娠! さっそく両家に挨拶をし、子どものためにと籍も入れた。38歳になっていた。つわりはほとんどなく妊娠の経過も順調そのもの……のはずだった。

子ども好きではなかったのに、妊娠後はエコー写真ですら愛しく感じた
子ども好きではなかったのに、妊娠後はエコー写真ですら愛しく感じた

妊娠7カ月のある日、妊娠高血圧腎症と診断され、急遽入院することに。絶対安静でなんとか8カ月までお腹の中で育て、出産。約1500gの小さな赤ちゃんだったけれど、その大きな泣き声にほっとしたそう。Tさんは1カ月半ほど毎日搾乳してNICUに母乳を届けた。幸い赤ちゃんは大きな疾患もなく、元気に育ち、いまでは幼稚園の年長さんに。

「発達は周りの子より少し遅いですが、本当はもう一学年下のクラスで生まれるはずだったので、気にしていません。その分とても頑張り屋さんです。性格は夫似で、おもちゃを取られても『ええよ』と譲れるほんわか優しい子です」

小さく生まれたことへの不安より、「かわいい」という気持ちが何倍も大きかった
小さく生まれたことへの不安より、「かわいい」という気持ちが何倍も大きかった

一人を知ったから二人になれた

Tさんは育休を取らなかった。「自活だけは手ばなしちゃいけないと、こどもを寝かしつけたあとに仕事するようにして、キャリアが途切れないようにしました。ただ、子どもといる時間優先で仕事量は調整しています。というのも、周りの友達がみんな『もっと一緒にいてあげればよかった』って口を揃えて言うんですよ。友達がみんな先に子育てを経験しているので、そこから色々学べるのは高齢出産のいいところかもしれませんね」

26歳と38歳、二度結婚したTさん。その違いは「一人を経験したこと」だという。
「一度目の結婚は、一人の経験がないまま、それを怖がりすぎていました。二度目は自分一人でもがいた期間がちゃんとあるから、万が一、この結婚がダメになったとしても、まあなんとかなるかって思える。そう思えることで、夫に寄りかからずに済んでいます。シングルの間に仕事に専念して、経済的に自立できたことも大きい。あとは、子どもがいるということも大きな違いですね。今の夫とは一つのチームという感じ。家事も子育てもなんでもやってくれ、子どももパパが大好き。子どもとだんなが笑っているのをみると、あ~幸せやなってしみじみ思うんです」

玄関に並ぶ三足のスニーカー。家族ができたことを実感する
玄関に並ぶ三足のスニーカー。家族ができたことを実感する

自分への反省を綴ったノートは、その後書いていない。
「この取材のために久しぶりに見返したら、『今』って言葉ばっかり書いてありました。『今のことだけ考えよう』とか、『今できることがあるはず』とか。離婚に病気に、と色々ありましたけど、先のことはあんまり考えずに、その時に自分ができることを一つ一つやっていたら知らないうちに進んでいました。もし、焦っている人がいたら、この先の不安よりも、『今やれることに目を向けて』って伝えたいです」

毎年撮るという家族写真を見せてもらうと、家族三人それぞれが好きな服を着てまっすぐに笑っていた。彼女が転んで、もがいて、手に入れた「一人でも歩ける」強さが、このすてきな家族を作ったんだと思った。

(写真:本人提供)

「わたしたちの大人婚物語」取材協力者を募集しています

ライター/エディター。出版社で雑誌・まんが・絵本の編集に携わったのち、39歳で一念発起。小説家を目指してフリーランスに。Web媒体「好書好日」にて「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。特技は「これ、あなただけに言うね」という話を聞くこと。note「小説家になりたい人(自笑)日記」更新中。

Pick Up

ピックアップ