ハワイ暮らしを選んだ女性たち03

ブレずに持ち続けた“自分が求めるもの”。ハワイなら叶うと思った【第3話】

女性の人生には分岐点がいくつもあります。幸いなことに、今は自分の道を自分で選ぶことができる時代。だからこそ出口のないトンネルに迷い込んでしまう人も少なくありません。そういった状況に直面した時、勇気を持って進むことができる人は、いったい何が違うのでしょうか。 この連載では、自らの力で未来を切り開き憧れの地・ハワイに移住した日本人女性たちにインタビュー。彼女たちから、一歩を踏み出すヒントを探ります。

●ハワイ暮らしを選んだ女性たち03

「いくつになっても夢は叶うということを伝えたい」

「私の夢は2つあるんです。そのうちの1つは、働く女性として海外でチャレンジするということ。月並みな表現ですが、日本と海外との架け橋になりたいと10代から思い続けていたのが、今やっと叶った感じです」

小島加奈子さん(39)は、インタビューの冒頭にこう話してくれた。

2019年5月、ホノルル最大級のラウンジ「Waikiki Club Lounge by LeaLea」のオープニングイベントで、プロジェクトチームのメンバーと。左端が小島さん ©Kanako Kojima

小島さんは、ホノルルにある大手旅行会社でPR&プロモーション担当として勤務するキャリア女性だ。ハキハキと的確な言葉を選ぶ話し方には、数々の実績を重ねたことで培われた自信が感じられる。

ハワイに拠点を移したのは36歳のとき。コネや転勤の指令があったわけではなく、「J1」という交流訪問者ビザを取得し、自らの手で夢の実現の足がかりをつかんだ。「J1」はあくまでもトレーニングを目的とした最長18カ月間の期間限定ビザだ。取得に明確な年齢制限はないものの、トレーニング用というビザの性格上、35歳を超えると厳しいのが現状らしい。小島さんはまさに最後のチャンスという心づもりで、ビザ取得と就職先の面接に臨んだ。

「それまでも長い間、アメリカ本土での就職を目指してリクルーターと面会していました。でも、私の専門分野であるPR職で就労ビザを取得するのは、100%不可能に近いと言われたんです。それで国内の外資系企業などに勤めながらキャリアを積んでいたんですが、35歳のときに“やっぱり海外で働きたい、あきらめきれない”と思いが強くなって……」

J1ビザを取得してハワイへ渡るまで、そしてEビザ(貿易駐在員ビザ)に切り替えて正式にハワイ移転を達成するまで、小島さんのキャリア人生は長いトンネルと波乱の連続だった。だからこそ「いくつになっても夢は叶えられるということを伝えたい」と強調する。彼女のこれまでについて、振り返ってもらった。

2013年10月、人生で一番働いていたIT企業時代。六本木ヒルズのオフィスエントランスで大好きな仲間達と。©Kanako Kojima

時代の流れに抗えないこともある

小島さんの社会人としての道のりは、決して順風満帆ではなかった。大学を卒業後、PR会社に就職。その後、キャリアアップを目指していくつかの会社を渡り歩く。PRの仕事を自分の天職だと悟るも、こだわりが強すぎて時に自分の進むべき道を見失いかけたこともあった。

「私は、自分が納得いくまで突き進まないと気がすまない性格なんです。だから転職活動の時も職種にこだわりすぎてしまって、予想以上にブランクが長くなってしまったこともありました」

小島さんは2社目で初めてリストラを経験する。飛ぶ鳥を落とす勢いだった米系の生保企業が、リーマンショックのあおりを受けて、突然業績悪化に陥ったのだ。全く想像していなかった事態に戸惑った。

「それまで割と順調な人生だったので、まさか自分がリストラされるなんて思いもしませんでした。でもそのおかげで“時代の流れには抗えないこともある”ということを学んだんです」

後に所属した会社でも突然の事業縮小に直面することがあったが、また目標を達成しようと自らを鼓舞し、環境を変えようと挑んできた。彼女はその都度、自分が求めるものがその状況で叶うのかを慎重に判断し、あえて茨の道を歩んできたのだ。

2018年7月、サンゴ礁への有害性が指摘される物質を含んだ日焼け止めのハワイ州内での販売・流通を禁止する法案に署名したハワイ州のデイビッド・イゲ知事と。当時の職場の社長と同僚と共に ©Governor David Y. Ige

自信を喪失しそうになっても、「モチベーションの炎を絶やさない」

たとえ自分ではどうしようもできない事態だったとしても、職を失うことは自信喪失になりかねない。そんな時、どうやって自分を保ってきたのだろうか。

「それまでやってきたことへの自負があったから、ある程度自信があったんです。不安はありましたが、その都度どういう女性になりたいかを考えて、とにかく自分を信じるようにしていました。特にリストラ後の数カ月間は、よく腐らずにいられたなと思います(笑)。両親や女友達などに話を聞いてもらえる環境だったのは、幸せだと思っています。周りの助けのおかげで、炎を絶やさずにいられましたから」

時にはかつての上司やクライアントにスカウトされることもあった。ただ、一貫して自分がやりたいことにこだわり続け、自分でその道を模索した。

海外での就職先もPR職にこだわって探した。どんな職種でも良かったら、もっと早く海外勤務の夢を叶えられたかもしれない。しかし、ブレない軸を持っていたことが、小島さんの夢への道を強固なものにしたのである。

2019年3月、週末に同僚と行ったホエールウォッチングにて。たくさんのクジラのジャンプやイルカを観られて興奮し通し!@Kanako Kojima

この先見据えている、もう1つの夢

小島さんがハワイに渡ろうと思ったのは、友達の結婚式で16年ぶりに訪れたことがきっかけだった。

「日本人のコミュニティが想像以上に大きいことを知り、日本でPRの経験を積んできた自分が求めるものがハワイでなら叶うかもしれないと思ったんです。それから、ハワイの企業に履歴書を送り始めました。その時すでに35歳。J1ビザ取得を考えて年齢のことが気にかかっていました。だから、まだ先が見えていないのにもかかわらず、当時勤めていた会社を思い切って退社したんです。大きなプロジェクトにアサインされたばかりでしたが、それを終えてからでは間に合わないかもしれないと思って」

いくつもの分岐点を通過してきたからこその直感、だろうか。これまで乗り越えてきた波の中でも、かなりのビッグウェーブが待ち受けていることは目に見えていたはず。でも、彼女は見事にそれを乗り越えた。ほどなくしてハワイでの就職先が決まったのだ。

現在、ハワイに移転して2年半ほどが経った。ビザを切り替えるタイミングで勤務先も変わったが、仕事は順調だ。ハワイの魅力についてはこう話す。

「とにかく自然の中に身を置けることが幸せ。毎月ハイキングに出かけていたら、慢性の貧血が治ったんですよ!冬から春先にかけては、ホエールウォッチングも楽しめるんです。週末にこんなことができるなんて、東京ではなかなかないですよね」

気持ちだけではなく、身体にもいい影響を与えているハワイでの生活に、小島さんは満足げだ。
インタビューの終わりに、もう1つの夢について聞いていないことに気づいた。すると、それまでとは違ったやわらかい口調で、こう話してくれた。

「どんなときでも家族のことを一番に考えて、私のチアリーダーでいてくれる母を、私はとても尊敬しているんです。だから私の2つ目の夢は、母のようになること。願わくば、結婚・出産をして家庭を作れたら、と思っています」

写真提供(星空の写真):@photos_by_todd

フリーランス・ライター、エディター、インタビュアー。出版社勤務後、北京・上海・シンガポールでの生活を経て東京をベースにフリーランサーとして活動中。
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