【古谷有美】何かと注目を集めてしまったこの数カ月。乗り越えて見えてきた景色
●女子アナの立ち位置。
“やらかした”ことで、世界の色が変わって見えた
初著書がみなさんの手元に届きはじめて、そろそろ1ヶ月です。振り返ってみれば、ここしばらくは本当に、ホットな数カ月だったなと思います。
ご存じの方は多いと思いますが、担当しているラジオ番組での寝坊にはじまり、デート写真が週刊誌に載ったり……。はじめての書籍をつくっているのは、ちょうどそんなタイミングだったんです。
言ってしまえば“やらかしている”最中の私が、本を出していいのかな? これ以上、本業じゃないところで自分語りなんてしている場合じゃないかも……と、迷ったときもありました。
いままではよくもわるくも、これほど対外的に注目を集めてしまうことはなくて。だから、とても疲れたけれど、とても勉強になる日でもありました。
まず、自分が人前に出る仕事をしていることを、あらためて実感しました。わかっていたつもりだったけれど、私のしたことが週刊誌やネットニュースに載ったりもするんだな、と、しみじみ理解したんです。
そういうわずかなことで、景色の見え方はがらりと変わるんだ、とも思いました。
昨日まではふつうに暮らしていたのに、報道後はついつい、小さくなってしまう。どう見えているかが気になって、目立たないように身体を縮めてしまう。いつもフラットな心持ちでいたいと思っているのに、なかなかうまくいきません。
でもそのおかげで、なにか大きな失敗をしてしまった人の痛みに、本当の意味で近づけた気がしました。故意に起こした事件じゃなければ、したくてしたわけじゃない。うっかり大きなミスをすることだって、人間たまにはあるよね……と、心の底から思えるようになった、というか。
いままで隠してきた“生っぽい自分”が、人の心を揺らしていた
それに、失敗したことで、ひとつ不思議な感覚も得られました。
プロとしてあってはならない事態だけれど、寝坊そのものは、とても個人的な失敗。それを公共の電波で謝罪したとき、みなさんからも、もちろんスタッフの方々からも、さまざまな反応をいただいたんです。「寝坊くらいでそんなに謝らなくていいよ」「寝過ごしちゃうとき、あるよね!」「プロなんだから、それくらい真剣に謝って当然だ」などなど……。
私がありのままの申し訳ない気持ちをさらけ出したことで、観た方、聴いた方の気持ちが動いているのを感じたんです。いままで私が出してこなかった“生っぽい自分”が、たしかに、誰かの心を揺らしていました。
もちろん、自分の失敗を開き直るつもりはありません。だけど、この心苦しさを乗り越えるにも、信用を取り戻すにも、日々まじめに仕事をしていくしかない。そのためにも“人間らしい自分”をさらけ出すことがある意味で成立する、という経験は、なんだか糧になる気がしています。
“寝坊”という代名詞を、反省しながら愛していきたい
これまでは、テレビを観てくださる方に元気になってほしいから、自分はつねに凜としていようと思っていました。必要以上にプライベートを見せることもないし、隠したい部分は、分厚い毛皮で守ってきたんです。だけど今回、見せてこなかった部分がうっかり出てしまったことで、新しい世界に踏み入れたような気もしています。
寝坊の報道を見て「親しみやすくて好きになった」と言ってくれたり、週刊誌の写真を見た方から、ワンピースのブランドを聞かれたり。そんな予想外の反応には本当に救われましたし、同時に、そうした優しさは事の大きさへの裏返しというか、それだけフォローの声が聞こえる事に心がピリッと引き締まる気持ちでいます。
私のことを、誰かは一生「あの寝坊したアナウンサーね」って言うと思います。いまですら『土曜朝6時木梨の会。』を担当していると言ったら「えっ、じゃあ、あの!?」と聞かれることが出てきました。
こうなってしまった以上、“寝坊”は私の代名詞としてついてくるもの。だったらしっかり反省しつつも、この記号を愛していかなくちゃいけないなと思っています。
周りも「あらゆる目覚まし時計を研究しまくって、まとめたら?」「次に出す本のタイトルは『遅く起きた朝は』にすればいいよ」なんていじりながら、ポジティブに消化しようとしてくれている。私自身もなるべく前向きに、飲み会を抜けて早く帰るときは「もう二度と寝坊はできないんで……」なんて言い訳を使ったりしながら、この記号と付き合っていきたいです。
とはいえ、ホットな数カ月が過ぎたばかりで、どれもこれもまだ生傷。勝負はこれからです。自分の生っぽさを愛しながらも、あらためて一つひとつのお仕事と真摯に向き合っていきたいと思っています。ずっとくよくよしているより、そういうことも含めて人生を楽しめるほうが、きっと豊かじゃないですか?
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