ハワイ暮らしを選んだ女性たち01

「ポジティブに捨て身になる」。30歳を前にハワイで起業【第1話】

女性の人生には分岐点がいくつもあります。幸いなことに、今は自分の道を自分で選ぶことができる時代。だからこそ出口のないトンネルに迷い込んでしまう人も少なくありません。そういった状況に直面した時、勇気を持って進むことができる人は、いったい何が違うのでしょうか。 この連載では、自らの力で未来を切り開き憧れの地・ハワイに移住した日本人女性たちにインタビュー。彼女たちから、一歩を踏み出すヒントを探ります。

●ハワイ暮らしを選んだ女性たち01

ハワイのローカルに愛される、情に厚い日本人社長

東京出身のユリコ・ガルラさん(40)は、今年(2019年)でホノルル在住9年目。日本のアパレル業界で働いたのち、ロサンゼルスのファッションスクールでファッションマネージメントを学び、その後ハワイに移住。2011年にハワイ在住デザイナーとアーティストのためのマネージメント会社「Plan Z」を設立した。現在は日本とハワイを行き来しながら、アーティストたちの活躍の場を広げている。

「ハワイにはいろんな恩恵を受けているから、ローカルの人たちをはじめ、住んでいる方々の役に立ちたいんです」

そう語るユリコさんは、自分の会社が軌道に乗り始めても、実はしばらくの間アルバイトをしていたそうだ。ハワイは物価が高い。十分な生活費を確保するためには、キレイ事ばかり言ってはいられない。ただ、理由はそれだけではなかった。

「今はようやく自分の会社の業務だけになりましたが、数年前まではスーパーで試食販売のアルバイトをしていたんですよ。私を頼ってくれる人がいて、スケジュールが空いていれば、断る理由なんてない。それが人の役に立つことなら」

こうやって明るくサラッと言い放つユリコさんの人柄に、今の成功の鍵があるのではないかと思った。

最初のクライアントOrganik Clothing ©Yuriko Galura

30前で飛び出した日本、何もせずに帰ったら完全に負けだと思った

ロサンゼルスでファッションの勉強をし、ハワイで起業。断片的に見たらユリコさんの経歴はとても華やかで、雲の上の人というイメージを抱くかもしれない。

しかし、全部自分の力で切り開いてきた道だ。強力なコネがあったわけでもないし、潤沢な資金があったわけでもない。行き詰まって、決断を迫られて、開き直る。その繰り返しだった。

日本のアパレル業界で働いていた20代半ばの頃、ふと先が見えなくなったユリコさんは、ワーキングホリデービザでカナダ行きを決めた。当時から外国人の友だちが多く、海外に対する壁は全く無かった。
20歳の時、たまたま家に英会話教室の営業電話がかかってきた。なにか新しいことを始めようとその英会話教室に通ったことが、その後の人生に大きな影響を与えたのだ。「今思えば、あの電話が人生の節目だった気がしますね(笑)」と振り返る。

しかし、1年間の予定だったカナダ生活は、お父さんが他界したことで中断した。帰国したユリコさんは、今まで明るみになっていなかった複雑な家庭環境を知ることになる。将来の結婚を考えた時、古いしきたりが残る日本に残ることは必ずしも最善ではないと察し、再び海外に渡る決心をした。そこからのユリコさんの快進撃は凄まじかった。

アメリカ西海岸の語学学校で1年間みっちり英語を磨いたあと、猛勉強しTOFELでハイスコアをマーク。見事L.A.のファッションスクールへの入学を果たし、来る日も来る日も勉強に明け暮れた。1年半後にスクールを卒業するまで、1日も気を抜ける日はなかった。

「30歳手前で日本の友人がどんどん結婚していく中、自分は何をやっているんだろうって焦りはありましたよ。でも、そもそもメインストリームに乗っかってないんだから、やれるところまでやってやろうって。ここで何もせずに帰ったら完全に負け組だと思いましたね」

もうあとには引けない。そんな状況で発揮した馬鹿力が、この後で大きな糧となる。

L.A.のファッションスクールの卒業式(左から2番目がユリコさん) ©Yuriko Galura

“損をして徳を獲れ” それが自分なりの人生の正解

2度目の海外生活はかなりハードな場面に数多く直面したが、「あの状況を乗り越えられたから今の自分がある」とまたしても明るくサラッと話す。逆境をポジティブな結果へと変換できるパワーは、一体どこから生まれてくるのだろう。

ユリコさんは具体的に教えてくれた。

「私は、世の中には自分ではどうにもできないこともあると思っています。時には流れに身を任せ、人の言うことに素直に従った方がいい場合もあるんですよね。だから割とフレキシブルに動けるタイプなのかもしれません」

学校卒業後は、ハワイのサーフショップに就職。数々のファッション関連イベントに顔を出していたユリコさんは、次第にハワイ在住のアーティストから、日本マーケットへのプロモーションを依頼されるようになる。「困っている人を自分が助けられるなら」という思いから、現在の会社を立ち上げた。

「ハワイって、人と人とが繋がってできているコミュニティーなんです。お金よりもまず先に人間関係だと思ってやり続けてきたことが、結果として人生の“正解”になっていると思います」

日本にいた頃からの座右の銘は“損して徳を獲れ”。その心がハワイでも活かされている

カピオラニ・パーク ©Yuriko Galura

スローなハワイの雰囲気は、自分の波長に合っていると思う

ところで、ユリコさんがハワイへの移住を決めた理由は先輩のアドバイスだったそうだ。L.A.での就職で大きな英語力の壁を感じていた矢先、ハワイなら日本人であることをより活かせるはずだと勧めてくれた。

「暮らし始めて、自分の波長にすごく合っていると思いましたね。気候、自然、人、すべてが優しくて、のんびりした雰囲気が心地いいんです。お気に入りの場所はダイヤモンドヘッド。頂上までハイキングしても往復1時間程度だから、考え事をする時にぴったりなんですよ」

ダイヤモンド・ヘッド ©Yuriko Galura

アメリカ人のパートナーとは結婚して8年。L.A.に住んでいた頃から共に助け合ってきた仲だ。実はユリコさんのハワイ移住に感化されて、ほどなくしてL.A.から追いかけてきてくれたのだという。

プライベートでの展望は?と聞くと、「ハワイでの里親制度や養子縁組を真剣に考えたいと思っています」と、包み隠さず話してくれた。

ユリコさんの答えは、やっぱり情に厚く、そしてポジティブだった。

【ハワイ第2話】<自分にしかできないことが必ずある。自分の使命を見つけた人生の旅>はこちら

フリーランス・ライター、エディター、インタビュアー。出版社勤務後、北京・上海・シンガポールでの生活を経て東京をベースにフリーランサーとして活動中。