浜崎あゆみ。彼女が救った命と魂と返り血のこと
●本という贅沢64『M 愛すべき人がいて』(小松成美/幻冬舎)
ある時期、浜崎あゆみという人は、ある種の少女たちの命を請け負う存在だった。
20世紀から21世紀にまたがる、その時代。浜崎さんは、間違いなく、日本でもっとも多くの女の子の命を救った人だと、私は思っている。
当時、「Cawaii!」というギャル雑誌でライターをしていた私は、家にも学校にも街にも居場所のない女の子たちの話を朝から晩まで聞いていた。
自分に関心を持っているように見えない母親のこと、しばらく姿を見ていない父親のこと、言葉が通じない先生のこと、彼が好きだと言ってくれる自分に自信を持てない自分のこと……。
専用のプリクラがあった編集部は彼女たちのたまり場で、無料のお菓子を食べる代わりに、編集部から渡されるアンケートに答えて帰っていった。
髪色は明るく、肌は黒い。お金がある子はネイルをし、エクステをつけていた。
そして、全員、浜崎さんの曲を聴いていた。
「あゆは、私が言葉にできないことを、言葉にしてくれた」
「あゆに出会えなかったら、私の高校時代は真っ暗だったと思う」
「あゆの曲を聴いている時だけ、私は生きていてもいいんだと思える」
そんな言葉を何度も聞いた。
その浜崎さんと、プロデューサーである松浦勝人さんとの恋が綴られた本。浜崎さん自身があとがきを寄せていて、事実に基づいたフィクションだと書かれている。
暴露本だ、今更なんだ、引き時を知れなどと、いろんな人が言っているようだけれど、ちょっと黙れ、と私は思う。これは、あなたたちのための本じゃない。
あの日、少女たちの魂を救っていた浜崎さんの言葉が、これほどまで悲壮な決意のもと絞り出された言葉だったこと。彼女の全霊をかけて愛した人に届けるための言葉だったこと。
私たちは、今回のこの本の告白の前に、実はとっくに気づいていたと思う。
10代の女の子が、はじめて自分が求められることを感じ、たった一人のために歌った歌だから、私たちはあれほどまでに揺さぶられたのだ。私たちの代わりに傷つき、絶望し、叫んでくれる彼女の姿を見て、歌を聴くだけで飽き足らず、彼女を知りたい、彼女に近づきたい。彼女のように強くなりたい、と思ったのだ。
そう、浜崎さんは、自傷するように歌う人だったと思う。
彼女が傷つけば傷つく分、皮肉にも彼女の言葉は研ぎ澄まされて、多くの人に届いて、居場所のない魂を救ってきた。鶴の機織りみたいだ。
その分、本人はたくさんの返り血を浴びただろう。
私は、彼女に命を救われた少女たちを、何人も見てきたから。それは私たちでは(彼女たちの親や先生や友人でさえも)救えなかった命だから、この本を読んで私は「ありがとうございました」の気持ちしかない。私たちの雑誌の大事な読者たちを救ってくれて、ありがとうございました。その時、あなたはこれほどまでに壮絶に戦っていたのですね。あなた一人にいろんなものを背負わせてごめんなさい。でもやっぱりありがとうございます。あの頃の少女たちは、あなたに自信のかけらをもらって、自分を好きになる方法を教わって、人生は大変なこともあるけれど、今でも生きています。ママになった子もたくさんいるよ。彼女たちは今もあなたの曲を聴いています。
そしてもうひとつ。この本で描かれたのは、恋の話であるけれど、それだけではなく、同志とともに試練を乗り越え使命を全うする人の話、だと思った。10代で自分の使命を見つけ、そこから逃げないと誓った、志を同じくする2人の生き方の話。
終章で松浦さんが浜崎さんに伝えるクレジットの話には、打たれる。認められたい人に認めてもらうために戦ってきた二人なのだろう。
つい先月の生放送歌番組で、久しぶりに浜崎さんを見た。デビュー20周年だという。キレのいい浜崎さんの姿と、その仕上げ方を見て、とてもとても素直に、感動した。そして、「ああ、二幕目をあけることを決めたんだな」と感じました。
ひょっとしたら、この先の20年も、私たちは彼女に救われるのかもしれない。もう少女ではない大人の女が、この混沌の中で、どう生きていくのか、彼女はもう一度、私たちの先を走って背中を見せようと思っているのかもしれない。
そんな再びの決意を伝える、覚悟の書、だと私は感じました。
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浜崎さんがデビューされた1998年は、宇多田ヒカルさん、aikoさん、椎名林檎さんのデビュー年でもあり、史上最もCDが売れた年なのだそう。この時代を考察した『1998年の宇多田ヒカル』(宇野維正)も、またちがった角度から音楽シーンを見ることができる面白い本でした。
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それではまた来週水曜日に。