本という贅沢63『顔に降りかかる雨』(桐野夏生/講談社文庫)

はじめまして村野ミロさん。あなたがあの素敵な女性を作ったのですね

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。7月のテーマは「大人の女」。大人の女について考える本を、書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢63『顔に降りかかる雨』(桐野夏生/講談社文庫)

昨年のちょうど今頃出会った歳下の女性が、とても素敵な人だった。

まず、佇まいが美しい。彼女に会うと、私の頭の中にはいつも「凛」という文字が浮かんで、鈴のように何度か鳴る。

饒舌な人ではない。落ち着いた声で紡がれる誠実な日本語は、練られた小説のようだ。会話の端々に、私が人生で一度も使ったことのない言葉がさらりと混ざる。

彼女の口から発せられた言葉を脳内で文字に変換すると、たしかに、この状況を説明するのに、これほどぴったりな言葉はない、と感じる。

そういう時、言葉は彼女に使われるのを待っていたかのように輝く。彼女に扱われる言葉たちは幸せだろうなと、その唇を見ながら思う。もし私が来世以降、言葉に生まれ変わるなら、こういう人の口から発せられる言葉になりたい。

全体的にクールなのだけれど、時々、どきっとするほど色っぽい。そういうことを言うと、恥ずかしがる姿が目に浮かぶけれど、たぶんその恥じらいも色っぽい。

なにがどうなって、こんな素敵な女性が誕生したのだろうと、ずっと気になっていたのだけれど、この間、その謎の一端が解けた。

この本、桐野夏生さんの『顔に降りかかる雨』だ。

彼女はこの本と、これに続く村野ミロシリーズを、これまでに100回以上読んだという。

「100回?」

驚いた私に、彼女は答えた。

「そうですね……。お風呂で読むからボロボロになっちゃうんですよ。だから家に同じ本が何冊もあります」

何がそんなに良いの?
どこに惹かれているの?
どうしてそんなに何度も読むの?
と、いろいろ質問はあったのだけれど、まずは、私も体験することにした。

その場でKindle版を買い、彼女と別れたあと帰りの電車で読み始め、そのまま朝まで一気読み。

なるほど。
百聞は一見にしかず。

人の体が、これまで食べたものでできているとしたら
人の思考は、これまで読んだものでできているのだな

誰かがくりかえし読んだ本に触れることほど、その人に漸近できる方法はないかもしれない。読み進めるうちに、知的でストイックで色っぽい、主人公の村野ミロが、彼女と重なっていく。
自分の人生を自分の手で選び取る、強い女性。でもやりきれないほどの痛みを抱えている、大人の女性。
そうか、あなたが、あの素敵な彼女を作ったのですね。村野ミロさん、ご挨拶が遅れました。はじめまして。

主人公のミロの魅力だけではなく、この小説が描く「人間の業」があまりにも自分にとって身近で、ページを繰る手が止まらない一冊です。
推理小説でありながら、人の心のひだひだをかき分けてなぞり切る、エグいまでの人間の物語。
それぞれの登場人物が抱く、それぞれの欠落が、人を傷つけるし自分をも切り刻む。
ドキドキしながら読んでください。

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シリーズ最新作『ダーク(上)(下)』では、本書の6年後を描いていますが、主人公村野ミロが、驚きの変化を遂げています。
「四十歳になったら死のうと思っている」から始まるこの最新作は、胸元に銃を突きつけられているような苦しさの中で読むことになりますが、こちらも得難い読書体験でした。
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それではまた来週水曜日に。

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。